理系にゅーす

理系に関する情報を発信! 理系とあるものの文系理系関係なく気になったものを紹介します!

ヤマト

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
1: 2018/11/11(日) 20:09:50.77 ID:CAP_USER
「始まりの国」淡路島から「陰の王国」大阪に向かう船の上にて。大阪と奈良の山並みを遠望する(筆者撮影、以下同)(他の写真を見る)

 新潮文庫「古代史謎解きシリーズ」の淡路島・大阪編を上梓した(『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪』)。毎度おなじみ、新潮文庫編集部・高梨通夫氏と、凸凹道中だ。

 今回の取材は、大阪が中心のはずだったが、淡路島で、意外な発見があった。淡路島は、瀬戸内海を塞ぐ巨大な「フタ」で、西側の海域は古代の海人(あま)の楽園だった。そしてここに、淡路島のみならず、ヤマト建国、古代史の謎を解くための大きなヒントが隠されていたことに、気付かされたのだ。

 淡路島はイザナキとイザナミが磤馭慮(おのころ)島の次に生んだ土地だ。また、伊勢内宮(三重県伊勢市)と淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)、そして葛城山は同緯度線上にあって、聖なるラインを形成している。だから、伊弉諾神宮はパワースポットと信じられ、多くの参拝客が訪れる。淡路島は、日本を代表する聖地なのだ。

 しかし一方で、淡路島は「罪を犯した貴種を流竄する場所」でもあった。8世紀に淳仁天皇と早良親王がこの島に流された(早良親王は移送途中で亡くなり、遺骸が淡路島に埋葬された)。この、光と影を、どう説明すれば良いのだろう。

 ここに、淡路島の複雑な歴史が隠されている。順番に説明していこう。ヤマト建国前後に、淡路島は大きく揺れ動いていたのだ。

■淡路島の立場

 近年淡路島で、弥生時代後期の鉄器生産工房が2つみつかっている。五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)と舟木遺跡(同市舟木)だ。

 五斗長垣内遺跡が先にみつかり、すでに復元され、公園になっている。弥生時代後期の1世紀ごろに約100年続いた鍛冶工房だ。かたや舟木遺跡は、弥生時代後期の2世紀半ばから3世紀の遺構で、こちらは邪馬台国の時代の鉄器工房だ。

 邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、それはまちがいだ。さらに、淡路島から出土した銅鐸は、出雲のものと兄弟関係だったことが分かっている。淡路島に鉄の素材を流していたのは、出雲だろう。ここに、淡路島の立場が示されている。

 弥生時代の最先端地域は北部九州で、朝鮮半島の鉄を独占的に入手していた。連載中述べてきたように、北部九州は天然の要害に守られたヤマトの発展を恐れ、策を練って出雲と手を組み、関門海峡を封鎖して鉄の流通を止めたのだった。さらに、「北部九州+出雲連合」は、淡路島に鉄を流し、味方につけ、明石海峡を支配して、通せんぼうをしていたのだろう。

■明石海峡の争奪戦

『播磨国風土記』(播磨国は兵庫県。淡路島の対岸)に興味深い記事が載っている。

 出雲神とアメノヒボコ(天日槍)が、播磨で戦っていたという。『日本書紀』に従えば、アメノヒボコは第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇の時代の人だ。崇神天皇がヤマト建国の初代王と目されていて、アメノヒボコはヤマト黎明期、歴史時代の人なのだから、神と戦うのはおかしい。

 ただし、『播磨国風土記』は、朝廷に提出した原本を(おそらく複写して)手元に残しておいたものが今に伝わったものだ。要は、「8世紀の藤原政権のチェックを受ける前の原稿」なのだ。『日本書紀』の時代設定と矛盾するからといって、これを無視することはできない。

『播磨国風土記』の編者は、貴重な伝承を記録してくれたと思う。「出雲」はなぜ播磨に進出していたのか。そしてアメノヒボコと播磨で戦ったのはなぜか。

続きはソースで

https://www.fsight.jp/mwimgs/b/5/400/img_b5e3facd5a1bdb46efa4a66675692f902237014.jpg
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/11101130/
ダウンロード


引用元: 【古代史】「ヤマト建国」に隠された淡路島の「不運な歴史」[11/10]

「ヤマト建国」に隠された淡路島の「不運な歴史」の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
1: 2016/07/13(水) 00:21:40.03 ID:CAP_USER9
島内139地下式横穴墓で出土した、のみ状工具(上)と鉄鉗=12日、奈良市の元興寺文化財研究所
http://www.nishinippon.co.jp/import/culture/20160712/201607120007_000.jpg
エックス線CT画像で解析・加工した、のみ状工具(上)と鉄鉗。波状文様の象嵌が施されている(鹿児島大総合研究博物館提供)
http://www.nishinippon.co.jp/import/culture/20160712/201607120007_001.jpg
島内139号地下式横穴墓の発見時の様子(宮崎県えびの市教育委員会提供)
http://www.nishinippon.co.jp/import/culture/20160712/201607120007_002.jpg

 宮崎県えびの市にある島内(しまうち)地下式横穴墓群で、昨年出土した鉄製の鍛冶道具に銀象嵌(ぞうがん)の模様があることが12日、分かった。元興寺文化財研究所(奈良市)などが同日発表した。当時の象嵌は大半が大刀の装飾に使われており、鍛冶道具では全国初の発見という。

 139号墓(6世紀前半)で見つかったペンチ形工具「鉄鉗(かなはし)」(全長約15センチ)とノミ状工具(同約20センチ)に波形文や日輪文の銀象嵌があった。保存処理を委託された同研究所がX線撮影したところ、表面を覆うサビの下に模様を発見した。

続きはソースで

ダウンロード (1)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/258517
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG12H5A_S6A710C1CR8000/

引用元: 【宮崎】「朝鮮半島製か、渡来系工人が製作した可能性が高い」 国内初、古墳時代の鍛冶道具に銀象眼 えびの市の地下式横穴墓群©2ch.net

【宮崎】「朝鮮半島製か、渡来系工人が製作した可能性が高い」 国内初、古墳時代の鍛冶道具に銀象眼 えびの市の地下式横穴墓群の続きを読む

このページのトップヘ