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古代

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1: 2019/03/10(日) 12:23:53.57 ID:CAP_USER
中米グアテマラ北部の辺境で、古代マヤ時代の大規模な要塞跡が発見された。高さ6メートルの壁や監視塔、ほかにも長年にわたって大きな戦争が行われてきた証拠が見つかっている。マヤ文明に対する従来のイメージを覆す発見だ。(参考記事:「知ってるようで知らないマヤ文明」)
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030700146/ph_thumb.jpg

 この要塞跡は、「ラ・クエルナビラ」と呼ばれている。マヤの都市、エル・ソツとティカルの間にある険しい尾根の上に建てられ、厳重に防備を固めている。蓄えられた丸い石も見つかっており、兵士が投石器に入れて使う武器だったとみられる。

 この地域でこれほど大掛かりな要塞が見つかるのは初めてで、「もしかしたら南北米大陸の古代遺跡を見わたしても」初めての発見ではないかと、米ブラウン大学でマヤ文明を研究する考古学者スティーブン・ヒューストン氏は話す。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030700146/map2.jpg

 明らかに戦争のために造られたクエルナビラの砦(とりで)や、新たに確認された構造物からは、戦争が大規模で組織的だったこと、この古代文明が栄えた時代の大半において、戦いが生活の一部だったことがわかる。

「意外でした」とヒューストン氏は言う。「私たちはマヤの戦いをロマンチックに考える傾向があったからです。ほとんどが文明の末期に集中し、儀式化されていたと。しかし、いま目にしている要塞は、何世紀にもわたる激しい戦いを物語っています。支配者たちは防衛に関する心配が尽きなかったため、こうした山上の要塞に力を入れる必要を感じたのです。この風景から、彼らの恐怖感がはっきり感じ取れると言ってもいいほどです」

■空からのレーザー調査が手掛かりに

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030700146/map1.jpg
 今回の発見の手掛かりになったのは、レーザー画像だった。グアテマラ北部のマヤ生物圏保護区で、2100平方キロもの広い範囲を調査する「PACUNAMライダー・イニシアチブ」の成果だ。ライダー(LiDAR)技術を使えば、上空からレーザーを当てることで密林に隠された地形を描き出し、長らく埋もれていた古代文明の遺跡を浮かび上がらせることができる。見つかった遺跡は、マヤの専門家たちが考えていたよりもずっと複雑で、互いのつながりも密接だった。(参考記事:「謎の古代文明の遺跡を中米で複数発見、マヤとは別」)

 新たな宝の地図を手に、専門家らのチームは昨年1年間かけてジャングルを歩き回り、最も有望な十数カ所で実地調査を試みた。「大きな遺跡の上を、気づかずに歩いていることだってあり得ます」。

続きはソースで

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030700146/
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引用元: 【考古学】古代マヤ文明の要塞を発見、従来のイメージ覆す 意外な発見、「戦争は生活の一部だった」[03/09]

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1: 2019/03/05(火) 16:39:30.39 ID:CAP_USER
■大王の像や王家の住居などを発掘、ギリシャ人考古学者の挑戦

長くもどかしい発掘の最終日、カリオペ・リムネオス=パパコスタ氏はもう帰るつもりだった。エジプト、アレクサンドリアの中心部にある公園「シャララート・ガーデン」で、ギリシャ人考古学者の彼女が発掘調査を始めてから、もう14年が過ぎていた。目的は、ファラオになった古代の征服者にして、この街の名前のもとになった人物、アレクサンドロス大王の痕跡を探すことだ。しかし成果はなく、時間切れが迫っていた。

 そのとき、穴の中にいた助手たちが彼女を呼んだ。土から白い大理石のかけらがのぞいていると言う。それまでの発掘状況に落胆していたパパコスタ氏だが、白い石の輝きを目にして、希望が湧き上がるのを感じた。

「祈っていました」と彼女は振り返る。「ただの大理石のかけらではありませんようにと」

 祈りは通じた。遺物は、アレクサンドロス大王のあらゆる特徴を備えたヘレニズム期初期の像だと判明した。これが大きな励みとなり、気落ちしていた考古学者は発掘を続けることになった。

それから7年後、パパコスタ氏は現在のアレクサンドリアから10メートル余り下へ掘り進み、古代都市にあった王家の住居とみられる一画を発見した。

「古代都市アレクサンドリアの最初の土台部分が見つかったのは初めてです」と語るのは、ナショナル ジオグラフィック協会付き考古学者フレデリック・ヒーバート氏だ。「目の当たりにしたときは鳥肌が立ちました」

 しかも、ここから考古学上きわめて重要な発見が生まれるかもしれない。失われたアレクサンドロス大王の墓だ。

■上がる海面、沈む古代都市

 かつて世界最強のリーダーとなったアレクサンドロスは、父のフィリッポス2世が紀元前336年に暗◯されたため、わずか20歳でマケドニアの王位についた。その後の12年間、才気と野心にあふれた王は、ペルシャやエジプトなどライバルの帝国を倒しながら遠征し、エジプトでは自らをファラオと宣言した。紀元前323年、32歳で亡くなったものの、そのなきがらは安らかに眠ることはなかった。

 側近たちが議論した末、アレクサンドロスの遺骸はまずエジプトのメンフィスに埋葬され、次いで彼の名を冠した都市に移された。この地に作られた大王の墓を人々が訪れ、神殿のように崇敬した。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/ph_thumb.jpg
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/03.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/
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引用元: 【考古学】アレクサンドロス大王の墓、21年がかりで探求 大王の像や王家の住居などを発掘[03/05]

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1: 2019/02/24(日) 13:47:43.60 ID:CAP_USER
 中世8〜11世紀にかけてスカンジナビア半島やバルト海で活躍した武装船団バイキング。日本では1970年代に『小さなバイキングビッケ』というアニメ作品をきっかけに知られるようになったが、スウェーデンで100年以上前に見つかった戦士の骨が、実は女性戦士のものであることが判明した!歴史上、最初に見つかった性同一性障害の戦士だったのか?と注目を集めている。

■バイキング時代の要塞都市で140年前に発見

 この遺骨が見つかったのは1878年、首都ストックホルム郊外のメーラレン湖に浮かぶビェルケ(Björkö)島にあるバイキング時代の都市遺跡からだ。

 ビルカ遺跡は、ゲルマン民族が建てたフランク王国の宣教師が9世紀に残した古文書に記録が残り、外敵からの襲来に備えて建てられた要塞都市だったという。


■世界遺産登録されたビルカ遺跡

この遺跡からは3000近い墳墓が見つかっており、このうち1100個は19世紀後半に発掘したもの。当時、考古学者ヤルマー・ストロペ(Hjalmar Stolpe)は王立アカデミーに提出した報告書のなかで、「最も注目に値する墓だ」と記述したほど、ユニークな構造の墓だった。

地下に埋められた木造の部屋の中には、モンゴルの騎馬民族のようなデザインの服装を身に着けた遺骨が残されており、その周囲には斧や剣、槍などの武器類が多数置かれていた。

さらに、サイコロやゲーム用のコマ、鉄製のゲームボードが置かれ、部屋のすみには乗馬用の馬2頭が一緒に埋葬されていたことから、スウェーデンの考古学者は長年、社会的地位が高い将軍クラスの墓だと考えられてきた。

 最初の発見から約100年後の1970年代、Bj581と名づけられた遺骨を調べた研究者が、遺骨のなかに大腿骨が3本あることを発見。二人分の遺体が埋葬されていることがわかったが、その後の調査で、もう一体はBj581より約1世紀古い人物であることが突き止められた。さらにあごと腕の骨から、死亡年齢の推定を試みたが、当時の技術ではうまくいかなかったという。

続きはソースで

https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary-alt_20190218145703-45526-mediumThumb-S0003598X18002582_fig8g.jpg

上:発掘当時、考古学者が残したスケッチ(Hjalmar Stolpe)、下:スケッチをもとに埋葬当時を想像して描かれた図(Þórhallur Þráinsson/Antiquity Publications Ltd.)
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/ohaka.png
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary-alt_20190218145703-18118-optimisedImage-S0003598X18002582_fig5g.jpg
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary_20190215143901058-0973_S0003598X18002582_S0003598X18002582_fig6g.jpg


ビルカ遺跡の位置(Antiquity Publications Ltd.)
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary_20190215143901058-0973_S0003598X18002582_S0003598X18002582_figU1g.jpg

ハザードラボ
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28323.html
images


引用元: 【考古学】古代バイキング戦士「女」だった!最初の性同一性障害か?[02/24]

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1: 2019/03/19(火) 13:47:46.74 ID:CAP_USER
■8000年におよぶイベリア半島の古代人DNA、4500年前にいったい何が?

人類の移動が始まって以来、現在のスペインとポルトガルが位置するイベリア半島は、アフリカ、欧州、地中海沿岸の文化が混じり合う場所だ。

 8000年にわたるこのイベリア半島の古代人の遺伝的特徴をまとめた新たな論文が、遺伝学者と考古学者からなる111人の研究チームにより、2019年3月15日付けで学術誌「サイエンス」に発表された。論文によると、遺伝子は非常に複雑に入り混じっているという。また、約4500年前に謎の大移動が始まり、それだけで古代イベリア人男性のDNAが完全に一新されたことが示唆された。

 いつ、どのように、イベリア半島へさまざまな人々がやってきたのかを探るため、研究チームはDNAに刻まれた痕跡を調べた。古代イベリア人271人のゲノム配列を決定し、これまでに公表された別の132人のデータと統合した。

 結果は、予想以上に複雑だった。

■男性はすべて置き換わっていた

 イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に関連する遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。

 インド・ヨーロッパ語族を広めたのはステップの人々だったという仮説がある。その「ステップ仮説」では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。


「影響は男性にとても偏っていたようです」とナショナル ジオグラフィック協会の上級プログラムオフィサーを務める遺伝人類学者ミゲル・ビラー氏は話す。なお、氏は今回の研究に関わっていない。

 やって来た男性は何者だろうか? 争いはなかったのか? ビラー氏は、ステップの男性は、馬に乗り青銅器を携えてイベリア半島にやって来て、青銅器時代の到来を告げたのではないかと推測している。同氏はこの移動の影響を、1490年代に欧州人が上陸した際に、南北米大陸の先住民が直面した事態になぞらえた。

「欧州の端から端まで広がる大移動に成功し、いまだにこの西端の地に多大な影響を及ぼしているのです」とビラー氏。

 その頃、青銅器が使われ始めたこと以外に、ステップ文化の明らかな痕跡はイベリアでまだ見つかっていない。一方、今回の研究により、西欧でインド・ヨーロッパ語族ではない唯一の言語を話す現代のバスク人が、ステップの人々と非常に近い遺伝子マーカーを持っていることがはっきりと示された。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/ph_thumb.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/
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引用元: 【古代】古代南欧で謎の「男性大量流入」、DNA調査で判明 4500年前にいったい何が?[03/19]

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1: 2019/02/20(水) 12:41:58.79 ID:CAP_USER
「三国志」に登場する古代中国の英雄、曹操の墓とみられる3世紀の遺跡から出土したつぼが、この時代には存在しないとされてきた「白磁」の特徴を持っていることが分かり、調査に当たった東京国立博物館の研究チームは、これまでの発見例を300年以上さかのぼる最古の白磁だとしています。

つぼは2009年(平成21年)に中国中部 河南省の墓から出土しました。

この墓は出土品の特徴などから3世紀に作られたと考えられ、中国政府の研究機関は「三国志」に登場する英雄、曹操の墓だとしています。

見つかったつぼは、高さ13.4センチ、口径8.7センチの大きさで、去年12月、東京国立博物館の研究チームが現地で詳しく調べたところ、表面に透明な釉薬がかけられているうえ、それが高温で焼き上げられてガラス質に変化しているなど、白磁の特徴を備えていることが確認されました。

研究チームによりますと、白磁はこれまで中国の6世紀末の遺跡から出土したものが最も古いとされてきましたが、今回見つかったつぼは墓が作られた時の副葬品と考えられることから、それを300年以上さかのぼるとしています。

東京国立博物館の市元塁主任研究員は「白磁が歴史上、どう位置づけられるのか大変興味深い。三国志の時代は戦乱が続き、文化的、美術的には注目されてこなかった時期で、白磁が見つかったことで、より等身大の三国志像が描かれるようになると思います」と話しています。

このつぼは、ことし7月から東京国立博物館で開かれる特別展「三国志」で展示される予定です。

続きはソースで

https://pbs.twimg.com/media/Dzzh3i3V4AAedPO.jpg

NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190220/k10011820751000.html
ダウンロード (1)


引用元: 【考古学】「三国志」の英雄、曹操の墓と見られる遺跡で出土のつぼ 最古の白磁か[02/20]

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1: 2018/12/05(水) 09:38:30.93 ID:CAP_USER
古代の洞窟壁画には多数の手形がつけれられていることがありますが、この手形は「指が欠けた状態」であることがしばしば報告されていました。この理由について、研究者は「宗教的ないけにえ行為のために指が切断された」という可能性を示しています。

A Cross-cultural Perspective on Upper Palaeolithic Hand Images with Missing Phalanges | SpringerLink
https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs41982-018-0016-8

Strange Cave Art Could Mean These Palaeolithic People Amputated Their Own Fingers
https://www.sciencealert.com/strange-cave-art-could-mean-palaeolithic-artists-were-ritually-amputating-their-own-fingers

旧石器時代の洞窟壁画には、人間の手や指をかたどった「手形」がよく見られますが、フランスやスペインの壁画では、これらの指が一部失われている状態であることがありました。これまで、考古学者の多くは指のない手形が存在する理由について「ただの偶然だろう」と考えてきました。一方で、「指を曲げるなどして一部の指を描かなかった」という説もあれば、「一部の地域の人々には指を切り落とす慣習があった」という説もあるとのこと。

そして、サイモンフレーザー大学の考古学者であるMark Collard氏は新たな研究で、この「指を切断する慣習」という説を支持しました。「比較的新しい歴史の中でも、指の切断は多くの地域で一般的に行われています」「一部の後期旧石器時代の人々が宗教的ないけにえ行為として指を切断していたという仮説は、これまでのデータにも適合するものです」とCollard氏は述べています。

研究チームが上記のような結論を出した理由の1つは一部の地域で数多くの「指の欠けた手の跡」が発見されていることにあります。フランスのグロット・プレイストリック・ド・ガルガでは40~50人がつけたとみられる231個の手形が発見されていますが、うち114個は指が1~2本欠けている状態です。
またフランスのコスケール洞窟では49個の手形のうち28個が、スペインのマルトラビエソ洞窟では71個の手形のうち61個が指の欠けた状態だったとのこと。

続きはソースで

https://i.gzn.jp/img/2018/12/05/palaeolithic-hand-images/002.jpg
https://i.gzn.jp/img/2018/12/05/palaeolithic-hand-images/00.jpg

GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20181205-palaeolithic-hand-images/
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引用元: 【考古学】古代壁画に「指の欠けた手形」が多数あるのはなぜなのか?[12/05]

古代壁画に「指の欠けた手形」が多数あるのはなぜなのか?の続きを読む
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