hototogisu_tokugawa_ieyasu
1: 2021/02/16(火) 15:22:15.79
 先日、映画『ブレイブ ―群青戦記―』のヒット祈願イベントが行われ、出演する渡邊圭祐さんが自身の性格をじっくり待つ徳川家康タイプと分析していた。
実際に、家康は辛抱強い性格だったのか、考えることにしよう。

■天下人の性格
 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康については、その性格を言い表した有名な狂句がある。次に示しておこう。

織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」

徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」

 信長は気性が激しく短気なので、鳴かないホトトギスを殺せと命じた。秀吉は知恵者なので、鳴かないホトトギスを鳴かせようと工夫した。
家康は若い頃からの苦労人で辛抱強かったので、鳴かないホトトギスを鳴くまで待ったのである。それぞれの性格をあらわしていて興味深い。

 この3つの狂句は、第9代平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』に書かれたものである。
『甲子夜話』は文政4年(1821)から書かれ、静山が亡くなる天保12年(1841)に完成した。正編100巻、続編100巻、第3編78巻に及ぶ浩瀚な著作である。

 この3句は「詠み人知らず」となっており、いつ誰が詠んだのかは不明である。
3人の天下人の性格が実際にこの狂句のとおりなのか不明であるが、江戸時代末期にはすでに定着していた可能性がある。
では、なぜ家康は辛抱強い性格になってしまったのだろうか。もう少し考えてみよう。

■苦労人だった家康
 天文11年(1542)、徳川家康は松平広忠の嫡男として誕生した。
松平氏は三河を領していたが、その威勢は弱体化しており、駿河今川氏に従属していた。幼かった家康は、今川氏の人質になっていたほどだ。

 永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、家康は信長の配下に加わった。
天正10年(1582)に信長が本能寺の変で横死すると、家康は羽柴(豊臣)秀吉に従った。

 慶長3年(1598)に秀吉が病没し、その2年後の関ヶ原合戦で家康は西軍に勝利したが、
家康の完全な天下取りは慶長20年(1615)の大坂夏の陣における豊臣氏の滅亡を待たねばならなかった。

 つまり、家康は信長と秀吉という2人の天下人に仕え、なかなかチャンスに恵まれず、辛抱強く待たねばならなかったということになろう。
その事実が先の狂句に反映されたようだ。

 また、江戸時代には「織田が搗き 羽柴が捏ねし天下餅 座りしままに食うは徳川」なる狂歌も広まった。
これは家康が辛抱強いというよりも、棚からぼた餅で天下を取ったことを揶揄したものである。

■有名な家康の遺訓
 ほかにも、家康が辛抱強いとされた根拠としては、以下に示す家康の有名な遺訓がある。

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり。

 しかし、この家康の遺訓とされるものは、後世の偽作であると指摘されている。
明治になって、幕臣の池田松之介が『人のいましめ』(伝徳川光圀作)をもとにして、創作したものにすぎない。家康の花押まで似せていたのだから、手の込んだ偽造である。

 この偽作を「幕末の三舟」の1人である高橋泥舟(ほかは勝海舟、山岡鉄舟)らが日光東照宮(栃木県日光市)をはじめ、各地の東照宮に奉納した。
これにより爆発的に世間に広まったのだ。

 つまり、家康が辛抱強かったというのは、江戸時代に広まった伝承や偽作のようなものが根拠にすぎず、実際はどうだったのかよくわからないのである。
家康が辛抱強い性格だったというのは、今後の検討を要しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210216-00222815/

109: 2021/02/16(火) 15:40:54.23
>>1
我慢強かったってのは状況であってw

性格は短期で有名
というか、松平家自体、ものすごい血気盛んなDNA

264: 2021/02/16(火) 16:05:28.17
>>1
どの道、征夷大将軍になったことは否定の余地もないし、
信長や秀吉が消えてから天下を捥ぎ取った訳だから、
要領がとてつもなくいい人物だった事に変わりはない。

346: 2021/02/16(火) 16:16:41.35
>>1
戦国大名に人格者なんていたはずがないわ
今で言えばブラック企業の経営者がブラックぶりを競ってたような時代だろ

853: 2021/02/16(火) 17:32:47.30
>>1
信長は何度も反逆した家臣を許してる
非常に我慢強い

875: 2021/02/16(火) 17:36:17.30
>>1
虎視眈々と高確率のチャンスを狙ってたという意味では辛抱強いといえるだろう
並みの武将ならもっと前に天下に野心みせて潰されてたかもしれん

2: 2021/02/16(火) 15:22:52.03
辛抱強かったらウン〇漏らさんわ

29: 2021/02/16(火) 15:27:42.78
>>2
それも江戸時代の創作

100: 2021/02/16(火) 15:39:51.56
>>29
江戸時代人、いい加減過ぎるだろ。

324: 2021/02/16(火) 16:13:45.42
>>100
火事はあったけど戦は無いから暇を囲っては芝居や読み本にかまけていたからだろ。
大阪人が友達笑かそうとモリモリになっていくのと同じことじゃないか。

4: 2021/02/16(火) 15:23:11.05
短気エピソードの方が多いだろw

247: 2021/02/16(火) 16:02:15.72
>>4
三方ヶ原で籠城(時間稼ぎ)を進言する家臣の意見を蹴って野戦に出たとか
関が原で内通するはずの小早川が動かないのでイライラして爪を噛んで鉄砲を撃ちかけたとかだね。

10: 2021/02/16(火) 15:24:18.62
でも結果論として辛抱強かったわけで
踏んできた場数から考えて
直情型だったら若い頃にとっくに死んでる

17: 2021/02/16(火) 15:24:56.26
>>10
実際死にかけたのよ

295: 2021/02/16(火) 16:10:14.42
>>10
信長や秀吉が相手なら辛抱するしかないでしょ

11: 2021/02/16(火) 15:24:19.95
天ぷらが好きすぎて死んだようなもんだから辛抱強いはないだろ(´・ω・`)

166: 2021/02/16(火) 15:50:12.11
>>11
元々食欲不振だったので、家臣が珍しい調理法の鯛の天ぷら(当初は衣が付いていない素揚げ)なら食べられるかもと勧め、食べた後さらに体調が悪化し、3ヶ月後に亡くなっているので死因は天ぷらではない。
既に末期の胃癌だったと推測されている

474: 2021/02/16(火) 16:37:28.02
>>166
具合悪い時に天ぷらとか家臣酷すぎ

12: 2021/02/16(火) 15:24:26.60
まあ結果論だもんなぁ
秀次事件が起こらなければ生きてるうちに天下取りはまず不可能だったし、秀吉に臣従した時点では豊臣政権のNo.2で満足してたんじゃねーの?

99: 2021/02/16(火) 15:39:28.32
>>12
コレな。秀次の助命には当時徳川も前田も必死に動いてるしこの時点では天下狙ってなかったはず。

16: 2021/02/16(火) 15:24:50.12
後世のイメージだと辛抱強い狸親父だけど、同時代の評価は戦上手(野戦限定)な律義者だったかもしれん。

18: 2021/02/16(火) 15:25:02.01
稽古事マニアだったから根気強い性格なのは確か

21: 2021/02/16(火) 15:25:57.37
単純な話

信長、秀吉よりも家康が若かっただけのこと

587: 2021/02/16(火) 16:53:57.22
>>21
それに健康意識が高かったって聞いたな

24: 2021/02/16(火) 15:26:29.88
>鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

これ考えた奴は信長のことを全く理解していないと思う

40: 2021/02/16(火) 15:30:26.49
>>24
意外と信長って寛大なんだよな。あの悪人?の松永秀久が裏切っても一度は許そうとしてたくらい。
ただ敵にまわったら容赦ないだけで。

52: 2021/02/16(火) 15:32:45.20
>>24
3つ並べて比較すること自体が言葉遊び。強引にそれっぽく持って行っているだけ。

167: 2021/02/16(火) 15:50:27.09
>>24
信長と秀吉は逆のほうがしっくりくる

511: 2021/02/16(火) 16:43:32.05
>>24
信長わりと身内や家臣に甘々よな
武田信玄ですら男色相手の小姓切り殺した話が伝わってるのに
信長がいきなり小姓切り殺したという話を聞いたことがない不思議

32: 2021/02/16(火) 15:28:08.49
明智光秀は辛抱できずに、本能寺の変をやっちゃったからね。

33: 2021/02/16(火) 15:28:17.21
短気を起こしたせいで自分が敗北した時の無様な姿を絵に描かせて生涯の戒めにしたんだから、少なくとも辛抱強くあろうとしていたのは事実だろ。

36: 2021/02/16(火) 15:29:09.82
本来は信長こそ鳴くまで待とうホトトギス。

37: 2021/02/16(火) 15:29:28.72
人は記憶型と思考型に大別できる

今川義元の死 裏切って独立
織田信長の死、裏切って織田領を掠め取る
豊臣秀吉の死、裏切って天下を掠め取る

74: 2021/02/16(火) 15:35:54.50
>>37
秀吉だって信長が死んだら織田家を乗っ取っただろ。皆一緒だよ。

38: 2021/02/16(火) 15:29:31.92
三人とも新しいものに関心を向けていた
富や価値を気にしていた

41: 2021/02/16(火) 15:30:27.34
そりゃそうよ みんな後世の小説かもしれんのに 見て来たように語る人がいて笑う

44: 2021/02/16(火) 15:31:07.06
辛抱強いかどうかは関係なく無性にwikipediaの小牧・長久手の戦いを読みたくなった

47: 2021/02/16(火) 15:31:53.24
麒麟がくる見たけど、全然辛抱強くなかったぞw

48: 2021/02/16(火) 15:32:09.97
質素な生活だったらしいよ
女中が「上様そろそろ下帯の洗濯をしましょう」と言ったら
「いやわしはこのままでかまわん」と言ったそうな
汚れても目立たないように色付きのふんどしをしていた

66: 2021/02/16(火) 15:35:13.51
>>48
冬でも足袋を履かなかったり
破れた足袋を繕って履いてたりしてたんだっけ

51: 2021/02/16(火) 15:32:43.03
辛抱強いかどうか分からないってそりゃそうだけど
変なこと言い出すね

55: 2021/02/16(火) 15:33:27.59
辛抱にみえる長い雌伏も
健康マニアが幸いしての長寿のおかげなんだよな
東西とわず権力者は寿命が長いというだけで価値なんだわ

58: 2021/02/16(火) 15:34:19.57
腹黒いタヌキのイメージしかないだろ

62: 2021/02/16(火) 15:34:44.63
直江状でキレてるあたり、もう我慢強くないわ。

473: 2021/02/16(火) 16:37:26.61
>>62
あれは上杉潰す口実出来た、ラッキー!でしょ?

484: 2021/02/16(火) 16:38:46.56
>>473
原文をもっと罵ってるように書き換えた説まであるね

64: 2021/02/16(火) 15:35:04.52
豊臣をきっちり滅ぼしてから死んでるし
寿命を活かしきったのは間違いないやろな

70: 2021/02/16(火) 15:35:42.32
織田豊臣と同じ時代に生き最後に天下を取ったのだから辛抱強いと言えるんじゃないの

71: 2021/02/16(火) 15:35:46.53
単純に日本史にマイナスなイメージ付けたいだけだろうよ
結果的に徳川が天下統一して長いこと政治の中心に居たのは覆らないし、その創始者を貶めようとしたところで無駄だよな

72: 2021/02/16(火) 15:35:49.34
加藤清正や浅野幸長が死ぬのを辛抱強く待ってから、秀頼を滅ぼした。合っているのはこの点だけだな。

359: 2021/02/16(火) 16:18:36.02
>>72
結局福島正則が死ぬのは待てなかった。

75: 2021/02/16(火) 15:35:57.66
そもそも家康さんって、信長の配下じゃなくね?

87: 2021/02/16(火) 15:37:56.35
>>75
晩年は服属してるよ
静岡程度の小大名が偉そうに出来る規模じゃなくなってる

241: 2021/02/16(火) 16:01:25.11
>>87
信長が亡くなる一年前の天正9年の高天神城の戦いの時、信長は書状で家康とこんなやり取りをしてる

・高天神城の武田軍が降伏を願い出てるがその扱いについて家康が信長にお伺いを立てる
・信長→どうせ勝頼じゃ後巻として高天神城の援軍にも行けないだろうから降伏を受けるのはあまり意味がない
万一勝頼が後巻として国境付近にのこのこ出てくればこちらは手間要らずで甲信を取れる
勝頼が後巻をせず高天神城を見捨てても、その評判は他の支城にまで影響を及ぼし、勝頼取るに足らずと離反するだろう
・以上が私の意見だが、これを宿老たちとよく相談して武田の降伏を受けるか否かは家康が決めなさい

と私の命令に従えではなく私の意見はこうだが最終的には家康が決めなさいと言ってる
実質断れない脅迫みたいなもんかもしれんが信長なりに一応気を遣ってるのが読み取れる

261: 2021/02/16(火) 16:05:12.37
>>241
信長は妙に家康には気を使ってるよね
他の将にもっと気を使えば又違った未来だったろうにと思うくらいに

327: 2021/02/16(火) 16:14:16.85
>>261
浅井長政に関しては信長は毛利元就に宛てた書状の中で
「近頃浅井備前守が変心し謀反した事を京都に戻る途中で報告を受けた。
彼は近年特に我が家来として親しい関係だったが、このような結果となり言葉もない」

とはっきり「家来」と言ってるな

371: 2021/02/16(火) 16:20:01.01
>>327
同盟だと思ってたら家来扱いされた上に、あれだけ朝倉を攻める時は相談しろって念押ししたのに無視されて
そりゃまぁやっちまえになるわな

400: 2021/02/16(火) 16:25:36.75
>>371
最近は浅井朝倉同盟ってのは怪しいらしいよ
当然、そんな攻めるな云々の約定もない

416: 2021/02/16(火) 16:28:14.16
>>400
浅井と朝倉に同盟がないのは今さらというか最初からなかったろ?
朝倉と浅井は盟友よ

88: 2021/02/16(火) 15:38:05.50
臆病なんだよ
だから勝てた

90: 2021/02/16(火) 15:38:17.21
そもそも現代感覚で辛抱強い武将とか居るはずがない

107: 2021/02/16(火) 15:40:42.01
戦闘90 政治95 魅力88
だいたいこんな感じかな🤨

125: 2021/02/16(火) 15:43:03.26
短気なやつが天下とれるかよw

引用元 : 【歴史】「徳川家康は辛抱強い性格だった」は後世の創作の可能性 [ボラえもん★]