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アレクサンドロス

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1: 2019/03/05(火) 16:39:30.39 ID:CAP_USER
■大王の像や王家の住居などを発掘、ギリシャ人考古学者の挑戦

長くもどかしい発掘の最終日、カリオペ・リムネオス=パパコスタ氏はもう帰るつもりだった。エジプト、アレクサンドリアの中心部にある公園「シャララート・ガーデン」で、ギリシャ人考古学者の彼女が発掘調査を始めてから、もう14年が過ぎていた。目的は、ファラオになった古代の征服者にして、この街の名前のもとになった人物、アレクサンドロス大王の痕跡を探すことだ。しかし成果はなく、時間切れが迫っていた。

 そのとき、穴の中にいた助手たちが彼女を呼んだ。土から白い大理石のかけらがのぞいていると言う。それまでの発掘状況に落胆していたパパコスタ氏だが、白い石の輝きを目にして、希望が湧き上がるのを感じた。

「祈っていました」と彼女は振り返る。「ただの大理石のかけらではありませんようにと」

 祈りは通じた。遺物は、アレクサンドロス大王のあらゆる特徴を備えたヘレニズム期初期の像だと判明した。これが大きな励みとなり、気落ちしていた考古学者は発掘を続けることになった。

それから7年後、パパコスタ氏は現在のアレクサンドリアから10メートル余り下へ掘り進み、古代都市にあった王家の住居とみられる一画を発見した。

「古代都市アレクサンドリアの最初の土台部分が見つかったのは初めてです」と語るのは、ナショナル ジオグラフィック協会付き考古学者フレデリック・ヒーバート氏だ。「目の当たりにしたときは鳥肌が立ちました」

 しかも、ここから考古学上きわめて重要な発見が生まれるかもしれない。失われたアレクサンドロス大王の墓だ。

■上がる海面、沈む古代都市

 かつて世界最強のリーダーとなったアレクサンドロスは、父のフィリッポス2世が紀元前336年に暗◯されたため、わずか20歳でマケドニアの王位についた。その後の12年間、才気と野心にあふれた王は、ペルシャやエジプトなどライバルの帝国を倒しながら遠征し、エジプトでは自らをファラオと宣言した。紀元前323年、32歳で亡くなったものの、そのなきがらは安らかに眠ることはなかった。

 側近たちが議論した末、アレクサンドロスの遺骸はまずエジプトのメンフィスに埋葬され、次いで彼の名を冠した都市に移された。この地に作られた大王の墓を人々が訪れ、神殿のように崇敬した。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/ph_thumb.jpg
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/03.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/
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引用元: 【考古学】アレクサンドロス大王の墓、21年がかりで探求 大王の像や王家の住居などを発掘[03/05]

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1: 2019/02/09(土) 16:02:28.53 ID:CAP_USER
紀元前4世紀、ギリシャ北部のマケドニアから東方遠征を行い、たった10年でペルシャ帝国を滅ぼして、インダス河を超えたアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)の死について、ニュージーランドの研究者がついに原因を突き止めた!

■ペルシア制圧も32歳で死去

 アレキサンダー大王は、マケドニア国王のもとに生まれ、十代で哲学者アリストテレスに学び、20歳で父王の跡を継いでマケドニア王を継承。紀元前334年の東方遠征に先立って、北方のトラキアと南方のギリシャ本土を制圧したのち、同332年にはエジプトを占領し、ナイル河口にアレクサンドリア市を建設。



 翌年、ダレイオス3世が率いるペルシア軍10万を打ち破り、帝国を滅亡させたあとは、各地にアレクサンドリア市を建設しながら進軍を続け、同323年、ついにバビロンに帰還し、ペルシア、マケドニア、ギリシャの3地域を帝国に再編。その矢先に高熱に倒れ、10日後に32歳の若さで死去した。

■真説登場…なるか?


 大王の死をめぐっては、毒を盛られて暗◯されたとか、マラリアや西ナイル熱などの病死説のほか、ハチに刺されたなど、さまざまな説があるが、比較的最近の2014年に発表された論文では、強心剤や下剤などとして使われていた植物「ヘレボルス(クリスマスローズ)」の処方量を誤って、中毒を起こした可能性があると指摘されている。

続きはソースで

オタゴ大学のキャサリーン・ホール医学博士(Univ.of OTAGO/Department of General Practice and Rural Health)
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/1/28130/otago703211.jpg
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/1/28130/Aleksanteri_Suuri_331-323.png
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/1/28130/alex001.jpg

ハザードラボ
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28130.html
ダウンロード (8)


引用元: 【話題】アレキサンダー大王 ギランバレー症だった!「死亡時刻」には生きていた?[02/09]

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1: 2017/09/28(木) 10:17:20.50 ID:CAP_USER9
 伝説によると、アレクサンドロス大王によってつくられた都市は、人々がワインを飲み、哲学について語っていた夢のような場所だった。
この都市は2000年間にわたって消えてしまったと考えられていたが、最近不意に見つかった。


イラクと英国の考古学者らが、イラクで都市「Qalatga Darband」があった場所を発見した。
学者たちは1960年代に撮影された米中央情報局(CIA)の諜報画像を研究し、ずいぶん前からイラクの移住地に古代の壁の痕跡があることに気づいていた。


だが残念なことに、考古学者たちは地域の政治的不安定さのため長い間その場所を調査することができなかった。


だが最近、学者たちはドローンで撮影した新たな画像を入手し、
紀元前1世紀と2世紀にイラク・クルディスタン地域スレイマニヤ県ラニヤから南東に10キロの場所に都市が存在していたことを発見した。

続きはソースで

スプートニク日本
https://jp.sputniknews.com/science/201709274126556/
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引用元: 【考古学】CIAの諜報画像でアレクサンドロス大王の失われた都市がイラクで見つかる [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2015/07/24(金) 17:58:55.49 ID:???.net
アレクサンドロス大王の父の墳墓を特定か | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/072300194/

画像
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/072300194/map.jpg

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/072300194/ph_thumb.jpg
1970年代の終わりにギリシャのヴェルギナでこの墳墓を発掘した考古学者らは、被葬者は古代マケドニア王フィリッポス2世だと結論付けた。しかし、フィリッポス2世は近くにある別の墳墓に埋葬されていることを示唆する新しい証拠が見つかった。(Photograph by Petros Giannakouris, AP )
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/072300194/01.jpg
遺骨を元に復元を試みた フィリッポス2世の肖像。フィリッポス2世は敵の矢に打たれ片目を失明したが、名だたる息子、アレクサンドロス大王を除いては右に出る者のない、洞察力のある指導者だった。
(Photograph by James L. Stanfield, National Geographic Creative)


 新たな法医学的研究により、アレクサンドロス大王の父、古代マケドニア王フィリッポス2世の埋葬地を巡る長年の論争に終止符が打たれるかもしれない。

 1977年および1978年にギリシャのヴェルギナで王家の墳墓3基が発掘されて以来、フィリッポス2世はこのうち第2墳墓(「フィリッポスの墓」と呼ばれる)に埋葬されたものと多くの考古学者が考えていた。
ところが、このほど第1墳墓から発掘された成人男性の脚の骨を分析した結果、大きな槍傷の跡が見つかり、古代の文献にフィリッポス2世が339年の戦いで負ったと書かれている傷と一致することがわかった。(参考記事:「ギリシャの墳墓、眠るのは大王の親族?」)

 今月20日、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌に発表された研究論文によると、今回の発見はフィリッポス2世の埋葬場所を特定する初の証拠であるだけでなく、第2墳墓の副葬品のいくつかがアレクサンドロス大王のものであった可能性を示すものだという。

 第1墳墓に埋葬された3体の遺骨を分析したのは、今回の研究チームが初めて。遺骨は中年男性と、死亡時に18才くらいだったと推定される若い女性、そして性別の不明な新生児のものであることがわかった。この法医学的証拠も、古代の文献に記されたフィリッポス2世と7人の妻のうちの最後の妻、そして子どもの死亡時の年齢と一致する。

 紀元前336年に暗◯される3年前、フィリッポス2世はスキタイ人との戦いで得た戦利品の分配話がこじれた結果、トラキアのトリバリ人と争いになり、瀕死の重傷を負った。セネカ、プルタルコス、デモステネスなどが古代ギリシャの文献で記述した傷の厳密な位置は異なっているものの、どの文献もフィリッポス2世がその傷が原因で脚が不自由になったとしている。

 第1墳墓から発掘された成人男性の脚の骨には左膝の部分に大きな穴が開き、骨が癒着して関節が動かなくなる重傷の関節強直がみられる。

 脛骨と大腿骨の長さから、負傷前のフィリッポス2世は身長1メートル80センチ近くあり、当時にしてはかなり背が高かったとみられる。おそらく負傷してからは、フィリッポス2世の足はおぼつかなくなり、体のバランスを取るために頭を右側に傾けて歩いたと推測される。(参考記事:「アレクサンドロス大王時代の墳墓の謎深まる」)

続きはソースで

 
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(参考記事:「古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの」)

文=Nick Romeo/訳=キーツマン智香

引用元: 【考古学】アレクサンドロス大王の父(フィリッポス2世)の墳墓を特定か 古代文献に記された脚の傷跡を分析、従来説覆すか

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1: 2014/10/20(月) 22:59:45.57 ID:???.net
ギリシャ北部、古代ギリシャ都市アンフィポリス(現在のアンフィポリ)の遺跡の近くにある2300年前の墳墓で、若い赤毛の女神が冥界に連れ去られる場面を描いたモザイク床が発見された。この女神はゼウスの娘ペルセフォネと判明し、大理石でできた巨大な墳墓に埋葬されている人物を特定する手掛かりになることが期待されている。

アンフィポリスにある巨大なマケドニア様式の墳墓は、アレクサンドロス大王が艦隊を置いたエーゲ海の港のそばに位置する。
考古学者らによる調査の結果、アレクサンドロス大王が死亡した紀元前323年以降の混乱期にあたる紀元前325~300年頃に造られたものとみられ、大王と関係の深い人物のために建てられたのではないかとの憶測を呼んでいた。

続きはソースで


http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20141020004

引用元: 【考古学】ギリシャの墳墓に描かれた冥界の女王

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