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イングランド

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1: 2018/12/15(土) 15:16:59.82 ID:CAP_USER
■25隻を破壊、200人を◯したバーソロミュー・シャープはなぜ刑を免れたのか

 1680年、イングランドの海賊バーソロミュー・シャープと300人の部下たちは、中米のパナマ地峡を横断してスペインの船トリニティ号を拿捕すると、この船を利用して中南米の太平洋岸を行き交うスペイン船を次々と襲撃した。

 シャープの行いはやがて広く知れ渡るようになる。それは主に、彼らが非常に教養の高いバッカニア(17〜18世紀にカリブ海でスペイン船を襲った海賊たち)だったためだ。彼らのうち、シャープを含む5人が、詳細な日誌を残している。

 こうした記録からは、彼らが手に入れた財宝のうち最も価値の高いものの一つに、スペイン製の海図集があったことがわかる。シャープは後に、この地図帳を元にカラフルな図入りの英語版を作らせ、それをイングランド王に献上している。そしてこの贈り物によって、彼は裁判で無罪を勝ち取った。

 大胆不敵なその略奪行為が行われた現場はエクアドル沖だった。1681年7月29日の朝、シャープの海賊団の一人が、スペイン船の帆を見つけた。彼らはその後を追い、一斉砲撃によってスペイン人の船長を◯害し、船を乗っ取った。

 ロサリオ号からは、大量の陶器詰めワインとブランデー、果物、いくらかの金銭が見つかった。彼らは戦利品をトリニティ号に持ち帰ってから、ロサリオ号のマストを切り倒し、40人の乗組員を乗せたまま海に置き去りにした。

 このときロサリオ号には、鈍い灰色をした金属板700枚も積まれていたが、シャープらはこれを錫であると判断して手を付けなかった。後に、実はこれらが精製前の銀であったことが判明すると、海賊たちは大いに悔しがった。あれは「自分たちがすべての航海で手に入れた中で最高に豪華な略奪品」となったはずだと、船員の一人は記している。

 彼らはしかし、ロサリオ号で見つけたもう一つのお宝の価値は十分に理解していた。シャープはこれについて、自身の日誌の中で「莫大な価値を持つスペインの文書」と表現しており、また海賊団の一人は、以下のように書いている。「海図と地図が満載のすばらしい本で、南海(South Sea)のあらゆる港、水深、入江、川、岬、海岸に関する非常に正確かつ的確な描写と、この海にいるスペイン人が普段から駆使している航海術のすべてが詰まっている」

続きはソースで

■スペインの地図帳を手に入れたイングランドの海賊は大いに喜び、その英語版を作らせてイングランド王ジェームズ二世に献上した。図はグアテマラの地図(太平洋岸から見える火山が描かれている)。
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/121100543/02.jpg
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ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/121100543/
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引用元: 【歴史】25隻を破壊、200人を殺した17世紀の残虐な海賊を無罪放免にした1冊の地図[12/15]

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1: 2016/05/10(火) 07:28:03.50 ID:CAP_USER
沈没船から17世紀の王家のドレス見つかる | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/050900026/


 2015年に見つかった17世紀の沈没船からイングランド王家にまつわる貴重な衣服や品々が引き上げられ、このほどオランダの博物館で公開された。

 船が北海に沈んだのは、今から374年前のこと。沈没船からは、手の込んだ絹のドレスやストッキング、刺しゅう入りのポーチ、それにシラミ取り用のくしなどが見つかった。きわめて重要な発見と、専門家は言う。(参考記事:「世界最古のドレス、5000年前のものと判明」)

 2015年、オランダのテセル島に本部がある地元のダイビングクラブが、アムステルダムの北およそ100キロの地点で沈んでいる船を見つけた。この海域では、風や海流が変化する影響で、数百隻もの船が難破している。この船も数百年にわたって海底の砂に覆われていたが、これが幸いして織物が極めて良好な状態で保存されていた。(参考記事:「300年前の沈没船から財宝、王室献上コインも」)


決め手は義姉の手紙

 遺物の中にスチュアート家の紋章が刻印された革のブックカバーがあったことから、研究者たちはこれらの品々がイングランド王家にまつわるものと推測した。だが、テセル島のカープ・スキル博物館で遺物が公開される数週間前の時点でも、ドレスの持ち主ははっきりしなかった。

 そんな頃、アムステルダム大学とライデン大学の歴史学者らは、1通の手紙に目を付けた。1625年から49年までイングランド王であったチャールズ1世の王妃、ヘンリエッタ・マリアの義理の姉が書いたものだ。

 手紙が書かれたのは1642年。この年の3月に王妃ヘンリエッタ・マリアがイングランドからオランダに渡った際、船団のうち貨物船1隻が沈没してしまったと記されている。貨物船には、ヘンリエッタ・マリアの侍女2人とその女中たちの衣類、そして王妃個人の礼拝堂にあった品々が積まれていたという。

 沈没船から見つかった衣服について、研究者らは寸法や様式から、2人の侍女のうち年上のロクスバラ伯爵夫人、ジーン・カーのものと推定する。カープ・スキル博物館は、「このドレスを見てまず思ったのは、着ていたのはかなり大柄な女性だったのだろうということでした」とコメントしている。

 王妃ヘンリエッタ・マリアがオランダに向かったのは、表向きはその1年前にオラニエ公ウィレム2世と結婚させた11歳の娘を引き渡すためだったとされる。だが真の目的は、王室の貴重な品々を売り、その代金で武器を買って、夫であり王であるチャールズ1世を支援することだった。当時、チャールズ1世はイングランド議会とスコットランド議会が激しく対立する渦中にあった。(参考記事:「白いドレスの起源、英王室ウェディング」)

 遺物の一部は現在、カープ・スキル博物館で5月16日まで短期間展示されている。展示終了後にさらなる分析を行ってから、常設展示とする予定だ。ナショナル ジオグラフィックでは、オランダまで実物を見に行けない人のために、次ページにフォトギャラリーとして展示する。イングランド王室の貴重な品々を眺め、彼らの暮らしぶりに思いを馳せてみてはいかがだろうか。(参考記事:「フォトギャラリー:時代を映す衣装19点」)

続きはソースで

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引用元: 【海洋考古学】17世紀の沈没船からイングランド王家のドレス見つかる きわめて重要な発見、刺繍入りポーチやシラミ取り用のくしも [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2015/12/10(木) 08:15:08.39 ID:CAP_USER.net
ストーンヘンジの石柱は中古品だった? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/120900356/


 英国イングランド南部で、巨大な石柱が列をなすストーンヘンジ。先ごろ、この巨石をどのように切り出し、運んだかという謎の解明につながる新発見があった。
(参考記事:「沈黙の巨石 ストーンヘンジの謎」)

 英国の考古学者チームが2015年12月7日に発表したところによると、5000年ほど前にストーンヘンジの建設に使われた特徴的な「ブルーストーン」は、英国ウェールズにある新石器時代の採石場2カ所で切り出された数々の証拠を発見したという。

 かつてストーンヘンジに立っていたと推定される約80個のブルーストーンのうち、現在残っているのは43個だ。ブルーストーンはストーンヘンジの内側に馬蹄形に配置され、外側をそれよりもはるかに巨大な砂岩(サーセン石)の柱にぐるりと囲まれている。研究者らは採石場から発掘された遺物を精査し、先史時代の人々が
ブルーストーンを切り出した時期とその方法を特定した。

 採石場は、ストーンヘンジから陸路で北西およそ290キロにあるウェールズ、ペンブルックシャー北部のプレセリ山地にある。ブルーストーンの重さは1~2トン、高さは最大で2.4メートルほどだ。(参考記事:「ストーンヘンジの原点 最果ての巨石文明」)

 これらの採石場で見つかる火山岩や火成岩の特徴は、ストーンヘンジの内側に馬蹄形に並べられているブルーストーンと、ぴたりと一致する。地質学者によると、採石場一帯はブリテン諸島の中で唯一まだら模様のドレライト(粗粒玄武岩)が見つかる場所で、ストーンヘンジのブルーストーンにも多く用いられているという。

 採石場では、石器や土台、木炭、焼けたクリの実の他、採石場からの出口だったらしい道などが見つかっている。「ブルーストーンのおおよその産出地は以前からわかっていましたが、今回の発見の素晴らしい点は、実際の採石場が特定できたことです」。プロジェクトの統括者で、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のマイク・パーカー・ピアソン氏はそう語る。「ここには土台、傾斜路、荷の積み降ろし区画など、広大な施設が築かれていました。露頭のくぼみには、木製のくさびを打ち込んだ跡も確認できます」

 木炭と焼けたクリの実から放射性炭素年代測定を行ったところ、新石器時代に当たる5200~5400年前に、この採石場で人の活動があったことが明らかになった。
一方、ストーンヘンジが建てられたのは、5000年前よりは後のことと考えられている。これらを考え合わせると、一つの疑問がわいてくる。切り出された石は400年もの間、いったいどこにあったのだろう。(参考記事:「ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡」)

「これはとても興味をそそられる問題です。新石器時代の人々が500年近くかけて石をストーンヘンジまで引きずっていった可能性もなくはありませんが、あまり現実味がありません。むしろ、石はまずどこか採石場の近くにあるモニュメントで使用され、のちにそれが解体されたときに、ストーンヘンジのあるウィルトシャーへ運ばれたと考えるほうが妥当でしょう」とパーカー・ピアソン氏は言う。彼のチームは、2016年の調査でその「近場のモニュメント」の場所を特定し、どんなものだったのか解明することを目指している。

続きはソースで

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引用元: 【考古学】ストーンヘンジの石柱は中古品だった? 採石場所と時期を特定、ストーンヘンジ建設までに400年のずれ

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1: 2014/12/04(木) 09:05:16.76 ID:???.net
リチャード3世の骨、DNA鑑定で非嫡出子の謎浮上
2014年12月03日 13:34 発信地:ロンドン/英国

【12月3日 AFP】2012年に英中部レスター(Leicester)で見つかった人骨のDNA鑑定を行った結果、15世紀のイングランド王リチャード3世(Richard III)のものであることが確認されたことに加え、数百年にわたり英国を統治した君主たちの系譜に疑問を投げかける「誤った父子関係」も示されたとの論文が2日、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)で発表された。

論文によると、リチャード3世の姉アン(ヨーク家のアン、Anne of York)の子孫2人とDNAが一致したことから、人骨は「合理的疑いの余地なく」リチャード3世のものであることが分かったという。

だが一方で、リチャード3世の曽祖父の兄のジョン・オブ・ゴーント(John of Gaunt)から続く同家系の男系の子孫とは一致しなかった。
これは、ある時点で、公式の家系図に書かれた父親とは違う父親を持つ子どもがいたことを意味する。

------------引用ここまで 全文は記事引用元で---------------

▽記事引用元
http://www.afpbb.com/articles/-/3033295
AFPBBNews(http://www.afpbb.com/)2014年12月03日 13:34配信記事

▽関連リンク
・Nature Communications 5, Article number: 5631 doi:10.1038/ncomms6631
Received 05 August 2014 Accepted 21 October 2014 Published 02 December 2014
Identification of the remains of King Richard III
http://www.nature.com/ncomms/2014/141202/ncomms6631/full/ncomms6631.html
・University of Leicester
King Richard III: DNA and genealogical study confirms identity of remains found in Leicester and uncovers new truths about his appearance and Plantagenet lineage
http://www2.le.ac.uk/offices/press/press-releases/2014/december/king-richard-iii-dna-and-genealogical-study-confirms-identity-of-remains-found-in-leicester-and-uncovers-new-truths-about-his-appearance-and-plantagenet-lineage

引用元: 【考古】リチャード3世の骨 DNA鑑定で非嫡出子の謎浮上/英レスター大学

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1: パロスペシャル(家) 2013/11/02(土) 08:11:57.23 ID:Jrq7FA7+P BE:1510400737-PLT(22223) ポイント特典

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20131101002
A. R. Williams,
National Geographic News
1800年前の鷲の彫像がロンドンで発見された。考古学者チームによると、身悶えするヘビをクチバシにくわえているという。
イングランド中央部、コッツウォルズ産の石灰石を彫刻したもので、高さは65センチ。破損している右側の羽を除けば、保存状態も非常によい。
発掘場所の16階建てのホテル建設予定地には、墓の土台も埋まっていた。専門家によると彫像は、高級官僚や裕福な商人など、ローマ時代のロンドン市民の墓を装飾していたという。

◆ロンディニウムの生活
彫像が作られた当時の古い呼び名「ロンディニウム」は、テムズ川に沿って伸びる城郭都市で、人口は3万人ほど。発掘された墓は、都市の外部に通じる道路沿い、城壁のすぐ外側の墓地に建っていたと見られる。現在のロンドン塔に近い一帯だ。
蛇を貪り食う鷲のモチーフは、悪魔に対する神の勝利を表している。ローマ神話で、鷲はローマ神殿の主神ジュピター(ユピテル)の象徴だった。
また、亡くなった皇帝の魂を天国まで運んでいく鳥と考えられており、墓の装飾にふさわしいと考えられていたのだろう。

◆歴史的な芸術品
芸術品としても第一級で、ロンドンで発掘されたローマ時代の彫刻の中でも、指折りの技量が発揮されている。当時は富と見識を公に示す装飾で、遠く離れた辺境地でも、亡き皇帝がローマ支配下の人々の習慣や信条に溶け込んでいた様子がうかがい知れる。
彫像が現代に蘇ったのは、数カ月間続いた発掘作業があと数時間で終わろうとする直前だった。考古学者が掘り当てたときには、泥で覆われていたという。
予備的なクリーニングを行った時点では、彫り目があまりにも鮮明に残っていたため、ビクトリア時代の庭のオブジェのように見えたという。
ロンドン博物館では半年に渡って一般公開する予定だ。研究が進めば、古代の墓地や墓、ローマ時代の市民生活やその死について、新たな知見が得られるだろう。

新たに発掘されたローマ時代の石灰石像をクリーニングするロンドン博物館の保存管理者ルイーザ・デュアルテ(Luisa Duarte)氏。
Photograph by Andy Chopping, EPA
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http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_images/roman-eagle-sculpture-london_72996_600x450.jpg



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