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土器

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1: 2018/11/23(金) 17:49:33.27 ID:CAP_USER
 北海道福島町にある縄文時代の館崎遺跡から出土した土器に、「米食い虫」の異名を持つコクゾウムシが推定で約500匹練り込まれていたことが分かった。熊本大の小畑弘己教授らが発見し、23日までに英考古学誌ジャーナル・オブ・アーキオロジカル・サイエンス電子版に発表した。

 多量のコクゾウムシは意図的に交ぜられたとみられ、小畑教授は「世界的にもまれな発見。縄文人の精神性を表すもので、栗の豊作の願いを込めたのではないか」と話している。
 貯蔵米の害虫として知られるコクゾウムシは、体長約4ミリのオサゾウムシ科の甲虫。

続きはソースで

(2018/11/23-15:08)

■X線コンピューター断層撮影(CT)で解析した縄文土器。点で示された位置にコクゾウムシが練り込まれたとみられる
https://www.jiji.com/news/kiji_photos/0181123at14_p.jpg

■縄文土器に大量の「米食い虫」=北海道・館崎遺跡から出土-熊本大
https://www.jiji.com/news/kiji_photos/0181123at15_p.jpg

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112300343&g=soc
ダウンロード (1)


引用元: 【考古学】縄文土器に大量の「米食い虫」=北海道・館崎遺跡から出土-熊本大[11/23]

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1: 2018/10/26(金) 13:45:51.15 ID:CAP_USER
京都府長岡京市の病院建設予定地で、長岡京期(784~94年)に建てたとみられる大型掘立柱建物跡が見つかったと25日、市埋蔵文化財センターが発表した。南北約21メートル、東西約6メートルの区画で、西側に庇がある構造だった。専門家は皇族が使用した離宮の可能性が大きいとしている。

「右京六条三坊三町」に当たる位置で、建物跡は南北に細長く、柱穴の大きさは一辺1~0.9メートル、間隔は10尺(約3メートル)だった。

 周辺からの出土品の大半は瓦で長岡京期の後半の製作。既に長岡京の離宮跡の東院や猪熊院の推定地でも確認された「※」の文字を刻印した瓦が多い▽生活に使用する土器の出土が少ない▽建物のある区域は築地状の溝で隔てられている--などから、建物は公的な重要施設とみている。

続きはソースで

https://amd.c.yimg.jp/im_sigg7twe_S1STJlmNTSvYQY4SQ---x400-y266-q90-exp3h-pril/amd/20181026-00000010-mai-000-1-view.jpg
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/10/26/20181026k0000m040266000p/7.jpg

毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20181026/k00/00m/040/259000c
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引用元: 【考古学】京都 大型掘立柱建物跡が出土、皇族の離宮か 長岡京市[10/26]

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1: 2018/08/04(土) 14:33:56.88 ID:CAP_USER
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135~230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明~248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。

 同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135~230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。

纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。

続きはソースで

https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg



産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
ダウンロード (2)


引用元: 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135~230年のものと判明 奈良・桜井市

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1: 2018/01/01(月) 17:48:33.11 ID:CAP_USER
2017年12月14日、琵琶湖北部の湖底における水中ロボットを用いた探査で、飛鳥時代から奈良時代にかけてのものと分析される、完全な形の土師器(はじき)の甕(かめ)が発見され、画像が撮影された。立命館大学、認定NPO法人びわ湖トラスト、いであ社、TBSテレビの共同調査研究によるものである。

プロジェクトの名前は葛篭尾崎(つづらおざき)湖底遺跡探査という。
葛篭尾崎というのは琵琶湖北、滋賀県長浜市の地名である。土器が発見されたのは水深71.5メートルほどの場所。
ちなみに調査は2010年から2017年までに16回行われており、7の地点で、湖底に沈む土器がいくつか発見されている。

 琵琶湖の湖底から土器が見つかるはっきりとした理由を言い当てた者は無く、現状では謎に包まれている。

 琵琶湖葛篭尾崎湖底遺跡は、水深が約70メートルと深い上、水流が激しいことから、ダイバーによる潜水調査が極めて困難である。
そこで、研究グループは独自に製作した水中ロボットを探索に投入している。

続きはソースで

画像:発見された土器。(画像:立命館大学発表資料より)
http://www.zaikei.co.jp/files/general/201712291445259z30a.jpg

財経新聞
http://www.zaikei.co.jp/article/20171231/418936.html
ダウンロード (5)


引用元: 【考古学】水中ロボットが琵琶湖底から古代の土器を発見、立命館大学の研究

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1: 2018/01/10(水) 17:34:24.14 ID:CAP_USER
 長崎県壱岐市教育委員会は9日、同市のカラカミ遺跡で、「周」という漢字の左半分が刻まれた土器片(弥生時代後期、2世紀頃)が出土したと発表した。

 同遺跡は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「一支いき国」の交易拠点跡とされ、当時の九州北部で広範囲に文字が伝わっていた可能性も出てきた。

 漢字が記された資料は福岡市・志賀島で見つかった「漢委奴国王」の刻印を持つ金印や銘文のある鏡などがいち早く国内に入っているが、土器としては国内最古級となる。

 土器片は縦7・5センチ、横8・8センチ。鉢(口径23センチ、高さ7・7センチ)の一部とみられ、文字は縁部分に刻まれていた。

続きはソースで

画像:「周」の左半分が刻まれた土器
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180110/20180110-OYT1I50005-N.jpg

図:刻まれた文字のイメージ
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180110/20180110-OYT1I50004-N.jpg

http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180110/20180110-OYT1I50008-N.jpg

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180110-OYT1T50027.html

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引用元: 【考古学】(2世紀頃)弥生期土器に漢字、権力者以外にも文字伝わる?

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1: 2017/11/20(月) 12:02:12.74 ID:CAP_USER
福岡県筑前町の薬師ノ上遺跡で14年前に出土した石製品が、墨が付着した弥生時代のすずりである可能性が高いことがわかった。
当時、北部九州の広い範囲で文字文化が普及していたことを示す傍証になる。

 石製品は長さ約15センチ、幅6~5センチ、厚さ数ミリ~1センチ足らず。
材質は砂質頁(けつ)岩で二つに割れているが、ほぼ完全な形。表面には炭化物がうっすらと付着し、当時使用された墨とみられる。

 2003年、紀元前から紀元後にかけての弥生時代中~後期の土器だまりで発見された。
田和山遺跡(松江市)や三雲・井原(いわら)遺跡(福岡県糸島市)に続く弥生すずりの発見で、墨が残る完全な形での出土は初めて。

続きはソースで

画像:ほぼ完全な形で確認された弥生時代のすずり=福岡県筑前町
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171113003479_commL.jpg

朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASKC953V3KC9TLZU001.html
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引用元: 【考古学】墨が付着した弥生時代のすずりか 福岡の薬師ノ上遺跡

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