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アルキメデス

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1: 2019/07/09(火) 02:04:45.74 ID:CAP_USER
2000年以上にわたって科学者を悩ませた「レンズの収差問題」がついに解決される
https://gigazine.net/news/20190708-aberration-problem-solved/
2019/7/8
GIGAZINE


「古代ギリシャの科学者であるアルキメデスが凹面鏡で太陽光を集めて敵艦を焼き払った」という伝説がある通り、光学の歴史の始まりは2000年以上前に遡ります。そんな光学の歴史上で人類が2000年以上も解決できなかった「レンズの収差の解消」という難問をメキシコの大学院生が数学的に解決したと報じられています。

■■略

反射鏡やレンズに入射した光は、屈折または反射することで光軸上の1点に収束すると理論付けられています。しかし、現実にあるほとんどのレンズは加工の問題で表面が球面の一部となっているため、実際にはすべての光線を1点に集光することはできません。そのため、解像力を上げようとレンズの口径を大きくすると、像がぼやけてしまうことがあります。この光線のズレが起きる現象を「球面収差」と呼びます。

https://i.gzn.jp/img/2019/07/08/aberration-problem-solved/01.jpg

レンズの球面収差については、2000年以上前のギリシャの数学者であるディオクレスが言及していました。また、17世紀の数学者クリスティアーン・ホイヘンスは1690年に著書「光についての論考」の中で、アイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツが望遠鏡のレンズの球面収差を解決しようとしたができなかったと述べています。

実際にニュートンが考案したニュートン式反射望遠鏡では、色のにじみ(色収差)は発生しないものの、反射鏡を使っているために当時では球面収差をどうしても完全に補正できませんでした。

https://i.gzn.jp/img/2019/07/08/aberration-problem-solved/02.jpg
by Internet Archive Book Images

1949年には、「完全に球面収差を解消したレンズを解析的に設計するにはどうしたらよいのか?」という問題が数学の世界で定式化され、「Wasserman-Wolf問題」として取り扱われてきました。

メキシコ国立自治大学で博士課程の学生であるラファエル・ゴンザレス氏は、以前からレンズと収差の問題について数学的に取り組んでいた一人。ゴンザレス氏によると、ある日の朝食で一切れのパンにヌテラを塗っていた時に、突然アイデアがひらめいたとのこと。「わかった!」と叫んだゴンザレス氏は湧いたアイデアをそのままコンピューターに打ち込んでシミュレーションを行ったところ、球面収差を解消できていたそうです。「あまりのうれしさに、いろんなところに飛び乗りました」とゴンザレス氏は語りました。以下の非常に複雑な数式が、レンズの表面を解析的に設計できる公式だそうです。

https://i.gzn.jp/img/2019/07/08/aberration-problem-solved/03_m.jpg

その後、ゴンザレス氏は同じく博士課程の学生で研究仲間であるヘクトル・チャパッロ氏と一緒に500本の光線でシミュレーションを行い、有効性を計算したところ、すべての結果で得られた平均満足度は99.9999999999%だったとのこと。以下は、ゴンザレス氏(画像右)が解析的に導き出した球面収差が解消されたレンズの図(画像左)です。

https://i.gzn.jp/img/2019/07/08/aberration-problem-solved/04_m.jpg

続きはソースで

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引用元: 【光学 】2000年以上にわたって科学者を悩ませた「レンズの収差問題」がついに解決される[07/09]

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1: 2017/10/30(月) 20:10:57.13 ID:CAP_USER
2300年前、アレクサンドリアの町をエウクレイデスとアルキメデスが散策し、クレオパトラの一族が王座に君臨していた頃、エジプトでは暴動や領土をめぐる争いが絶えなかった。
当時、エジプトを支配していたプトレマイオス朝は、マケドニア人を祖先とするギリシャ系王朝だったため、民族的緊張が度重なる暴動の一因だったともいわれている。クレオパトラは、そのプトレマイオス朝の最後のファラオであった。

 だが、科学誌「Nature Communications」に10月17日付で発表された新たな論文は、エジプトの騒乱にはもうひとつ別の、意外な要素が働いていたのではないかとしている。
歴史家、統計学者、気候科学者というちょっと変わった組み合わせの研究チームによると、その要素とは、エジプトから遠く離れた火山の噴火が引き起こした「水文気候学的ショック」なるものであるという。

「実際に歴史を動かすのは、王や皇帝、法王などの偉大な指導者の決断であるという考えがありますが、この論文によれば、環境の影響も見過ごすことはできないということです」。
論文の共著者で、アイルランドのダブリンにあるトリニティ・カレッジの気候歴史学者フランシス・ルドロー氏はそう語る。



エジプトはナイルの賜物

 19世紀後半にナイル川に最初のダムが建設されるまで、エジプトの農業は毎年やってくるモンスーンの雨だけに頼りきっていた。
エチオピア高原に夏の大雨が降ることで、ナイル川の下流に肥沃な土が運ばれ、小麦やその他の農作物を育てるための土地を整えてくれた。
ナイルの氾濫は古代エジプト人にとっては極めて重要な自然現象であり、西暦622年から正確にその記録がつけられてきた。


 ルドロー氏の研究チームは、そのナイル川の氾濫がなかった年と、火山の噴火に関連性があることに気づいた。
グリーンランドや南極で採取された氷床コアには、噴火による落下物が含まれていることから、噴火の年代が特定できる。
研究チームの気候モデルを分析すると、噴火によってできた硫黄ガスの雲は、太陽光を宇宙へ跳ね返して地球を冷やすだけでなく、熱帯モンスーンによる降雨量を時には数年間にわたって減少させていたことがわかる。

 紀元前305年からクレオパトラが死んだ紀元前30年まで続いたプトレマイオス朝時代には、まだ体系的な洪水の記録はつけられていなかったが、古代エジプトの中でも最も豊富に文字記録が残されている時期でもある。王の勅令が刻まれたロゼッタストーンも、この時代のものだ。
また、パピルスに長々と書かれた文は、当時の戦争、暴動、土地移譲、家族同士の諍いなどを伝えている。

 そして、これらの記録に記されていた騒乱が、氷床コアに記録が残っている火山の噴火と関係していることを、研究者らは発見した ルドロー氏によると、この地域では「海岸から数キロ内陸へ入ると、そこはもうほとんどサハラ砂漠で、雨が降りません。
ですから川が十分に氾濫しないと、食糧が不足します。人々は土地を棄て、食べ物を求めて都市部へ移動します。
それが緊張を高め、暴動が起こります。これらは全て、記録をたどることができます」
続きはソースで

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/101900059/
ダウンロード


引用元: 【歴史】新説:クレオパトラの没落と火山噴火の意外な関係

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