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ローマ

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1: 2016/09/27(火) 07:25:50.92 ID:CAP_USER
勝連城跡からローマ帝国時代コイン オスマン帝国時代も出土 (琉球新報) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000028-ryu-oki
http://amd.c.yimg.jp/amd/20160926-00000028-ryu-000-1-view.jpg


 【うるま】うるま市教育委員会は26日午後1時半から市役所で会見を開き、市勝連にある世界遺産「勝連城跡」内で、ローマ帝国とオスマン帝国時代のコインが発見されたと発表した。市教育委員会は「中世から近世初期の遺跡からは、国内初になるものだろう」とし、日本史だけでなく世界史研究などに大きく寄与すると分析している。

 調査はエックス線検査や専門家らによる鑑定などの方法で行われた。コインにはローマ文字やアラビア文字、人物像があることが確認された。

 コインが持ち込まれた経緯や使用方法などについては、今後の研究課題としている。

 発見されたコインは鋳造製の銅貨計10枚。そのうち4枚は3~4世紀代のローマ帝国時代、1枚は1669~79年に製造されたオスマン帝国時代のコインと推測される。そのほか5枚の年代については調査が進められている。

 確認されたコインのうち、ローマ帝国時代のコインは直径最大2センチ、重さ3・6グラム。一方、オスマン帝国時代のコイン直径は2センチ、重さ1・2グラム。

 市教育委の横尾昌樹主任主事は「勝連城が西洋との接点があったことは確かだ。勝連城の廃城後の歴史は分からないことが多々あり、今後の解明につながる貴重な資料になる」とした。

 会見に出席した島袋俊夫市長は「沖縄のグスク時代における勝連の流通、交易を考える上で重要な資料。世界史研究全般の研究に大きく寄与する発見となる」と研究の成果を評価した。

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引用元: 【考古学】勝連城跡からローマ帝国時代コイン オスマン帝国時代も出土 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/09/14(水) 08:30:39.36 ID:CAP_USER
謎の古代モザイク画、秘められたユダヤ人への伝言 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/091300058/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/091300058/ph_thumb.jpg


 イスラエル、フコックの遺跡で見つかったローマ時代のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を飾るモザイク画。その美しく謎に満ちた画の全貌が公開された。(参考記事:「古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの」)

 5世紀に制作されたこのモザイク画には、位の高い男性ふたりが会談に臨む様子が描かれており、そのうちひとりは軍を率いる将軍のような姿をしている。ところが、ふたりの正体を示す記述がまったくないため、ここに描かれているのがどのような場面なのか、解釈は困難をきわめている。

「古代末期や初期ビザンチン様式においては、モザイク画などに描かれた人物には名が記されていることが多いのです」と、米ウェスタン・カロライナ大学の歴史学者で、モザイク画を専門とするカレン・ブリット氏は言う。

 モザイク画には武装したゾウも描かれている。このモチーフから連想されるのは、紀元前2世紀半ばにセレウコス朝に対して反乱を起こしたユダヤ人のマカバイ家の物語だ。アレクサンドロス大王の部下の子孫が築いたセレウコス朝は、ゾウを戦争に用いていたことで知られる。


アレクサンドロス大王説

 しかし発掘を統括する米ノースカロライナ大学の考古学者、ジョディ・マグネス教授は、軍を率いている人物はアレクサンドロス大王と考えている。大王がエルサレムのユダヤ教大祭司と会談を持ったという史実はないが、そうした伝説は古代フコックの住人たちの間ではよく語られていた。(参考記事:「出エジプト描いた貴重なモザイク画が出土」)

「紀元前323年のアレクサンドロス大王の死後、彼の名声が広く知られるようになると、ユダヤ人をはじめ、人々は自分たちがあの偉大な王と関わりを持っていたと示したがるようになりました。こうして、モザイク画に描かれているような伝説が語られるようになったのです」

 マグネス氏によると、このモザイク画は下から上へ読むようになっているという。最下段には、アレクサンドロス大王が版図を東地中海まで広げる途上で行われた、数々の戦闘の場面が描かれている。

 中段にはエルサレムの大祭司(中央の髭をたくわえた老人)をはじめとする祭司たちと貴族がいる。彼らが街の門の前に並んでいるのは、アレクサンドロス大王が街に近づいているためだろう。

 白い衣の男たちが有力者であることは、服に英語の「H」に似たギリシャ文字「エータ」が付いていることでわかる。「エータ」が何を表しているのかは専門家にもわかっていないが、当時の絵では、高い地位の象徴としてこの文字が衣服に描かれることが多い。

 最上段は、大祭司らが、軍を率いるアレクサンドロス大王と会談する場面だ。大王は、紫の外套を身に着け、ダイアデムと呼ばれる帯状の布を頭に巻いている。ギリシャ王で、軍の司令官でもあることを示す服装だ。ダイアデムはアレクサンドロス大王が着けはじめたもので、彼の後継者は皆、これを身に着けていた。

 軍を率いるこの人物の後ろには兵士の他、ゾウの姿も見える。戦闘用のゾウもまた、大王とその後継者たちとは関わりが深い。(参考記事:「アレクサンドロス大王の父の墳墓を特定か」)

 マグネス氏は、モザイク画に描かれた人物の名が刻まれていないという事実こそが、彼がアレクサンドロス大王である証拠だと考えている。「古代において、あれほど偉大なギリシャ王はアレクサンドロスをおいて他にはいませんでした。だから名を記す必要がなかったのです」

 このモザイク画には、ユダヤの神を肯定するメッセージが込められていたとマグネス氏は言う。「大王の伝説をここに描く意味とは、ギリシャで最も偉大な王たるアレクサンドロスまでもが、イスラエルの神の偉大さを認めていたと人々に示すことです。

続きはソースで

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引用元: 【考古学】謎の古代モザイク画、秘められたユダヤ人への伝言 アレクサンドロス大王か、セレウコスの休戦協定か [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/07/08(金) 07:40:52.55 ID:CAP_USER
出エジプト描いた貴重なモザイク画が出土 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/070700255/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/070700255/ph_thumb.jpg


 イスラエル、フコックの遺跡にあるローマ時代のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を発掘中の考古学者らが、床を飾るモザイク画2点を発見した。1つにはノアの箱舟、もう1つにはモーセの出エジプトに際して海が割れるという、ひと目で分かる場面が描かれている。(参考記事:「古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの」)

「エジプト、ファラオの兵士たちが戦車や馬ごと水にのまれているのが分かりますし、巨大な魚に食べられているのも確認できます」と語るのは、発掘の責任者で米ノースカロライナ大学チャペルヒル校のジョディ・マグネス氏だ。

「割れる紅海が古代のシナゴーグに描かれている例は、私は他に2つしか知りません」とマグネス氏は説明する。「1つはシリアのドゥラ・エウロポスにある完全な状態の壁画ですが、エジプトの兵士をのみ込む魚は描かれていません。もう1つはイスラエルのワディ・ハマンにありますが、ごく断片的で保存状態も良くありません」

 ノアの箱舟の場面も類例が少なく、マグネス氏が知るのはやはり2つだけ。1つはヨルダンのジェラシュ(古代の呼称はゲラサ)の遺跡にあり、もう1つはトルコのミシス(古代の呼称はモプスエスティア)の遺跡にある。

 ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラーでもある考古学者のマグネス氏は、2012年以来フコックで調査を行い、注目すべきモザイク画を次々と発見している。例年6月に現地入りし、学生ボランティアや、美術史、土壌分析、モザイク画保存といった分野の専門家らとともに、丸1カ月かけて発掘作業をおこなっている。

 前回まで、発掘チームはシナゴーグの東側廊を発掘していた。こちらに描かれていた題材は、演劇用の仮面や天使、踊り手たちに囲まれたヘブライ語の碑文などのほか、重要人物とみられる男性2人の会談も描かれていた。このうち1人は、武装した兵士と戦闘用の武具を着けたゾウを伴っている。

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引用元: 【考古学】出エジプト描いた貴重なモザイク画が出土 旧約聖書の場面描いた絵、壁や廊下に続々 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/06/02(木) 12:29:41.97 ID:CAP_USER
(CNN) ロンドン考古学博物館(MOLA)は1日、ロンドン中心部の建設現場で2012~14年にかけて、古代ローマ時代の文字を手書きで記した木の板が400枚以上見つかったと発表した。

現場ではブルームバーグ欧州本社の新社屋を建設中。木の板以外にも、50棟以上のローマ時代の建物の跡が見つかったほか、1万5000点もの人工物が出土したという。

400枚以上の木の板のうち、西暦57年1月8日付の金融に関する「古文書」は、英国で見つかった手書き文書としては最も古いものだ。

別の板には「Londinio Mogontio」と書かれている。これは「ロンドンで、モゴンティウスに宛てて」という意味だ。時代は65~80年ごろで、ロンドンに言及した文書としては最も古いものと考えられている。

板からは奴隷や裁判官、醸造業者まで、100人近い人物の名前が見つかった。歴史学者にとっては、ローマ時代のロンドンにおける日々の営みを知るヒントとなるものだ。

これまでロンドンでは、ローマ時代の手書きの板は19枚しか見つかっていなかった。

ローマ時代の「帳簿」は薄いタイルのような形状で、みつろうを塗った板の上に文字を書くようになっていた。長い時間を経てみつろうは剥がれ、文字の跡がついた板の部分だけが残ったわけだ。

幸い、板は湿った泥に埋まっていたため、酸素に触れることなく腐らずに済んだ。板が出土した場所には、かつて川が流れていた。

英国最古の手書き板を含む700を超える出土品は、来年ブルームバーグの新社屋で展示される予定だ。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160602-35083609-cnn-int

引用元: 【歴史】古代ローマの手書き板400枚、ロンドンの建設現場から出土©2ch.net

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1: 2016/04/14(木) 07:32:42.46 ID:CAP_USER.net
古代都市ポンペイは、現代社会にそっくりだった | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/041300135/


 火山の噴火によって一瞬にして失われたローマの古代都市ポンペイで、大がかりな修復プロジェクトが進んでいる。陣頭指揮をとるイタリアの考古学者マッシモ・オサンナ氏は、「2000年前の社会を目の前で写真撮影したかのように」当時の姿をはっきりと克明に、そして多角的に現代によみがえらせたいと考えている。

 山のようなデータから浮かび上がってきたのは、現代の私たちの生活に驚くほどよく似た社会だった。紀元1世紀のポンペイには、多様な文化が混在し、さまざまな言語が飛び交い、人々はファストフード店でランチをとり、高級輸入食材を自宅で楽しんでいた。


災害に次ぐ災害

 イタリアのナポリ湾に面するポンペイの街は、大災害の代名詞として歴史に名高い。紀元79年、近接するベスビオ山が噴火し、一瞬にして多くの住民の命を奪った。19世紀半ばに本格的な発掘が始まってからは4度の大地震に襲われ、さらに幾度とない人災にも見舞われた。(参考記事:「ベスビオ火山の不気味な動静」)

 第二次世界大戦中の1943年には、連合国軍による爆撃を受け、多くの重要な文化財が破壊された。戦後には、犯罪組織とつながりのある建築会社の手によってずさんな「修復」工事が行われ、爆撃よりもさらにひどい損傷を受ける結果となった。2度にわたる大戦と4度の経済危機による人員と経費の削減で、ポンペイの大部分は荒廃し、危険地帯と化してしまった。通りには野良犬がうろつき、度重なる洪水で土台の浸食も進んでいる。

 2010年末には、観光名所の一つである「剣闘士たちの家」が突然倒壊し、発掘済みの遺跡内で観光客が入場できる範囲はわずか13%に限定されてしまった。一般公開される建物は1956年には64棟あったが、10棟まで減った。(参考記事:「ポンペイ遺跡で相次ぐ崩壊」)

 事態の深刻さに、ようやく政府は重い腰を上げた。2012年には、欧州連合が7500万ユーロの緊急資金を、イタリア政府もさらに3000万ユーロを遺跡修復のために拠出した。

 ポンペイは、このまま見捨ててしまうには魅力的過ぎる。数百年にわたって十分な保全策がとられてこなかったにもかかわらず、年間300万人の旅行者が訪れ、中国の万里の長城、西安の兵馬俑坑、ローマのコロッセオ(円形競技場)、同じくローマのフォロ・ロマーノに次いで、世界で5番目に人気の観光名所となっているのだ。(参考記事:「色鮮やかな兵馬俑」)


最上級の観光名所へ

 オサンナ氏のチームは、考古学史上まれに見る野心的なポンペイ修復事業の陣頭指揮を任された。「グレート・ポンペイ・プロジェクト」と銘打たれた事業の目的は、数々の災難に見舞われてきたこの遺跡を2017年までに最上級の観光名所へと変えることである。(参考記事:「劣化進むポンペイ遺跡に新たな修復プラン」)

 現場では、200人以上の専門家や技術者が働いている。建築家12人、考古学者12人に加えて、れんが職人、電気工、配管工、塗装工、大工、写真家、歯科医師、放射線技師、生物学者、地質学者、地図製作技術者、コンピューター科学者、美術品復元の専門家、さらに、先端診断機器に詳しい医療エンジニアや、洪水を防止する水工学者といった顔触れがそろっている。

 今回のプロジェクトで特に注目されているのは、犠牲者の詳細な体内画像を作成するコンピューター断層撮影、いわゆるCTスキャンの導入である。

 スキャンにかけられた遺体は、過去の発掘で火山灰の中から掘り出されたものだ。1863年から1875年にかけて発掘調査を任されていたジュセッペ・フィオレッリ氏は、犠牲者を閉じ込めたまま冷えて固まった火山灰に石膏を流し込み、元の体を見事に再現した石膏像を作成した。

続きはソースで

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引用元: 【考古学】古代都市ポンペイは、現代社会にそっくりだった ファストフード店や高級輸入食材、遺跡の修復プロジェクトで判明

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1: 2016/04/07(木) 00:09:24.96 ID:CAP_USER*.net
ハンニバルのアルプス越え、軍馬の「ふん」でルート判明か
http://www.cnn.co.jp/fringe/35080760.html

(CNN) 紀元前218年、カルタゴの将軍ハンニバルが共和政ローマを北から攻めるため、大軍を引き連れて決行したアルプス越え――。
軍事史上最大級の成功を収めたとされるこの作戦だが、実際にカルタゴ軍がどのようなルートを通って山脈を越えたのかは歴史家の間でも意見が分かれてきた。

こうしたなか、英国などの研究者の主導する調査チームが作戦に参加した軍馬のものとみられるふんの分析によって正確なルートを割り出したと発表し、注目を集めている。

調査に携わった北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストの微生物学者、クリス・アレン氏は、このほどインターネット上に研究結果を公開。
現在のフランスとイタリアの国境に位置するトラベルセッテ峠付近で「動物(おそらくは馬)の大便に由来するとみられる堆積(たいせき)物の塊を発見した」と述べた。
調査チームは炭素同位体分析を行い、この塊が紀元前2世紀ごろのものだと断定したという。

アレン氏は便の中に寄生虫の卵が残っている可能性に言及し、「遺伝子レベルでより多くの情報を得られれば、古代に生きたこれらの動物の出身地域なども正確に判別できるだろう」と指摘。

続きはソースで

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CNN:2016.04.06 Wed posted at 18:54 JST  

引用元: 【歴史】ハンニバルのアルプス越えルート 軍馬の「ふん」で判明か [CNN]

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