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勢力

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1: 2018/08/30(木) 18:41:20.24 ID:CAP_USER
 今回の記事では、「英語」という言語が生まれた歴史に着目。ヨーロッパにおける「征服」と「勢力拡大」の歴史の中でくり広げられた英語の発生と変遷を、図版と共にわかりやすく説明しよう。

■ゲルマン民族大移動の余波

 そもそも「English(英語)」という言葉の語源は何なのでしょうか?

 英語が誕生する前にブリテン島(イギリスの島)にいたのは、古代ブリトン人(ancient Britons)でした。彼らはインド・ヨーロッパ語族に属し、今のウェールズ語やコーンウォール語、アイルランド語が、彼らの話していたケルト語の子孫です。

 その後、ブリテン島に攻め寄せてきたのがローマ人(Romans)です。彼らローマ人たちは、ブリトン人(Britons)の名から、この地を「ブリタニア(Britannia)」と呼びました。ユリウス・カエサルは西暦前55年と54年の2度、ブリタニアに上陸しましたが、抵抗にあって征服できませんでした。

 そして西暦43年、皇帝クラウディウスが軍隊を派遣してブリタニアを属州に。その拠点が、ロンドニウム(現在のロンドン)でした。当時の遺跡としては、ハドリアヌス皇帝が、北方ケルト人に対する防衛のために築いたハドリアヌスの長城が有名。やがて409年に、ローマ本国の衰退のため、属州のブリタニアからローマ人は撤退しました。ローマ人の話したラテン語の影響は、地名などに今なお残っています。

 4~5世紀には、北アジアの遊牧民族のフン族に追われてゲルマン民族が大移動しました。その一部であるアングロ・サクソン族(アングル人とサクソン人の総称)がブリテン島に移住したときから「English」が始まりました。この「English」という言葉自体が「Angles(アングル人)」に由来し、彼らが元々住んでいた場所は「アンゲルン半島」と呼ばれています。

 彼らが話した西ゲルマン語に属する言葉は、現在における英語のベースとなっており、アングロ・サクソン時代の英語を「古英語」といいます。
 9世紀頃、次にブリテン島に攻め寄せてきたのが、ヴァイキングのデーン人です。

続きはソースで

ハドリアヌスの長城
https://ddnavi.com/wp-content/uploads/2018/08/eigo2_1.jpg

https://ddnavi.com/wp-content/uploads/2018/08/eigo2_2.jpg

■ノルマン人の勝利を決めたヘイスティングズの戦いの場「バトル修道院」
https://ddnavi.com/wp-content/uploads/2018/08/eigo2_3.jpg

https://ddnavi.com/review/482840/a/
images


引用元: 【言語】「英語」はどうやって生まれたのか? 語源で探る英語の世界[08/30]

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1: 2018/03/03(土) 09:47:30.87 ID:CAP_USER
日本列島で、数十万年という気の遠くなるほど長い期間の勢力争いが繰り広げられている。
といっても、人ではなく、地下で暮らすモグラの話。本州に幅広く分布していたアズマモグラを、少しずつ、ほんの少しずつ、コウベモグラが東へ追いやっているという。(小川 晶)

 アズマモグラは口の幅が狭いため、伸びた状態のミミズを端から食べる。
頭骨が大きいコウベモグラはトンネル内で身動きしにくく、折れ曲がった状態のミミズも口にする。

 昨年9月、富山市で開かれた日本哺乳類学会の定例大会で明らかにされた新説だ。
「一般の人は『それがどうした』と思うかもしれませんが、モグラの研究者としては大きな発見なんです」。
発表者の横畑泰志・富山大教授(動物生態学)が笑う。

 地中に生息するモグラの生態は、いまだ多くの謎に包まれている。
ただ、日本で確認されている種を大別すると、アズマとコウベに分けられるという点ははっきりしている。

 北陸から東海地方にかけて両者の境界があり、東にアズマ、西にコウベが分布する。
アズマは紀伊半島南部など西側にも点在しているが、コウベは東側で確認されていない。

 この現状から導き出されたのが、コウベが西から拡大し、アズマを東へ追いやっている-という結論だ。
学界でも定説になっており、実際に長野県の境界付近では、コウベがアズマの縄張りに進出する観察結果も出ている。

 だが、その動向は極めて遅い。横畑教授によると、現在の日本列島が形作られつつあった45万~60万年ほど前には、両者の先祖による勢力争いが始まっていたと考えられる。
人類では、直接の祖先に当たるホ◯・サピエンスが生まれる前、北京原人の時代だ。

続きはソースで

画像:コウベモグラ(右)とアズマモグラの標本。
コウベがわずかに大きいが、外見の差はほとんどない
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/img/d_11032009.jpg

図:日本列島のモグラの分布。コウベモグラが徐々に東へ勢力を広げている
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/img/d_11032010.jpg

神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011032008.shtml
ダウンロード (1)


引用元: 【動物/生態】モグラの二大勢力 数十万年の縄張り争い 東海地方に境界、東にアズマ、西にコウベ[03/02]

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1: 2016/06/21(火) 12:02:52.14 ID:CAP_USER
恐竜を絶滅させた隕石、哺乳類の90%以上を同時に消滅か:研究報告 (sorae.jp) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160621-00010000-sorae_jp-sctch


恐竜は白亜紀末期に飛来した巨大隕石やそれによる気候変動で絶滅し、我々の祖先となる哺乳類はその危機を生き延びた…通説ではそのように語られています。しかし化石の記録を元に新たに提唱された研究報告によると、この隕石は同時に93%もの哺乳類を絶滅させていたようなんです。これは、従来考えられていた割合よりもずっと多いものになります。
 
バス大学で進化を研究するミルネール・センターの研究者たちは、巨大隕石が飛来した前後とされる6800万年前~6570万年前の哺乳類の考古学上の報告を調査しました。その結果、以前予想されていた「75%の絶滅」という数値よりも遥かに被害の規模が大きかったことが判明します。
 
さらに興味深いことに、この巨大災害の後に哺乳類は猛烈な勢いで勢力を吹き返したことも報告されています。その勢いは、30万年で隕石の衝突前の2倍に達するほど。この現象について、ミルネール・センターのNick Longrich氏は以下のように語っています。
 
「隕石衝突後に哺乳類が急速に普及したことから、従来隕石は哺乳類に大きな影響を与えていなかったと考えられていました。しかし実際はトカゲやカメ、クロコダイルよりも遥かに大きなダメージを受けていたのです。しかし、哺乳類は非常に高い環境適応力を示したのです」
 
「その他にも、哺乳類の普及には爆発的な種の増加がありました。地球上で同時に、さまざまな地域でさまざまな哺乳類が繁栄していったのです。そのことも、哺乳類の急速な繁栄に貢献したものと思われます」
 
私などは学習漫画で、隕石の後にネズミのような哺乳類が進化し、繁栄していった…と習ったものです。どのような哺乳類が隕石落下を生き延びたのかはさておき、私たちの先祖は想像よりも遥かに力強い生命力を秘めていたようですね。

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引用元: 【古生物学】恐竜を絶滅させた隕石、哺乳類の90%以上を同時に消滅か [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2015/07/31(金) 18:21:27.13 ID:???.net
マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/

画像
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/ph_thumb.jpg
マヤ文明のエル・アチオタル遺跡で発見された石碑の断片には、地方を統治する王アハウの顔が描かれている。(Photograph by Luke-Auld Thomas)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/02.jpg
石碑の断片は神殿の内部に安置され、数世代にわたって崇められていた。(Photograph by Luke-Auld Thomas)


 中米グアテマラにあるマヤ文明の遺跡で、時代区分の違う石碑が発見された。これにより1500年前、マヤ文明の絶頂期に一帯で覇権を争っていた二大勢力の新事実が明らかになり、研究者たちを驚かせている。

 グアテマラのペテン地方西部にあるエル・アチオタル遺跡で発見されたこの石碑の断片には「アハウ」と呼ばれる王(地方を治めた)が描かれている。アハウを任命したのは、遠く離れた古代都市テオティワカン(現在のメキシコ市辺り)からやってきた戦士、シヤフ・カック(「火の誕生」の意)だ。シヤフ・カック率いる軍勢は378年にマヤ低地に現れると、都市国家ティカルを支配下に置き、マヤ全土に新たな政治体制を敷いた。(参考記事:「新説 マヤ文明」シヤフ・カックがやって来た時代)

 米テュレーン大学中米研究所のマルセロ・カヌート氏らは先日、グアテマラ市で記者会見を開き、この石碑の発見について報告した。


予想外の大発見

 石碑の断片を発見したのは、ナショナル ジオグラフィック協会が支援する「ヤング・エクスプローラー」のひとりで、テュレーン大学院生のルーク・オールド=トーマス氏。彼はエル・アチオタル遺跡で、ペテン地方にマヤの都市国家が現れ始めたころの古い建造物を調べていた。

先古典期中期から後期(紀元前800〜紀元250年)のものだ。


「私たちは階段を探すために、いくつか穴を掘っていました。そのとき作業員のひとりが、石碑のようなものを見つけたと言ってきたのです」とオールド=トーマス氏は言う。それはマヤが最も繁栄した古典期(250〜900年)に特有の、彫刻の施された石碑であった。

「穴の中を覗いてみると、こちらをまっすぐに見つめる王の顔がありました。古代マヤ人は、王の顔が入り口に向くよう慎重に配置したのです」

 もともと先古典期後期(紀元前400〜紀元250年)の遺跡だとされていたエル・アチオタルで「石碑が見つかるとは思ってもみませんでした」とカヌート氏は言う。(参考記事:【連載】マヤ文明と終末論の真実)

続きはソースで

ダウンロード
 

引用元: 【考古学】マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る マヤ文明の二大勢力に翻弄された都市

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1: 2014/09/03(水) 00:42:22.55 ID:???0.net
リョコウバト、100年ぶりの復活へ
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140902003&expand
Carl Zimmer for National Geographic News September 2, 2014

 100年前の9月1日、かつて強大な勢力を誇っていた1つの種が絶滅した。シンシナティ動物園で飼育されていたリョコウバトのマーサが29歳の生涯を終えた日だ。

 1800年代半ばまで、耳をつんざくような声で鳴くリョコウバトの群れがアメリカの東半分に何十億羽も生息していた。ところが、人間にはかなわなかったようで、急激に進歩した技術によってものの数十年で絶滅まで追い込まれた。

 絶滅から100年が経過した現在も、リョコウバトは象徴的な存在であり続け、技術的な偉業を目指す人々にひらめきを与えている。遺伝子工学やクローニングを組み合わせ、絶滅したリョコウバトをよみがえらせようと試みる研究チームもあれば、DNAの断片を解析し、今や謎に包まれてしまったその生態を再現しようという研究も進められている。

◆技術によるとどめの一撃(略。全文はソースにて)

◆DNAがリョコウバトをよみがえらせる

 こうして技術によって絶滅を迎えたリョコウバトだが、一部の科学者はその技術によってリョコウバトをよみがえらせることができると信じている。マーサが死んだ当時、生物学者は遺伝子がDNAでコードされていることすら知らなかった。今では、博物館に保存されているリョコウバトからDNAを抽出することさえできる。

 2012年、科学者のグループがリョコウバトのクローンを作成するプロジェクトを立ち上げた。たとえクローン作成がかなわなくても、遺伝子操作によってリョコウバトの形質を持つ鳥を作成したいと考えている。

 このプロジェクトに取り組むのは、カリフォルニア大学サンタクルーズ校のベン・ノバク(Ben Novak)氏らのグループだ。ノバク氏らは博物館にあるリョコウバトの標本から完全なゲノムを抽出することにいまだ成功していない。そこで、次善策に期待を掛けている。現存する別の鳥のゲノムを入れ替え、リョコウバトを生み出すという方法だ。

 リョコウバトに最も近い現生種はアメリカ西部に分布するオビオバトだ。博物館の標本から抽出したDNAの断片にリョコウバト固有の配列が含まれていれば、くさび形の尾や赤い胸、極度に社会的な行動といったリョコウバトの特質を再現できるかもしれないと、ノバク氏らは期待する。これらの特質を持つ現生種を調べれば、遺伝的な基盤を特定できる可能性もある。

 まず、リョコウバトによく似たゲノムを作成し、この操作されたDNAをオビオバトの胚の生殖細胞に挿入する。オビオバトが成熟、繁殖、産卵すれば、卵からかえるのはリョコウバトのひなという筋書きだ。少なくとも、在りし日のリョコウバトとそっくりな鳥が生まれるはずだ。

◆リョコウバトが残した教訓

 たとえリョコウバトをよみがえらせることができなくても、リョコウバトの絶滅が大きな教訓となり、現在の絶滅危惧種の保護に役立てることができると、ブロックスタイン氏は考えている。

 例えば、個体数が多いからといって絶滅の心配はないと考えるのは間違っている。「絶滅危惧種の分類は生態より個体数に基づいている」とブロックスタイン氏は説明する。個体数が数十億の種にも生物学的な弱点はあり、そこを突かれれば人間の圧力に負けてしまうかもしれない。

引用元: 【生物】リョコウバト、100年ぶりの復活へ [9/2]

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