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イスラエル

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1: 2018/10/10(水) 14:40:27.70 ID:CAP_USER
【10月10日 AFP】
現代ヘブライ語と同じつづりで「エルサレム」と刻まれた石柱が9日、イスラエル博物館(Israel Museum)で公開された。碑文は、約2000年前に、すでに現代と同じつづりが使われていたことを示している。

 石柱は2月、エルサレムの建設現場で考古学者が発掘したもので、ヘブライ文字で書かれたアラム語で「エルサレムのドダロスの息子のハナニヤ(Hananiah son of Dodalos of Jerusalem)」と刻まれている。ヘブライ文字でエルサレムは、現代と同じ「Yerushalayim(イェルシャライム)」の発音で記されている。

 第二神殿時代(1世紀)に「イェルシャライム」と書かれているのは非常に珍しく、通常は宗教的または政治的な文脈で使われることが多いと、イスラエル博物館のダビド・メボラッチ(David Mevorach)氏は指摘する。

「この碑文が重要なのは、日常的なものだからだ」と、メボラッチ氏は述べ、「宗教的、救世主的またはプロパガンダ目的で使われているわけではない。男性がこの都市の出身だと名乗っているだけだ」と説明した。

続きはソースで

(c)AFP

http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/5/0/810x540/img_50c9226b8baad90ad919b0873ffd5533253715.jpg
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/f/3/1000x/img_f3462d208852d9fc83b7c25bb33e4428216984.jpg

http://www.afpbb.com/articles/-/3192694?pid=20602861
ダウンロード (2)


引用元: 【考古学】「エルサレム」は2000年前も今と同じ表記、石柱で判明 イスラエル[10/10]

「エルサレム」は2000年前も今と同じ表記、石柱で判明 イスラエルの続きを読む

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1: 2018/03/16(金) 09:07:15.43 ID:CAP_USER
現在のイスラエルにある古代カナンの都市国家メギドで、3600年前の王家のものとみられる墓が発見された。
手つかずの墓に多くの財宝が眠っていただけではない。
考古学者らが興奮しているのは、紀元前15世紀初めにエジプトに征服されるまでこの重要な地を治めていた王朝について、新たな発見があるかもしれないからだ。

 メギドは、ハイファから南へ30キロ、現在のイスラエル北部に位置していた。
紀元前3000年から西暦1918年まで、5000年近くにわたって戦略的な要衝であり、交易路でもあった。
イズレル谷を見下ろすこの場所は、歴史を変えるような決定的な争いを数多く目撃し、「ハルマゲドン」と呼ばれるようになった。ハルマゲドンとは、ヘブライ語で「メギドの丘(Har-Meggido)」という意味で、その名は、聖書の黙示録に最初に登場する。

 記録に残るメギド最古の戦いは、紀元前15世紀前半、エジプトのファラオ、トトメス3世による進軍だ。
エジプト軍は要塞都市メギドを7カ月間包囲し続けた。
その結果、町はファラオに降伏し、カナンはエジプトに併合された。

 メギド(現在名はテル・エル・ムテセリム)では、115年前から科学的調査が実施されている。
現在は、イスラエルのテルアビブ大学のイスラエル・フィンケルシュタイン氏とマリオ・マーティン氏、そしてW・F・オルブライト考古学研究所のマシュー・アダムス氏率いる国際調査団が、1994年からメギドで発掘調査を続けている。

 その結果、青銅器時代から鉄器時代(紀元前3300~586年頃)にかけての宮殿や神殿、町の城壁といった遺跡が続々と発見された。
この場所は現在、世界遺産の一部に登録されている。だが、今回の墓発見は考古学者ですら予想していなかった。
時代は紀元前1700~1600年頃の中期青銅器時代の終わりごろ、強大なトトメスの軍によって王朝が滅ぼされる前、メギドの町が全盛期にあった頃のものである。

 発見のきっかけは、ある奇妙な現象だった。1930年代に発見された宮殿のすぐ横で、地面に亀裂が入っていることに考古学者らが気づいた。
何か見えない空洞か地下の構造物に砂が落ち込んでいるように見えたと、アダムス氏は振り返る。
そして2016年、ついにその原因が明らかになった。埋葬室につながる地下回廊を発見したのだ。

 埋葬室には、3人の遺体が収められていた。8~10歳の子ども、30代半ばの女性、40~60歳の男性と見られている。
遺体はいずれも手つかずで、指輪、ブローチ、腕輪、飾りピンなどの金銀の宝飾品で飾られていた。
男性の遺体には、黄金の首輪と黄金の冠が着けられていた。
宝飾品はどれも、優れた技術を持つ職人が製作した芸術性の高いものばかりである。

 考古学者は、墓が王宮のすぐ隣に作られている点にも注目した。

「構造物の大きさ、贅沢な副葬品、そして王宮のすぐそばに位置しているという点から、かなり位の高い人々の墓と考えられます」とフィンケルシュタイン氏は語る。

続きはソースで

画像:約3600年間手つかずだった墓には、遺体とともに数々の副葬品が収められており、考古学者らを驚かせた。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/01.jpg
画像:墓から見つかった男性の遺体が身に着けていた3600年前の黄金の首飾り。先端に水鳥の細工が施されている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/ph_thumb.jpg
画像:開けられる前の墓のモデル。埋葬室は右上、2枚の大きな石板が互いにもたれ合うように置かれている部分。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/02.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/
ダウンロード


引用元: 【考古学】3600年前の高貴な墓を発見、イスラエル古代カナンの都市国家メギド 黙示録「ハルマゲドン」の語の由来となった土地[03/16]

3600年前の高貴な墓を発見、イスラエル古代カナンの都市国家メギド 黙示録「ハルマゲドン」の語の由来となった土地の続きを読む

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1: 2018/01/26(金) 14:12:20.21 ID:CAP_USER
【1月26日 AFP】
アフリカ以外で最古の現生人類化石がイスラエルで発掘された。
現生人類がアフリカを出て移住した「出アフリカ」の時期をめぐっては、過去の遺伝学的研究で従来考えられていたより約5万年早かったことが示唆されており、今回の発見はこれを裏付ける証拠となり得る。

 今回見つかったのは、顎骨と数本の歯を含む顔の骨片の化石。
発掘現場は、イスラエルのカルメル山(Mount Carmel)に位置する
先史時代の洞窟遺跡の一つであるミスリヤ洞穴(Misliya Cave)遺跡だ。
化石は「ミスリヤ-1(Misliya-1)」と命名された。

 26日の米科学誌サイエンス(Science)に発表された論文によると、骨は17万4000年~18万8000年前のものとみられるという。
アフリカ以外で発見された現生人類の化石では、推定年代が9万年~12万年前のものがこれまで最古とされていた。

 論文の共同執筆者で、米ビンガムトン大学(Binghamton University)のロルフ・クアム(Rolf Quam)教授(人類学)は「ミスリヤは非常に興味深い発見だ」としながら、「われわれの祖先が最初にアフリカを出て移住した時期が従来考えられていたよりはるかに早かったことを示す、これまでで最も明確な証拠を提供している」と述べた。

続きはソースで

(c)AFP

画像:イスラエル・カルメル山にある先史時代のミスリヤ洞穴で見つかった顎骨の化石
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/9/b/700x460/img_9b0b9bb70de1f93d7f31ec21634c139961229.jpg
画像:化石が見つかったイスラエル・カルメル山にある先史時代のミスリヤ洞穴
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/e/5/700x460/img_e528a17d888ac85d765cb89f0ff7b35d333501.jpg

AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3160040?pid=19751091
ダウンロード


引用元: 【文化人類学】アフリカ以外で最古の現生人類化石、イスラエルで発掘[18/01/26]

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1: 2018/01/25(木) 22:24:37.34 ID:CAP_USER
死海文書の謎の解明に、また一歩近付くかもしれない。

 イスラエルにあるハイファ大学の研究者らは、まだ解読されていなかったクムラン洞窟の死海文書の一つを復元、解読したと発表した。
死海文書は900以上の写本からなり、70年ほど前に発見されてから依然として議論の的となっている。

〈364日のカレンダー〉

 今回の文書は、同大学のイシュバル・ラトソン氏とジョナサン・ベン=ドブ氏が1年かけて、60枚ほどの断片をつなぎ合わせ復元させたものだ。
羊皮紙に暗号で記されていた文章を解読することで、当時の人々のコミュニティや、使われていたと考えられる1年364日の暦を知る手がかりとなる。

「この364日という数字は4日と7日で割り切れるので、特定の祭事は毎年同じ日になります。
クムランの暦は常に一定なのです」と、ラトソン氏とベン=ドブ氏は発表している。

 今回の死海文書では、季節の変化を知らせる祭事のことを「テクファ―」と呼んでいる。
「時期」を意味するヘブライ語だ。このような祭事は他の文章からも明らかになっていたが、正式な名称はこれまでわかっていなかった。

 また、別の死海文書ですでにわかっていた二つの宗教行事に関しても詳述されている。
ワインとオイルの収穫を祝う祭りだ。
この二つの祭りは、エジプトに隷属していたユダヤ人の解放を祝う過越祭の期間中の最初の安息日から、それぞれ100日後と150日後に行われた。
現在でも行われているユダヤ人の収穫祭シャブオットの延長上にあるようだ。

続きはソースで

画像:壺の中で丸められた羊皮紙は、文字を書くために加工処理されたものだ。
ヘブライ大学の考古学者らによって、クムラン西部の洞窟から発見された。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012500031/ph_thumb.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=0c0b10c204

【参考動画】炭化した巻物をバーチャルに「開く」(解説は英語です)
https://youtu.be/UgwGm5Nzc_I



ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012500031/
images


引用元: 【考古学】死海文書を解読、ユダヤ祭事の記述 364日のカレンダーにワインやオイルの収穫祭[18/01/25]

死海文書を解読、ユダヤ祭事の記述 364日のカレンダーにワインやオイルの収穫祭の続きを読む

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1: 2017/12/11(月) 12:35:06.89 ID:CAP_USER
イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。
歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。

 しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。
西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。
そのため、ここが本当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、
現代の学者たちは疑問視していた。


 今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。

 分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。

 これまで、墓の内外から発見された建築的証拠は、最古のものでも11~12世紀の十字軍時代のものと測定され、墓が1000年以上古いことを示す証拠は何もなかった。

 新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。
この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、今回の年代測定の結果によって、墓の構造物はローマ皇帝初のキリスト教徒であったコンスタンティヌスの時代のものであることがわかった。

2016年10月、墓を取り囲むようにして建設されたエディクラと呼ばれる聖堂の大々的な修復工事を行うため、墓は数世紀ぶりに開かれた。
作業に当たったのは、アテネ国立技術大学の学際チームである。
 この時、エディクラの内部で数カ所から漆喰が採取され、年代測定を行うため研究所に運ばれた。
その結果は、エディクラ修復プロジェクトを率いたチーフ科学監督のアントニア・モロポーロー氏よりナショナル ジオグラフィックへ提供された。

続きはソースで

関連ソース画像
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2Fcontent%2Fpic%2F20171209%2F96958A9F889DE0E6E2E5EBE7EAE2E1E2E3E3E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXZZO2408491030112017000000-PN1-3.jpg?auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&ixlib=php-1.1.0&w=640&s=3e0bc8c1adbb57df42fca5dbcf9d9268
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2Fcontent%2Fpic%2F20171209%2F96958A9F889DE0E6E2E5EBE7EAE2E1E2E3E3E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXZZO2408494030112017000000-PN1-1.jpg?auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&ixlib=php-1.1.0&w=640&s=e9a15ad365157b60917e34167e18f365

日経スタイル
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO24079580Q7A131C1000000
ダウンロード (2)


引用元: 【考古学】「キリストの墓」の年代判明 本当に古代ローマだった

「キリストの墓」の年代判明 本当に古代ローマだったの続きを読む

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1: 2017/11/30(木) 02:50:08.09 ID:CAP_USER
イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。
歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。

 しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。
西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。
そのため、ここが本当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、
現代の学者たちは疑問視していた。

 今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。

分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。

 これまで、墓の内外から発見された建築的証拠は、最古のものでも11~12世紀の十字軍時代のものと測定され、墓が1000年以上古いことを示す証拠は何もなかった。

 新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。
この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、今回の年代測定の結果によって、墓の構造物はローマ皇帝初のキリスト教徒であったコンスタンティヌスの時代のものであることがわかった。

続きはソースで


画像:大理石の下の破片を除去する修復作業員。割れた大理石の間からのぞくのは、イエスのからだが安置されたと信じられている岩の表面。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112900463/01.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=04d0f20840

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112900463/
images


引用元: 【考古学】〈エルサレムの聖墳墓教会の石墓〉独占:「キリストの墓」の年代を科学的に特定

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