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イラク

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1: 2017/09/28(木) 10:17:20.50 ID:CAP_USER9
 伝説によると、アレクサンドロス大王によってつくられた都市は、人々がワインを飲み、哲学について語っていた夢のような場所だった。
この都市は2000年間にわたって消えてしまったと考えられていたが、最近不意に見つかった。


イラクと英国の考古学者らが、イラクで都市「Qalatga Darband」があった場所を発見した。
学者たちは1960年代に撮影された米中央情報局(CIA)の諜報画像を研究し、ずいぶん前からイラクの移住地に古代の壁の痕跡があることに気づいていた。


だが残念なことに、考古学者たちは地域の政治的不安定さのため長い間その場所を調査することができなかった。


だが最近、学者たちはドローンで撮影した新たな画像を入手し、
紀元前1世紀と2世紀にイラク・クルディスタン地域スレイマニヤ県ラニヤから南東に10キロの場所に都市が存在していたことを発見した。

続きはソースで

スプートニク日本
https://jp.sputniknews.com/science/201709274126556/
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引用元: 【考古学】CIAの諜報画像でアレクサンドロス大王の失われた都市がイラクで見つかる [無断転載禁止]©2ch.net

CIAの諜報画像でアレクサンドロス大王の失われた都市がイラクで見つかるの続きを読む

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1: 2016/03/16(水) 07:44:52.13 ID:CAP_USER.net
最古の国際都市ウル、50年ぶり発掘再開 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/031500018/


 イラク南部の荒涼とした砂漠。ここは世界最古の国際的な大都市があったとされる場所だ。一面が黄褐色のこの地で、発掘調査を進める考古学者らは黒檀の小片を発見した。
長さが小指ほどもないこの小片は、はるかインドから、4000年も前に持ち込まれたものだ。ここからグローバル経済の始まりが垣間見える。

 聖書にアブラハムの故郷と記されているウルの街は、紀元前2000年頃には富裕な帝国の中心都市だった。
西へ約1200キロ離れた地中海や、東へ約2400キロ離れたインダス文明(古代メソポタミアではメルッハと呼ばれていた)から貿易商がここに集まってきた。
(参考記事:「ラクダの家畜化は紀元前10世紀」)

「『メルッハの黒い木』について記された文献はありますが、実物が見つかったのは初めてです」と、発掘の共同リーダーを務める米ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のエリザベス・ストーン氏は言う。

 1920〜30年代にかけて、英国人考古学者のレオナード・ウーリー氏は、ウルの遺跡から黄金の兜や王冠、宝飾品など、3万5000点あまりの人工遺物を発掘した。
これは当時としては、エジプトのツタンカーメン王の墓にも匹敵する大発見であった。

 過去50年間、ウルとイラク南部の大半は、戦争や内戦のために立ち入りがほぼ禁じられていたが、昨秋、米国とイラクの合同チームが発掘を再開し、現地で10週間にわたり作業を行った。
昔とは違い、現代の考古学者たちは輝かしい黄金の遺物よりも、黒檀の小片のような、人類史において重要な時代の手がかりとなる品に注目している。(参考記事:「「イスラム国」が破壊した文化遺産」)

 ウルは、今は乾燥した平地だが、かつてはユーフラテス川沿いのにぎやかな港町で、運河が縦横に走り、たくさんの商船が行き交っていた。
倉庫や織物工場で溢れる街の中心には、ジッグラトと呼ばれる階段状のピラミッド型聖塔がそびえていた。その一部は今でも残っている。

 ここに集落が生まれたのは6000年以上前で、約1000年後に始まった青銅器時代初期にはかなりの規模にまで発展していた。
ウルでは、最古の文字のひとつであるくさび形文字も見つかっている。

 しかし一帯が最も栄えたのは、アッカド帝国が衰退した後、ウルがメソポタミア南部を支配した紀元前2000年頃のことだった。
広大な街には6万人を超える人々が暮らし、外国人居住区や、輸出用の毛織物や絨毯を生産する大規模な工場もあった。
インドやペルシャ湾からやってきた貿易商が活気ある港に集まり、現在のイラク北部やトルコからは隊商が定期的にやってきた。

続きはソースで

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※画像はイメージで本文と関係ありません

引用元: 【考古学】最古の国際都市ウル、50年ぶり発掘再開 古代メソポタミアの中核都市で、旧ソ連のような計画経済の痕跡が見つかる

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1: 2016/02/17(水) 18:05:22.46 ID:CAP_USER.net
メソポタミアのガラス玉? 「かなりの有力者の拠点」福岡の古墳から出土 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160217-00010006-nishinp-sctch

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 福岡県築上郡上毛町下唐原の大池西古墳(6世紀後半~7世紀)から昨年出土したガラス玉のうちの1個が、メソポタミア(現在のイラクなど)地域産のガラスを使った可能性が高いことが分かった。
ガラス玉は古代の装飾品として全国で多数出土しているが、ガラスの国産が始まる7世紀後半以前の遺跡から出土した外来産ガラスに関する調査・研究は、近年始まったばかり。
現段階で意義付けは難しいが、町民らは「そんな遠くから渡来したとは」と古代ロマンに思いをはせている。

 大池西古墳は、町営大池公園のため池西岸にある円墳。ガラス玉は昨年4月、町教委の発掘調査で、他のガラス玉など装飾品36点、馬具2点などとともに石室内で見つかった。
中心が膨らんだ円筒形のガラス玉は、長さ5ミリ、直径4ミリ。中心に1ミリ径の穴が開いている。
「全国でも200点ほどしかない、2枚貼り合わせの“重層ガラス”だった」(町教委)ため、奈良女子大古代学学術研究センター(奈良市)の大賀克彦特任講師に調査を依頼した。
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 大賀特任講師によると古代のガラス玉は、原料(二酸化ケイ素)に含まれる不純物や、原料の融点を下げるために混ぜる融剤の成分で、
(1)南アジア系(2)メソポタミア系(3)地中海(ローマ帝国)系-に分類可能。
今回のガラス玉は、融剤のナトリウムを得る材料に植物灰を使用したメソポタミア系と昨年秋、判明した。
大賀特任講師は「調査が進んでいないだけで、大陸への窓口だった北部九州には多いと予想される」と話す。

 町教委は「同時発掘の他のガラス玉には、南インド産もあった。町には他に首長クラスの古墳もあり、かなりの有力者の拠点だったことを補強する成果」としている。
古代ガラスをめぐっては2012年、京都府の古墳(5世紀前半)から出土した重層ガラス玉が、ローマ帝国製と判明し話題になった。

引用元: 【考古学】メソポタミアのガラス玉? 「かなりの有力者の拠点」 福岡の古墳から出土

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1: 36-202@一般人φ ★ 2013/08/17(土) 16:34:15.19 ID:???

 「世界最高気温は1921年7月8日、イラクのバスラで観測された58.8度」。長らく日本国内で知られたこの記録は、1922年の英気象学会誌に報告された「カ氏128.9度(セ氏53.8度)」が、34年に日本で出版された「気象学」(改稿版)に「58.8度」と間違って記載され、その後広まった可能性が高いことが分かった。

 気象庁気象研究所の藤部文昭環境・応用気象研究部長が文献をたどって調査し、日本気象学会の機関誌「天気」に発表した。
 「気象学」の著者は、中央気象台(現気象庁)の台長を務めた岡田武松氏(故人)。藤部さんは「状況証拠から誤記が疑われる。記録の出典を書いておいてほしかった」と話している。
 調査のきっかけは、世界気象機関(WMO)が昨年9月、世界最高気温について「1922年9月13日に
リビアのアジジアで58.0度を記録したのは観測ミスで、13年7月10日に米カリフォルニア州デスバレーで観測した56.7度が公式記録」と発表したことだった。

 しかし、日本では「気象年鑑」(気象業務支援センター発行、気象庁監修)で2007年版まで「バスラ58.8度」と記載されていた。インターネットの無料百科事典「ウィキペディア」も「気象庁の記録だとイラクのバスラ」として58.8度としている。

 お天気キャスターの森田正光さんがブログでバスラの記録は「なんだったのだろう」と疑問を呈し、藤部さんも出典が気になった。

 調査の結果、海外では1922年の英気象学会誌にウォルター・クレメンス氏がカ氏128.9度と報告したのが、25年にドイツの科学誌でフォン・G・ヘルマン氏によってセ氏53.8度と引用されたことが判明。

 国内では、34年に出版された「気象学」改稿版で「バスラでは、1921年7月8日に最高温度の58.8度が観測された。此地(このち)は高温多湿であって、炎暑が堪へ難い」と記されていたのが、最も古かった。

 欧米の文献では「バスラ58.8度」との記録は見当たらず、他の国内文献の記述の変遷からも、藤部さんは53.8度が58.8度と間違って記され、その後独り歩きした疑いがあると結論付けた。
 日付にも問題があり、英気象学会誌のグラフでは最高気温を記録したのは7月の15日と17日だった。
8日は一日の最低気温が最も高かった日だった。
 藤部さんは「海外の極端な観測値は信頼性がはっきりしないことがある。1位の数値にこだわるより、
高温の目安を知ることが大事との意見もあるが、気温の世界記録は子どもも興味を持つ身近な話題であり、信頼性を確かめておくことは意味があるだろう」と語っている。

▽画像 気象年鑑」(2007年版)の「世界最高58.8度バスラ、イラク」のページを示す気象庁気象研究所の藤部文昭さん
=15日、茨城県つくば市の気象研究所
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http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0130817at39_p.jpg

▽記事引用元 時事通信(2013/08/17-14:54)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2013081700142

依頼がありました
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1371639636/202



【気象】日本で有名な世界最高気温「バスラ58.8度」は誤記か?/気象研の続きを読む
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