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ユーラシア大陸

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1: 2016/07/28(木) 10:48:13.10 ID:CAP_USER
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20160728/20160728-OYTNI50004-L.jpg
カリコテリウム類の復元画(小田隆さん画)

http://www.yomiuri.co.jp/photo/20160728/20160728-OYTNI50005-L.jpg
カリコテリウム類のものと判明した化石=いずれも岐阜県博物館提供

岐阜県博物館(岐阜県関市)は、同県御嵩町で発掘され、サイとして収蔵していた化石が、絶滅した哺乳類・カリコテリウム類の化石だったと発表した。
日本では初の発見で、国内での生息が証明された。

化石は右後ろ脚の太もも部分で、長さ約60センチ、幅約10センチ。
1917年以前に、同町内の1800万年前の地層から見つかったとの記録があるだけで、詳細は不明という。
同町一帯にサイが生息していたことから、サイとされたとみられるが、大阪大総合学術博物館の半田直人・研究支援推進員と、河部壮一郎・福井県立恐竜博物館研究職員が詳しく調べ、骨の膨らみ方などがサイと違うことが判明。

続きはソースで

ソース元:
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20160728-OYTNT50018.html

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引用元: 【古生物】「サイの化石」実は絶滅哺乳類カリコテリウム類だった 日本では初の発見[07/28] [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/07/02(土) 09:51:50.55 ID:CAP_USER
東アジア最大級か=石垣島の旧石器遺跡―約2万年前の人骨、十数人分・沖縄 (時事通信) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160702-00000008-jij-sctch
http://amd.c.yimg.jp/amd/20160702-00000008-jij-000-3-view.jpg


 沖縄県・石垣島(石垣市)で2007年、新石垣空港の建設に伴い見つかった旧石器時代の遺跡「白保竿根田原洞穴」の発掘調査が今月終了する。これまでに発見された人骨片は約1000点で、男女十数人分に上る。最も古い物は約2万4000年前で、年代を直接推定できた人骨では国内最古。発掘に携わる元琉球大准教授の土肥直美さんは「東アジア最大級の旧石器人類遺跡」と評価している。 

 人骨の形態やDNAなどの分析が進めば、ユーラシア大陸を移動して沖縄にたどり着いた当時の人々の暮らしぶりが明らかになると期待される。沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座久宜調査班長は「12年度から5カ年の調査は終わるが、遺跡は現場で保存される。今後の活用は石垣市教育委員会や文化庁と検討したい」と話している。

 石灰岩が浸食されてできた洞穴は、発掘が進んだ現在は露天のくぼ地になっている。6月30日の調査では、すぐ近くの滑走路をジェット機が爆音を立てて離着陸する中、研究者らが腹ばいになって岩陰の奥に手を入れ、約2万年前の腕や肩などの骨の断片を土から慎重に取り上げた。年代測定やDNA分析に必要な骨内部のコラーゲンが劣化しないよう、すぐ袋に入れ密封した。

 土肥さんは「骨は化石化して重く、手に持つと何とも言えない。掘り出しながらわくわくする。人類学者として幸運だ」と話す。人骨片は多数出たが、生活ぶりを示す石器などは見つかっていないため、12年に学会で「洞穴が墓に使われていた可能性がある」と発表したが、はっきりしない。

 国立科学博物館の河野礼子研究主幹は頭骨のX線コンピューター断層撮影(CT)を進めており、顔の復元を目指している。土肥さんは「体格を分析し、どういう筋肉の使い方をしていたか分かれば、当時の生活を知る情報になる」と語る。

 遺跡の約2万年前の人々が縄文人の直接の祖先に当たるか、今後解明する必要がある。同博物館の海部陽介人類史研究グループ長らは、3万年前の人類が大陸と地続きだった台湾から舟で沖縄の島々に渡ったと推定。今月中旬、与那国島から西表島まで草舟で航海する実験を行う。

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引用元: 【考古学】東アジア最大級か=石垣島の旧石器遺跡―約2万年前の人骨、十数人分・沖縄 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2015/05/06(水) 07:43:22.76 ID:???.net
インド亜大陸の加速原因推定=3倍速で北上、ユーラシア衝突―大地震の背景・米大学 (時事通信) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150505-00000047-jij-sctch

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 かつて独立していたインド亜大陸が南から北への移動速度を約3倍に上げ、約5000万年前にユーラシア大陸に激しく衝突してヒマラヤ山脈を隆起させた二つの要因を米国のマサチューセッツ工科大と南カリフォルニア大の研究チームが推定し、英科学誌ネイチャー・ジオサイエンス電子版に5日発表した。

 インド亜大陸のプレートはユーラシア大陸のプレートに衝突後、その下に沈み込んでおり、ネパールの大地震はその沈み込み部分が急にずれて起きた。研究成果はヒマラヤ山脈付近で採集した岩石の分析やコンピューター・シミュレーションに基づいており、この地域の大地震の仕組みを解明するのに役立つと期待される。

 第1の要因は、インド亜大陸のプレートが約8000万年前に分割され、横幅が約1万キロから約3000キロに縮小したことで、北へ移動しやすくなった。
 第2に、当時はこのインド亜大陸とユーラシア大陸の間に「テチス海」があり、インド亜大陸のプレートがテチス海のプレートの下へ沈み込むとともに、テチス海プレートがユーラシア大陸の下へ沈み込む運動が起きていた。このダブル運動により、北へ引っ張られる力が大きくなったという。 

 インド亜大陸は、大昔は巨大な「ゴンドワナ大陸」の一部だった。約1億2000万年前にゴンドワナ大陸の分裂が進み、インド亜大陸が北上し始めたころの移動速度は、年間約4センチだった。しかし、約8000万年前にインド亜大陸が分割されてスリムになり、ダブルのプレート沈み込み運動が強まると、年間約15センチまで加速したという。

引用元: 【地球科学】インド亜大陸の加速原因推定=3倍速で北上、ユーラシア衝突―ネパールの大地震の背景・米大学

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1: 2015/03/02(月) 21:03:42.04 ID:???.net
掲載日:2015年3月2日
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150227/437373/

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5万5000年前の現生人類の頭蓋骨の一部。2015年1月、ガリラヤ西部のマノット洞窟で発見された。人類がネアンデルタール人と同時期にレバント地方にいたことを示唆している。(Photograph by Menahem Kahana, AFP, Getty Images)
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150227/437373/ph_thumb.jpg

 人類はどこから来て、どうやって拡散したのだろう?

 はじめの疑問に対しては、遺伝学の研究が説得力のある答えを見出している。現生人類の祖先はアフリカで進化したというものだ。

 人類はその後、6~5万年前に一気にユーラシア大陸に広がった。そしてこのたび米国の2人の考古学者が、初期人類がアフリカを出てから広く拡散するまでの道のりを明らかにしたと発表した。パンくずのように残された石器の跡をたどると、私たちの祖先はいったんアフリカから緑のオアシスだったアラビア半島へと遠回りし、5万年間ほど定住。続いて中東に移動して、そこではじめてネアンデルタール人と遭遇したという。

 石器のスタイルや作り方の類似点からすれば、エジプトのナイル川流域で最初に作られたものが、次にアラビア半島、最終的にはイスラエルの石器に繋がっていると研究者らは説明する。携帯電話の進化同様、石器は時代を経るごとに着実に小型化、複雑化していた。

初期の現生人類の化石は、エチオピアのオモ川流域とアワッシュ川中流域のヘルト・ボウリから出土した。そして15万年前に、エジプトのナイル川流域で人類は石器を作り始める。以前の研究では、人類がアフリカを出てシナイ半島を経由し、レバント地方に至る拡散ルートを追いかけていた(時計回りの矢印)。一方、最新の研究で、アラビア半島に渡った人類は5万年ほど半島に定住し、その後レバント地方に北上するルートが明らかになった(反時計回りの矢印)。
そのレバントで人類がネアンデルタール人から道具作りの技術を拝借した可能性がある。

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http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150227/437373/01.jpg

 「考古学者たちは、“アフリカから中東”のルートばかりに焦点を合わせていたので、アラビア半島における1章をまるごと見過ごしてきたのです」と述べるのは、「Quartar」誌2月号に掲載された論文の共著者で、ロニン・インスティテュート(Ronin Institute)の人類学者であるジェフリー・ローズ氏だ。

 エチオピアのオモ川流域やヘルト・ボウリなどから出土した化石によると、人類誕生の地はおよそ20万年前のアフリカである。

 道具作りの観点では、古代から現代へ人類の行動が移り変わる過程は、約5万年前の「エミラン」と呼ばれる石器の様式にはっきりと現われている。だが、1951年にイスラエルのガリラヤ湖付近の洞窟で、尖頭器や石刃、削器をはじめとするエミランが初めて発見されて以来、高度な道具作りがどこで始まったのか、考古学者らはずっと頭を悩ませてきた。

 「エミランは橋渡し的な技術です。一体どこからやって来たのでしょうか」と、ナショナル ジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラー(新進支援研究者)でもあるローズ氏は疑問を投げかける。

続く 

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引用元: 【古人類】ネアンデルタール人と人類の出会いに新説 高度な石器文化をネアンデルタール人から受け継いだ可能性も

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1: 2015/01/27(火) 22:30:00.01 ID:???.net
 「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤ山脈は、どのようにしてできたのか。

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ベンガル湾で掘削調査を行う米国の掘削船「ジョイデス・レゾリューション号」
(国際深海科学掘削計画提供)

 インド洋・ベンガル湾の海底を掘り、その謎に迫ろうという日米などの大規模調査が2月に始まる。
 山脈が隆起した際、崩れて海に流れ込んだとみられる土砂を調べる試みで、掘削船が近く、シンガポールを出港する。調査は世界26か国が参加する「国際深海科学掘削計画」の一環で、日本は海洋研究開発機構が窓口を務める。

 ヒマラヤ山脈は約5000万年前、インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、盛り上がってできたとされ、その際にベンガル湾の広い範囲に土砂が流れ込んで海底に堆積したと考えられている。
 今回の調査は米国の掘削船を使い、スリランカの東沖約500キロ・メートルの6か所で、海底を0・3~1・5キロ・メートル掘削する。各国の約30人の研究者が乗り込み、日本から、信州大や島根大などの研究者や大学院生が参加しているという。YOL
http://www.yomiuri.co.jp/science/20150127-OYT1T50103.html

インド洋
ttp://blog.zaq.ne.jp/daishizennikeikenna/img/img_box/img20120418101112066.jpg

引用元: 【地学】ヒマラヤの謎、海で探る…ベンガル湾海底掘削へ

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