理系にゅーす

理系に関する情報を発信! 理系とあるものの文系理系関係なく気になったものを紹介します!

スポンサーリンク

明治時代

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
1: 2016/04/20(水) 12:31:03.34 ID:CAP_USER*.net
染井吉野の起源に迫る 父オオシマザクラにヤマザクラの遺伝子入っていた (北海道新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160420-00010001-doshin-sctch


全国の染井吉野はDNAパターンが同一

 桜前線の北海道到達までもうすぐ。道内に自生するのは、エゾヤマザクラ(オオヤマザクラ)とチシマザクラなどだが、道央以南に植えられた染井吉野(そめいよしの)も日本を代表する桜として親しまれている。その染井吉野を巡り、最近、新発見があった。研究の中心になった森林総合研究所(森林総研)多摩森林科学園(東京都八王子市)の勝木俊雄・サクラ保全担当チーム長に新発見と桜にまつわるエピソードを聞いた。

 染井吉野(漢字表記の理由は後述)は幕末に江戸・染井村の植木屋から「吉野桜」の名で売り出され、奈良の吉野桜(ヤマザクラ)と区別するため、明治時代に染井吉野と命名された。花付きの良さと成長の早さが好まれ、瞬く間に全国に広まった。今では寒い道東、道北と暑い沖縄以外でその姿を見ることができる。苗木は接ぎ木で育てられるため、どれも同じ形態で、葉が伸びるより前に花が咲くので姿が美しいこと、ほぼ一斉に咲いて一斉に散るので潔い感じがするのが特徴だ。

 では、起源はどこにあるのか。明治以降、さまざまな説が浮かんでは消えた。1960年代に国立遺伝学研究所の竹中要(よう)博士が交配などの遺伝学的な実験を繰り返した結果、エドヒガンとオオシマザクラの2種を掛け合わせると、染井吉野とよく似た個体が育つことを突き止めた。

 このように異なる種同士が交配してできたものを植物分類学では「種間雑種」と呼び、学名と「ソメイヨシノ」という標準和名が与えられている。

続きはソースで

images

(編集委員 橘井潤)

引用元: 【科学】染井吉野の起源に迫る 父オオシマザクラにヤマザクラの遺伝子入っていた

染井吉野の起源に迫る 父オオシマザクラにヤマザクラの遺伝子入っていたの続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
1: 2016/03/22(火) 23:38:13.33 ID:CAP_USER.net
東京文化財研究所(東京都台東区)は22日、55年ぶりに保存修理した国宝、鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像、あみだにょらいざぞう)について、13世紀の創建当初から顔だけが金色だった可能性があると発表した。

ダウンロード (5)


鎌倉大仏は江戸時代の文献に金色だったと記され、顔については「金箔(きんぱく)」とする明治時代の報告書があるほか、金メッキ説もある。今回の修理に伴い、X線による金属調査などで大仏の右頬などに残る金が目の周囲や鼻でも確認された。

調査を担当した同研究所の森井順之(まさゆき)主任研究員は「金は創建当初のものと推測される」と話している。【因幡健悦】

画像
http://amd.c.yimg.jp/amd/20160322-00000113-mai-000-6-view.jpg
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160322-00000113-mai-soci

引用元: 【歴史】鎌倉大仏、13世紀に作られたとき顔だけ金色だった可能性

鎌倉大仏、13世紀に作られたとき顔だけ金色だった可能性の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
1: 2015/07/16(木) 08:07:18.99 ID:???.net

 
画像
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150715/K10010152021_1507160424_1507160442_01_03.jpg
明治時代に東京湾で新種の甲殻類として発見されたものの、その後、湾内では見つかっていなかった「ムギワラエビ」が今も生息していることが、135年ぶりに正式に確認されました。
ムギワラエビはヤドカリに近い甲殻類で、直径1センチほどの甲羅からクモのように四方に伸びた細長い手足が特徴です。

明治13年、1880年にドイツ人の研究者が千葉県鋸南町沖の東京湾で採取し、新種の生き物として発表されました。その後、東京湾では見つかっておらず、水質の悪化などによって生息できる環境は失われたと考えられていました。

ところが、ことし5月、発見された場所と同じ鋸南町の沖で潜水したダイバーがムギワラエビとみられる生き物を見つけたことから、14日、専門家が県の特別な許可を得て採取しました。

続きはソースで

ダウンロード


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150715/k10010152021000.html

引用元: 【生物】ムギワラエビ 135年ぶり東京湾で確認

ムギワラエビ 135年ぶり東京湾で確認の続きを読む

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
1: Cancer ★@\(^o^)/ 2014/06/15(日) 22:31:52.83 ID:???.net

津波2.5m? 神戸・旧居留地で発見された過去「南海地震」の鮮明な爪痕…「八雲」は津波に襲われた日本人の姿を書き残し

2014.6.14 18:00 [westライフ]

ヘリヤ商会跡地のすぐ東にある神戸市役所から神戸港をみた風景。右側が旧居留地で、左の県道はかつて生田川だった =神戸市中央区
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140614/waf14061418000004-l1.jpg

 勝海舟、坂本龍馬ら幕末の英雄が恐らく足を踏み入れたであろう場所で、平成21(2009)~22年、南海地震による津波の痕跡が発掘されている。神戸市中央区のJR三ノ宮駅から南へ下った神戸市役所のすぐ西に位置する、旧外国人居留地だ。

(中略)

 発掘された場所は現在、市の危機管理センターとなっているが、居留地が開かれたのちの明治時代には、米国系の日本茶輸出会社「ヘリヤ商会」が輸出する茶の加工工場を構えていた。
その工場跡地のコンクリートなどで地盤改良、整地されたすぐ下、地表から約1・5メートルの所で、厚さ約30センチの砂の層が南北約15メートル、東西約2メートルにわたり確認された。

 同志社大学理工学部の増田富士雄教授(地質学)の分析によると、この砂の層は、東側に流れていた旧生田川の河川氾濫で生じる泥をほとんど含んでいなかった。また、砂の粒子が山側方向と海側方向へ交互に折り重なるように堆積していたことから、寄せてはかえす運動を幾度も繰り返す津波によって形成されたとみられるという。

 さらに、この地層の上下には明治時代に整地された層と17世紀初頭の層があり、増田教授は宝永4(1707)年に起きた宝永地震か、嘉永7(1854)年の安政南海地震による津波ではないかとしている。現場が標高1・7~2メートルであることから津波高は2・5メートル程度と推定され、「現在のJR三ノ宮駅周辺にまで遡上(そじょう)していた可能性がある」(神戸市教育委員会文化財課の担当課長、千種浩さん)という。

 それにしても、阪神間の浜を広範囲に襲ったはずの津波の痕跡が、ここでしか見つかっていないのはなぜなのだろうか。千種さんによると、「砂の層の発掘場所がくぼ地になっていて、堆積物が残りやすい微妙な地形になっていたようだ」ということらしい。

(後略)

詳細・続きはソースで

ソース:MSN産経(2014.6.14)
津波2.5m? 神戸・旧居留地で発見された過去「南海地震」の鮮明な爪痕…「八雲」は
津波に襲われた日本人の姿を書き残し
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140614/waf14061418000004-n1.htm

プレスリリース:神戸市教育委員会(平成23年1月27日)
南海地震による津波痕跡をはじめて確認
旧神戸外国人居留地遺跡で、江戸時代に標高約2mまで津波があったことが判明した。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2011/01/20110127841002.html

参考:
増田富士雄, 谷口圭輔. 2011. 旧神戸外国人居留地遺跡で観察された江戸時代の振動流
(津波?)堆積物. in 神戸市教育委員会 (ed.) 旧神戸外国人居留地遺跡発掘調査報告書.
神戸市教育委員会文化財課. 74p.


引用元: 【地質学】津波2.5m?神戸・旧居留地で発見された過去「南海地震」の鮮明な爪痕


【神戸】津波2.5m?「南海地震」の鮮明な爪痕発見の続きを読む
スポンサーリンク

このページのトップヘ