1: 2015/01/31(土) 14:24:09.00 ID:???.net
遺伝子を解析する技術が急速に進展している。1990年に始まったヒトゲノム解析計画では十数年の歳月と約1000億円をかけて、人の遺伝暗号(ヒトゲノム)が読み取られた。2000年6月26日、ヒトゲノム暗号のほとんどが解読されたのを祝して、米国のホワイトハウスでプレス・カンファレンスが開催されたのは、私にとっては感慨深い思い出だ。

 クリントン大統領(当時)がこの日、フランシス・コリンズ博士(当時、国立ヒトゲノム研究所長、現在は国立衛生研究所=NIH=のトップ)とクレグ・ベンター博士(セレラ社社長)を引き連れてカンファレンス会場に入ってきた。会場には1953年にDNAの二重螺旋らせん構造を発表して、後にノーベル賞を受賞したジム・ワトソン博士もいた。

 クリントン大統領のスピーチに続いて、イギリスのトニー・ブレア首相(当時)が衛星中継でスピーチした。
イギリスの会場には遺伝暗号解析法を開発したフレデリック・サンガー博士が控えている。ブレア首相はこのプロジェクトに貢献した国として、まず日本の名前を挙げたが、クリントン大統領の2回目のコメントでは日本は抜け落ちた。両者に続いて、コリンズ博士、ベンター博士のスピーチと続いた。まさに、医学研究に革命的といえる進歩が起こった記念すべき日であった。

 1988年、当時ミシガン大学にいたコリンズ博士から、「ミシガン大学に移って一緒に研究しないか」と誘われたことが頭によぎる。
もし、あの時移籍していれば、ホワイトハウスで歴史的な瞬間を見ることができたのではないかと。

 日本が科学立国、特に生命科学の分野での世界的な貢献を目指し、それを国の基盤にする意思があるなら、このプレス会見に日本の総理が同席できなかった無念をかみ締めるべきではなかったのかと、今更ながら思う。

 大変な作業であったゲノム暗号解読が一段落した後、世界ではゲノム研究が勢いを止めることなく進められ、ハップマップ計画(個人間での遺伝暗号の違いをデータベース化した。日本は約25%の貢献)、1000人ゲノム計画(1000人分の全ゲノムを読み解く計画。
日本の貢献はゼロ)、がんゲノム解析計画(日本の貢献は約5%)と続いた。日本の世界への貢献は、線香花火のように、ハップマップ計画の一瞬で燃えつきてしまった。

日本の代わりに台頭したのは中国や韓国の企業だった。米国の企業に割り込む形で遺伝子解析産業に進出し、今やゲノム解析を提供する企業に試料を提出すると、約50万円・2週間程度で結果が返ってくる。解析に必要な試薬のコストは1000ドルを切っているが、高額な機械やそのメンテナンス、人件費、コンピューター関係の費用を積み上げると、1人分のゲノム解析費用は10万円切るまでは至っていない。 

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http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=110818

引用元: 【ゲノム】シカゴ大・中村祐輔氏「近藤誠氏の『がんもどき論』は破綻している」

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