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古墳

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1: 2016/10/16(日) 21:16:28.98 ID:CAP_USER
キトラ天文図、謎の描き直し ミスか故意か見解分かれる (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161016-00000016-asahi-soci
http://amd.c.yimg.jp/amd/20161016-00000016-asahi-000-2-view.jpg


 現存する世界最古の本格的な星図とされる奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の天文図。奈良文化財研究所(奈文研)の調査で、その描き方が明らかになりつつある。星座の形や位置は、狭い石室の天井に原図をなぞりながら転写していた可能性の高いことが確認された。ところが、一部の星座には下書き線が描き直された痕跡もみつかった。飛鳥時代の絵師は、なぜ下絵を描き直さなければならなかったのか。

 天文図は石室内の天井石に塗られた漆喰(しっくい)の上に、中心を同じくした大きな三つの円と、北西にずれた円の計四つの円が描かれた。その円の中に350個以上の金箔(きんぱく)を貼り付け、その金箔を朱線でつなぎ、74個以上の星座を表現した。

 奈文研は2014年から、天文図について詳細な調査を実施。若杉智宏研究員が、再現実験などを通じて描き方の復元を試みた。(1)大きな四つの円をコンパスの原理で描く(2)和紙の裏に木炭やベンガラなどを塗った、カーボン紙のような「念紙(ねんし)」を使って、原図と一緒に漆喰の上からなぞりながら星座を下書きする(3)下書き線と原図を参考に金箔を貼る(4)金箔を結ぶ朱線を描き、星座を仕上げる。

 飛鳥時代には和紙は貴重で、仏教の経典や法律などの重要文書を書き写す場合がほとんどだった。天文図を描いた際にも原図の裏に直接色料を塗って転写する方法のほか、原図の下に念紙を重ね、上からなぞった方法もあったとみられる。

 一方、一部の星座では下書きが朱線より一回り小さく描かれたり、朱線とは異なる位置にあったりするなど、描き直したとみられる痕跡がみつかった。絵師は原図をなぞって星座を転写したのに、あえて下書きを描き直したのはなぜか。

 この謎について、若杉さんは天文図の描かれた作業環境に注目する。天文図は高さ1・2メートル、幅1メートルの狭い石室の天井に描かれていた。金箔の多くは直径約6ミリ、星と星を結ぶ朱線の長さは約4センチ~1ミリにすぎない。「絵師は常に上を向いた状態で細かい作業を続けた。星座の大きさは5センチ以内と小さく、絵師がミスした可能性もあるのでは」

 
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引用元: 【考古学】キトラ天文図、謎の描き直し ミスか故意か見解分かれる [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/09/21(水) 13:15:21.93 ID:CAP_USER9
キトラ壁画・四神の館が公開へ

極彩色の魅力体感
http://this.kiji.is/150881451285267962?c=39546741839462401

 文化庁と国土交通省は20日、奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画の保存・展示施設「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」が24日に開館するのを前に、内部を報道陣に公開した。

 古墳に隣接する「四神の館」は平屋・地下1階建てで、延べ床面積は約2500平方メートル。

続きはソースで

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引用元: 【文化】キトラ壁画・四神の館が公開へ 世界最古の星図、極彩色の魅力体感 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/05/27(金) 17:51:02.65 ID:CAP_USER9
 ピラミッドのように石を階段状に積み上げた、類例のない大型方墳とわかった奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半~7世紀初め)について、村教委と関西大は26日、発掘調査報告書を発行したと発表した。
墳丘に12万9千個の石が使われ、築造に延べ3万人が関わったと推定。専門家は「蘇我一族の墓の可能性が高まった」と指摘する。

 報告書によると、東西約41メートル、南北約42メートル。横穴式石室を備え、ふたが屋根形の家形(いえがた)石棺(せっかん)が納められている。
墳丘は川原石を階段状に少なくとも5段以上積み上げ、階段の壁面部と平坦(へいたん)部の内部などに拳大から人頭大の石が使われていた。
石の総数12万9千個は1平方メートルあたりの数から推計した。石室を含めた推定総重量は485トンにのぼる。

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都塚古墳想像図
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526004634_comm.jpg
都塚古墳=2014年8月、奈良県明日香村
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526003876_comm.jpg
石が積み上げられた階段状の遺構
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526003862_comm.jpg
地図
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526004032_comm.jpg

http://www.asahi.com/articles/ASJ5T7DT6J5TPTFC01B.html
2016年5月27日16時43分

引用元: 【社会】奈良のピラミッド築造に延べ3万人 都塚古墳調査で推定©2ch.net

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1: 2016/02/17(水) 18:05:22.46 ID:CAP_USER.net
メソポタミアのガラス玉? 「かなりの有力者の拠点」福岡の古墳から出土 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160217-00010006-nishinp-sctch

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 福岡県築上郡上毛町下唐原の大池西古墳(6世紀後半~7世紀)から昨年出土したガラス玉のうちの1個が、メソポタミア(現在のイラクなど)地域産のガラスを使った可能性が高いことが分かった。
ガラス玉は古代の装飾品として全国で多数出土しているが、ガラスの国産が始まる7世紀後半以前の遺跡から出土した外来産ガラスに関する調査・研究は、近年始まったばかり。
現段階で意義付けは難しいが、町民らは「そんな遠くから渡来したとは」と古代ロマンに思いをはせている。

 大池西古墳は、町営大池公園のため池西岸にある円墳。ガラス玉は昨年4月、町教委の発掘調査で、他のガラス玉など装飾品36点、馬具2点などとともに石室内で見つかった。
中心が膨らんだ円筒形のガラス玉は、長さ5ミリ、直径4ミリ。中心に1ミリ径の穴が開いている。
「全国でも200点ほどしかない、2枚貼り合わせの“重層ガラス”だった」(町教委)ため、奈良女子大古代学学術研究センター(奈良市)の大賀克彦特任講師に調査を依頼した。
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 大賀特任講師によると古代のガラス玉は、原料(二酸化ケイ素)に含まれる不純物や、原料の融点を下げるために混ぜる融剤の成分で、
(1)南アジア系(2)メソポタミア系(3)地中海(ローマ帝国)系-に分類可能。
今回のガラス玉は、融剤のナトリウムを得る材料に植物灰を使用したメソポタミア系と昨年秋、判明した。
大賀特任講師は「調査が進んでいないだけで、大陸への窓口だった北部九州には多いと予想される」と話す。

 町教委は「同時発掘の他のガラス玉には、南インド産もあった。町には他に首長クラスの古墳もあり、かなりの有力者の拠点だったことを補強する成果」としている。
古代ガラスをめぐっては2012年、京都府の古墳(5世紀前半)から出土した重層ガラス玉が、ローマ帝国製と判明し話題になった。

引用元: 【考古学】メソポタミアのガラス玉? 「かなりの有力者の拠点」 福岡の古墳から出土

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1: 2015/12/06(日) 23:56:36.64 ID:CAP_USER*.net
 宮内庁が整備工事に伴う発掘調査を行い4日、報道陣や研究者らに現場を公開した天理市の前方後円墳
「景行(けいこう)天皇陵」(渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳、4世紀後半)。
調査では後円部で葺石や敷石、埴輪(はにわ)列が見つかり、これまでの調査を補足する成果となった。
一方、後世の改修の跡もうかがえ、見学した研究者らは「現状の濠(ほり)は当初の形ではないことが分かった」とも指摘した。

 今回は墳丘と、濠にのびる渡土堤(わたりどて)の計9カ所を調査した結果、後円部北側の「第4トレンチ」から葺石と敷石、埴輪列がまとまって出土。
2段目の葺石下には敷石が敷かれた1段目の平面が広がり、そこに円筒埴輪6個が並ぶ列が確認された。
昭和52年度の調査で東側で確認されたものの延長線上にあたるといい、宮内庁は「過去の情報をさらに補足できた。墳丘の当初の姿も復元できる情報」と説明した。

続きはソースで

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※画像はイメージで本文と関係ありません

引用元:http://www.sankei.com/region/news/151205/rgn1512050035-n1.html

引用元: 【奈良】葺石や敷石、埴輪列出土 宮内庁、奈良・天理の景行天皇陵で調査[産経新聞]

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1: 2015/10/28(水) 13:57:33.17 ID:???*.net
珍しい双方中円墳と確認

*ソース元にニュース画像あり*

http://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8033027841.html?t=1445989522
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

高松市の石清尾山にある石を積み上げて築いた古墳の一つが、「双方中円墳」と呼ばれる、真ん中が丸く、両側が四角いきわめて珍しい形をした古墳の可能性があることが発掘調査でわかりました。

この古墳は、高松市の石清尾山の「稲荷山地区」にある「積石塚」と呼ばれる石積みの古墳の「稲荷山北端1号墳」です。
高松市による調査で、昨年度、丸い墳丘の南側に四角い墳丘が続いていることが確認されました。

さらに今年度、反対の北側を調査したところ、階段状に築かれた丸い墳丘から石が直線状に延びていることなどから丸い墳丘の両側に四角い墳丘が張り出した「双方中円墳」の可能性があることが新たにわかりました。

北側の先端は確認されていませんが、南側と同じ程度の規模だとすると古墳全体の長さは、およそ70メートルとなります。
現在、「双方中円墳」とされている古墳は系統の異なる奈良県の1例を除くと、いずれも石清尾山にある古墳時代前期の「積石塚」の「猫塚」と「鏡塚」だけです。

高松市は慎重に調査を進め、来月13日に専門家による会議を開いて「双方中円墳」かどうか評価を固める予定です。

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10月28日 08時45分

引用元: 【古墳】珍しい双方中円墳と確認

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