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ローマ

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1: 2018/01/26(金) 15:23:24.89 ID:CAP_USER
西暦1世紀が終わる頃、裕福なローマ人が開く宴には、どんな料理が並んでいたのだろうか。
一皿目はおそらくガルム味の豚で、次はガルム味の魚だろう。
そして料理と一緒に供されるワインにも、やはりガルムが入っていたはずだ。

 古代ローマの料理にこれほど多用されていた調味料ガルム(garum)とは、いったいどんなものだったのか。現代の調味料で最もガルムに近いと思われるのは、東南アジア料理の定番である、発酵させた魚と塩から作る液体状の魚醤(ぎょしょう)だ。
現代の魚醤と同じく、ローマのガルムも発酵させた魚(具体的には内臓)と塩から作られていた。
ローマ人はこれをそのまま味付けに使うほか、コショウ、酢、ワイン、オイル、飲料水といった材料と組み合わせて用いていた。


 ガルムが古代ローマ料理に欠かせない調味料となるにつれ、これを漁場から食卓に運ぶための広大な交易路が形成されていった。
現代の高級食材と同様、最高級のガルムは天文学的な値段で取り引きされた。

 料理に彩りを添えるだけでなく、ガルムは医療にも用いられた。
タンパク質を豊富に含むこの調味料は、回復期の患者の食欲を増進し、またさまざまな病に対する治癒効果があると考えられていた。
大プリニウスは自著『博物誌』に、ガルムは赤痢や、イヌに噛まれた傷の優れた治療薬であると記している。
プリニウスはまた、ガルムは耳の痛みにも効果があり、アフリカ産のカタツムリのガルム漬けを食すと胃の病気が治ると考えていた。

続きはソースで

画像:ポンペイで出土した1世紀のモザイク。地中海の豊かな海産物が描かれている。
ナポリの国立考古学博物館所蔵。ローマで人気の高かった調味料ガルムには、主要な材料としてさまざまな種類の魚が使われていた。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012400030/01_m.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012400030/
images


引用元: 【考古学】古代ローマで大人気、万能調味料「ガルム」とは 発酵させた魚と塩から作る魚醤、交易路の形成にも寄与[18/01/25]

古代ローマで大人気、万能調味料「ガルム」とは 発酵させた魚と塩から作る魚醤、交易路の形成にも寄与の続きを読む

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1: 2017/12/24(日) 03:59:59.68 ID:CAP_USER
類の歴史は、言ってみれば「失敗の歴史」だ。たった一つの選択の誤りが、国や民族の行く末、さらには世界の運命を変えてしまったことさえある。歴史上、少なからぬ人々が、二者択一の選択問題を間違えてしまった。
それらの判断の多くは、そのときには「一番良い考え」に思えたものばかりである。

 ナショナル ジオグラフィックの書籍『失敗だらけの人類史』は、そのような歴史的な「失敗」の数々を取り上げ、何を間違ったのか、その結果どうなったのかを解説する本だ。
ここでは同書から、「象でアルプスを越えた英雄」として有名な名将ハンニバルの物語を紹介したい。
傲慢さと性急さから判断を誤り、ローマ征服という野望を達成できなかった人物である。

〈ローマとの戦い〉

 ハンニバルは紀元前247年、ローマによる征服の危機に瀕していたカルタゴ(現在のチュニジアの首都、チュニスの近く)で生まれた。
偉大な交易国にして海洋国家だったローマは、海上でカルタゴ人と渡り合う戦法を編み出し、カルタゴ領だったシチリア、コルシカ、サルディニアの各島を手中に収めていた。

 10歳になったハンニバルはカルタゴの将軍である父ハミルカルに連れられスペインのカルタゴ領に渡る。
そこでハミルカル将軍は、現在のカルタヘナを含む新しい領土を次々に獲得。スペインで成長したハンニバルは、イベリア人の王女と結婚した。

 ハミルカルの死後しばらくして、ハンニバルは22歳の若さでスペインにおけるカルタゴ軍の司令官に選出された。
そして大胆にもスペイン西部の都市サマランカを攻め、これを占領。
次いで、イベリア半島をすばやく横断してローマの主要都市の一つサグントゥムを包囲、陥落させる。
これを受け、ローマはカルタゴに宣戦布告、第二次ポエニ戦争が始まった。

続きはソースで

図:アルプス山脈を越えるハンニバル軍を描いた19世紀の木版画
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/121100020/121100001/01_m.jpg?__scale=w:450,h:519&_sh=0300df0c90

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/121100020/121100001/
ダウンロード (8)


引用元: 【歴史学】〈名軍師〉残念な英雄ハンニバル、「象でアルプス越え」の失策度

〈名軍師〉残念な英雄ハンニバル、「象でアルプス越え」の失策度の続きを読む

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1: 2017/12/11(月) 12:35:06.89 ID:CAP_USER
イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。
歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。

 しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。
西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。
そのため、ここが本当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、
現代の学者たちは疑問視していた。


 今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。

 分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。

 これまで、墓の内外から発見された建築的証拠は、最古のものでも11~12世紀の十字軍時代のものと測定され、墓が1000年以上古いことを示す証拠は何もなかった。

 新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。
この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、今回の年代測定の結果によって、墓の構造物はローマ皇帝初のキリスト教徒であったコンスタンティヌスの時代のものであることがわかった。

2016年10月、墓を取り囲むようにして建設されたエディクラと呼ばれる聖堂の大々的な修復工事を行うため、墓は数世紀ぶりに開かれた。
作業に当たったのは、アテネ国立技術大学の学際チームである。
 この時、エディクラの内部で数カ所から漆喰が採取され、年代測定を行うため研究所に運ばれた。
その結果は、エディクラ修復プロジェクトを率いたチーフ科学監督のアントニア・モロポーロー氏よりナショナル ジオグラフィックへ提供された。

続きはソースで

関連ソース画像
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2Fcontent%2Fpic%2F20171209%2F96958A9F889DE0E6E2E5EBE7EAE2E1E2E3E3E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXZZO2408491030112017000000-PN1-3.jpg?auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&ixlib=php-1.1.0&w=640&s=3e0bc8c1adbb57df42fca5dbcf9d9268
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2Fcontent%2Fpic%2F20171209%2F96958A9F889DE0E6E2E5EBE7EAE2E1E2E3E3E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXZZO2408494030112017000000-PN1-1.jpg?auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&ixlib=php-1.1.0&w=640&s=e9a15ad365157b60917e34167e18f365

日経スタイル
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO24079580Q7A131C1000000
ダウンロード (2)


引用元: 【考古学】「キリストの墓」の年代判明 本当に古代ローマだった

「キリストの墓」の年代判明 本当に古代ローマだったの続きを読む

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1: 2017/11/30(木) 02:50:08.09 ID:CAP_USER
イスラエル、エルサレム旧市街にある聖墳墓教会は、イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会だ。
歴史的記録によると西暦326年、ローマ人が発見した墓を取り囲むように、教会が建てられたという。

 しかし、この教会はこれまで何度も攻撃され、火災や地震の被害を受けてきた。
西暦1009年には完全に破壊され、その後再建された。
そのため、ここが本当に1700年前にローマ皇帝の代理人がキリストの墓と特定した場所なのかどうか、
現代の学者たちは疑問視していた。

 今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。

分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩とそれを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、西暦345年のものと測定された。

 これまで、墓の内外から発見された建築的証拠は、最古のものでも11~12世紀の十字軍時代のものと測定され、墓が1000年以上古いことを示す証拠は何もなかった。

 新約聖書には、ナザレのイエスとして知られるユダヤ人が、エルサレムで西暦30年か33年に十字架刑に処せられたと書かれている。
この墓がその人物を葬った場所であるかどうかを証明するのは考古学的に不可能だが、今回の年代測定の結果によって、墓の構造物はローマ皇帝初のキリスト教徒であったコンスタンティヌスの時代のものであることがわかった。

続きはソースで


画像:大理石の下の破片を除去する修復作業員。割れた大理石の間からのぞくのは、イエスのからだが安置されたと信じられている岩の表面。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112900463/01.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=04d0f20840

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/112900463/
images


引用元: 【考古学】〈エルサレムの聖墳墓教会の石墓〉独占:「キリストの墓」の年代を科学的に特定

〈エルサレムの聖墳墓教会の石墓〉独占:「キリストの墓」の年代を科学的に特定の続きを読む

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1: 2017/11/14(火) 01:10:01.13 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171113-00010000-nknatiogeo-sctch
 今から2000年ほど前、ローマ市民マルクス・ノウィウス・トゥブラは、護民官に当選した記念に、故郷の小さな町に日時計を寄贈した。碑銘によると、本人が自費で設置したものだという。

 イタリア、ローマから南に80kmのリーリ渓谷にあるインテラムナ・リレナスという町の遺跡を発掘していた考古学チームが、古代ローマの政治家が当選記念に寄贈した石灰岩の日時計を発見した。インテラムナ・リレナスは紀元前4世紀に建設された小さな町で、西暦6世紀までに廃墟となったと考えられている。

 日時計のくぼんだ表面には、時刻を表す11本の線と、これらと交差する3本の曲線(夏至、冬至、春分および秋分との近さを表す)が刻まれている。ここに影を落としていた鉄製の柱は、現在はほとんど失われている。

 英ケンブリッジ大学古典学部のアレッサンドロ・ラウナーロ氏は、碑銘の入った日時計が発見されることは非常に珍しく、これは「特別な発見」だと言う。ラウナーロ氏は、同大学のマーティン・ミレット氏とともに2017年の発掘調査チームを率いた。

 日時計の下にはラテン語で「マルクス・ノウィウス・トゥブラ」という名前が刻まれていて、カーブした縁には、この人物が護民官の職にあり、日時計の代金を自費で支払ったという説明が刻まれている。「故郷の町に日時計を寄贈することで、当選を祝いたかったのでしょう」とラウナーロ氏は言う。

続きはソースで

http://amd.c.yimg.jp/amd/20171113-00010000-nknatiogeo-000-4-view.jpg
ダウンロード (2)


引用元: 【考古学】2000年前の古代ローマの日時計を発見、碑文を解読

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1: 2017/10/20(金) 16:12:51.51 ID:CAP_USER9
https://www.cnn.co.jp/m/fringe/35109027.html
(リンク先に動画ニュースあり)

エルサレム(CNN) エルサレムの嘆きの壁に隣接した場所でこのほど、遺跡が発見された。古代ローマ時代の劇場の可能性があるという。

イスラエル考古学庁(IAA)による発掘作業が嘆きの壁のすぐ近くで行われている。

考古学者のジョー・ウジエル氏は、「この素晴らしい構造物をここで発見するとは全く予期しておらず、非常に興奮している。劇場のような建物で200人を収容できる」と述べた。

続きはソースで

2017.10.20 Fri posted at 15:14 JST
ダウンロード (3)


引用元: 【イスラエル】ローマ時代の遺跡発掘、劇場か エルサレム嘆きの壁近く

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