1: ラ ケブラーダ(愛知県) 2013/12/12(木) 12:25:33.99 ID:vDuBYCzV0 BE:425473128-PLT(12000) ポイント特典

中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場、遺構を発見

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出土した石組み溝(11日、奈良県明日香村で)=川崎公太撮影

 大化改新(たいかのかいしん)(645年)を主導した中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(のちの天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が出会った「飛鳥寺西の槻(つき)の樹(き)の広場」とみられている奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、飛鳥時代の砂利敷きや石組み溝、柱の穴とみられる遺構などが見つかったと、村教委が11日発表した。

 調査では東西約10メートル分の砂利敷きを確認。過去の発掘で複数地点で出土した砂利や石を敷いた広場が、東西約120メートルに達し、国家儀礼を行うのにふさわしい規模だったことが確実になった。
石を組んだ溝(幅約1・3メートル、深さ約15センチ)や、柱が立っていたとみられる穴13個(直径33~116センチ)も出土。
穴は東西方向に2・4~2・7メートル間隔で並び、焼けた土で埋まっていた。

 日本書紀は、壬申(じんしん)の乱(672年)で広場に大友皇子の軍営が置かれ、大(おお)海人(あまの)皇子(みこ)側が奪取したと記す。
和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)は「焼けた土は壬申の乱と関係があるかもしれない」と話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131212-00000201-yom-soci



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