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奈良県

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1: ニールキック(大阪府) 2014/02/21(金) 17:37:14.85 ID:toXACcau0 BE:883334584-PLT(12001) ポイント特典

奈良の天武・持統陵に立ち入り 八角5段の墳丘観察

 宮内庁が管理する奈良県明日香村の天武・持統天皇合葬陵(7世紀後半)に21日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の15団体の研究者が立ち入り、墳丘の様子などを観察した。

 陵墓は宮内庁が立ち入りを制限し、これまで外部研究者による調査は行われていないが、同庁は昨年、合葬陵の構造について天皇陵固有とされる「八角形墳」で5段築成と結論付ける論文を発表。
1950~70年代の調査結果などから、最下段の一辺は約15メートル、全体の高さは約7・7メートル、凝灰岩の切り石で覆われ「仏塔のようだったと推測される」と報告した。

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http://www.47news.jp/CN/201402/CN2014022101002088.html



宮内庁はなぜ全ての古墳を研究者に開放しないのかの続きを読む

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1: ラ ケブラーダ(愛知県) 2013/12/12(木) 12:25:33.99 ID:vDuBYCzV0 BE:425473128-PLT(12000) ポイント特典

中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場、遺構を発見

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http://amd.c.yimg.jp/im_siggjwEP9QQmXfVeGnBigftuOw---x293-y450-q90/amd/20131212-00000201-yom-000-1-view.jpg
出土した石組み溝(11日、奈良県明日香村で)=川崎公太撮影

 大化改新(たいかのかいしん)(645年)を主導した中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(のちの天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が出会った「飛鳥寺西の槻(つき)の樹(き)の広場」とみられている奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、飛鳥時代の砂利敷きや石組み溝、柱の穴とみられる遺構などが見つかったと、村教委が11日発表した。

 調査では東西約10メートル分の砂利敷きを確認。過去の発掘で複数地点で出土した砂利や石を敷いた広場が、東西約120メートルに達し、国家儀礼を行うのにふさわしい規模だったことが確実になった。
石を組んだ溝(幅約1・3メートル、深さ約15センチ)や、柱が立っていたとみられる穴13個(直径33~116センチ)も出土。
穴は東西方向に2・4~2・7メートル間隔で並び、焼けた土で埋まっていた。

 日本書紀は、壬申(じんしん)の乱(672年)で広場に大友皇子の軍営が置かれ、大(おお)海人(あまの)皇子(みこ)側が奪取したと記す。
和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)は「焼けた土は壬申の乱と関係があるかもしれない」と話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131212-00000201-yom-soci



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1: 常世非時香果φ ★ 2013/11/15(金) 20:58:48.76 ID:???

奈良の唐古・鍵遺跡から九州土器 近畿初、弥生中期に交流

 弥生時代を代表する集落跡の唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で、北部九州で作られたとみられる弥生時代中期中ごろ(紀元前2世紀ごろ)のかめの破片が見つかり、同町文化財保存課が15日、発表した。当時の北部九州の土器が近畿で見つかるのは初めて。

 既に同遺跡から東海や中国地方の土器は確認されており、田崎博之愛媛大教授(考古学)は「後の時代の魏志倭人伝に奴国や伊都国として記された地域の土器だろう。唐古・鍵との間で人の往来があったのでは」とみている。

 出土した破片は口縁部で、縦約5・3センチ、横約13センチ。

http://www.47news.jp/smp/CN/201311/CN2013111501002269.html
 唐古・鍵遺跡で見つかった北部九州で作られたとみられるかめの破片=15日、奈良県田原本町
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http://img.47news.jp/PN/201311/PN2013111501002378.-.-.CI0002.jpg



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1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2013/10/04(金) 17:09:42.06 ID:???0

★キトラ古墳の石室を封鎖 壁画発見から30年、再び眠りに
2013/10/3 19:22

 奈良県明日香村の国特別史跡、キトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)で3日、鎌倉時代に石室に開けられた盗掘穴を閉鎖する作業が終了した。四神像などの極彩色壁画が発見されて30年。保存のため、壁画ははぎ取られて同村内の施設で修復中。
石室は再び長い眠りに就いた。

 高松塚古墳(同)の石室解体を指揮した石工、左野勝司さんが作業を担当。
石室と同じ二上山産の凝灰岩で蓋を作って盗掘穴にはめ込み、隙間をしっくいで塗り固めて、作業年月日などを刻んだ銅板を取り付けた。

 古墳は石室を埋め戻した上で墳丘を一部復元し、歴史公園として整備されて2016年度に公開される。

 壁画はぎ取り作業を指揮した東京文化財研究所の川野辺渉センター長は「石室には作業のため何百回も入ったが、もう二度と入ることはないという実感がわかない」と話していた。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0304D_T01C13A0CR8000/
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