1: Cancer ★@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 22:31:52.83 ID:???.net

津波2.5m? 神戸・旧居留地で発見された過去「南海地震」の鮮明な爪痕…「八雲」は津波に襲われた日本人の姿を書き残し

2014.6.14 18:00 [westライフ]

ヘリヤ商会跡地のすぐ東にある神戸市役所から神戸港をみた風景。右側が旧居留地で、左の県道はかつて生田川だった =神戸市中央区
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140614/waf14061418000004-l1.jpg

 勝海舟、坂本龍馬ら幕末の英雄が恐らく足を踏み入れたであろう場所で、平成21(2009)~22年、南海地震による津波の痕跡が発掘されている。神戸市中央区のJR三ノ宮駅から南へ下った神戸市役所のすぐ西に位置する、旧外国人居留地だ。

(中略)

 発掘された場所は現在、市の危機管理センターとなっているが、居留地が開かれたのちの明治時代には、米国系の日本茶輸出会社「ヘリヤ商会」が輸出する茶の加工工場を構えていた。
その工場跡地のコンクリートなどで地盤改良、整地されたすぐ下、地表から約1・5メートルの所で、厚さ約30センチの砂の層が南北約15メートル、東西約2メートルにわたり確認された。

 同志社大学理工学部の増田富士雄教授(地質学)の分析によると、この砂の層は、東側に流れていた旧生田川の河川氾濫で生じる泥をほとんど含んでいなかった。また、砂の粒子が山側方向と海側方向へ交互に折り重なるように堆積していたことから、寄せてはかえす運動を幾度も繰り返す津波によって形成されたとみられるという。

 さらに、この地層の上下には明治時代に整地された層と17世紀初頭の層があり、増田教授は宝永4(1707)年に起きた宝永地震か、嘉永7(1854)年の安政南海地震による津波ではないかとしている。現場が標高1・7~2メートルであることから津波高は2・5メートル程度と推定され、「現在のJR三ノ宮駅周辺にまで遡上(そじょう)していた可能性がある」(神戸市教育委員会文化財課の担当課長、千種浩さん)という。

 それにしても、阪神間の浜を広範囲に襲ったはずの津波の痕跡が、ここでしか見つかっていないのはなぜなのだろうか。千種さんによると、「砂の層の発掘場所がくぼ地になっていて、堆積物が残りやすい微妙な地形になっていたようだ」ということらしい。

(後略)

詳細・続きはソースで

ソース:MSN産経(2014.6.14)
津波2.5m? 神戸・旧居留地で発見された過去「南海地震」の鮮明な爪痕…「八雲」は
津波に襲われた日本人の姿を書き残し
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140614/waf14061418000004-n1.htm

プレスリリース:神戸市教育委員会(平成23年1月27日)
南海地震による津波痕跡をはじめて確認
旧神戸外国人居留地遺跡で、江戸時代に標高約2mまで津波があったことが判明した。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2011/01/20110127841002.html

参考:
増田富士雄, 谷口圭輔. 2011. 旧神戸外国人居留地遺跡で観察された江戸時代の振動流
(津波?)堆積物. in 神戸市教育委員会 (ed.) 旧神戸外国人居留地遺跡発掘調査報告書.
神戸市教育委員会文化財課. 74p.


引用元: 【地質学】津波2.5m?神戸・旧居留地で発見された過去「南海地震」の鮮明な爪痕


【神戸】津波2.5m?「南海地震」の鮮明な爪痕発見の続きを読む