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古文書

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1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2014/02/03(月) 15:46:01.19 ID:???0

★重文級含む史料、数万点発見 岩倉具視が使った暗号表など
2014/2/3 2:00

1877(明治10)年の西南戦争で明治政府のナンバー2の右大臣だった岩倉具視が使った暗号表や、最後の徳川将軍・慶喜が官軍に江戸攻撃中止を求めた直筆哀訴状など重要文化財級を含む数万点の史料が、江戸―明治の本草漢学塾「山本読書室」跡(京都市下京区)の土蔵に秘蔵されていたことが2日、分かった。

松田清京都外大教授(日本洋学史)が約2年半調査、目録を刊行した。

重文級は少なくとも数百点で、ほかに菅原道真直筆の可能性が指摘される9世紀の写経もあり、新史実の解明が期待できる一大史料群として注目されそうだ。

新史料の年代は平安から明治と広いだけでなく、古文書や書画、博物標本、歴史的な手紙など多岐にわたり、中野三敏九州大名誉教授は「類例のない大量の新史料」と評価している。

暗号表は紙製で、大小2枚の円盤の周りにそれぞれカタカナが書いてある。直径約10センチの小さい方の円盤を回して文字を変換する仕組み。また、東京の岩倉が九州の戦地や、大阪の大久保利通らと電報や暗号表など最新技術を駆使して交わした秘密通信文61通もあった。士族反乱が全国に広がらないよう、情報収集していた老練な政治家の息遣いが伝わる。

慶喜の哀訴状は、時代が江戸から明治へとなった1868年、江戸攻撃が8日後に迫った3月7日に官軍に届けられた。
「慶喜一身」を罰し「無罪之生民」に苦しみを与えないよう、攻撃中止を求めた内容。当時、回覧のため筆写されたので内容は知られていたが、直筆は初めて。

山本読書室は本草学(博物学)の西日本の拠点で、医学や儒学なども教えていた。創立者の山本亡羊の孫、復一が岩倉の秘書で、伝記「岩倉公実記」の編集に携わったことから、実記編集用に集めた参照史料など数百点を所蔵していた。既に知られている岩倉関連史料は重要文化財で、専門家は今回の史料も重文級と評価している。

今回の史料は現在、京都府立総合資料館で一時的に保管されている。

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http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG02017_S4A200C1CR8000/



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1: フランケンシュタイナー(兵庫県) 2014/01/22(水) 18:45:15.19 ID:ButApxLt0 BE:284874522-PLT(12001) ポイント特典

山形の礎を築いた戦国武将、最上義光が庄内地方の神社にあてた古文書が見つかり、専門家は、義光が庄内地方を支配下に置いていたことを裏付ける貴重な資料だとしています。

新たに見つかったのは、最上義光から現在の鶴岡市下山添にあたる下山添村の八幡神社に出された2通の文書です。
文書は、神社に土地を与えるかわりに、今後も忠義を尽くすよう求める内容で、義光の印も押されています。

神社の関係者と山形市に住む個人がそれぞれ保管していたもので、山形大学人文学部の松尾剛次教授が、印や紙の質などから原本と確認したということです。

松尾教授は、「それまで庄内地方を支配していた勢力から土地を取り上げて、寺社などに分配していたことがわかり、義光の庄内地方の支配を裏付ける貴重な資料だ」と話しています。
文書を保管していた八幡神社の佐藤信弘宮司は、「歴史的に貴重な品物だとわかり、驚いている。管理態勢を整えて、大切に保管したい」と話していました。

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http://www.nhk.or.jp/lnews/yamagata/6024421291.html?t=1390383845203



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