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書簡

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1: 2015/03/22(日) 21:52:59.47 ID:???.net
寺田寅彦の書簡見つかる 物理学の限界、矛盾を指摘
引用元:47NEWS 2015/03/21 15:30配信記事
http://www.47news.jp/CN/201503/CN2015032101001335.html

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「天災は忘れたころにやって来る」の言葉で知られる物理学者で随筆家寺田寅彦(1878~1935年)が、歌人で物理学者の石原純に宛てた書簡が21日までに見つかっていたことが、高知県立文学館(高知市)への取材で分かった。

「人間の感覚を無視するよう」に発展する当時の理論的な物理学の限界や矛盾を指摘した内容で、同館の永橋禎子学芸員は「寅彦の思考の過程が分かり興味深い」と話している。

続きはソースで

画像:
寺田寅彦が歌人で物理学者の石原純に宛てた書簡
http://img.47news.jp/PN/201503/PN2015032101001494.-.-.CI0003.jpg

引用元: 【物理】寺田寅彦が東北帝国大教授だった石原純に宛てた書簡見つかる 理論的な物理学の限界や矛盾を指摘

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~~引用ここから~~

1: ムーンサルトプレス(大阪府) 2013/12/03(火) 09:52:48.33 ID:7jPgdX/X0 BE:276042825-PLT(12001) ポイント特典

 兵庫県伊丹市立博物館は2日、戦国武将、荒木村重(道薫)に幽閉された黒田官兵衛が、後に村重に送った書簡の写しが見つかったと発表した。織田信長に謀反を起こした村重の説得に訪れた官兵衛は1年間幽閉された。それから4年後の手紙だが、文面からは親しげな関係がうかがえ、研究者は「幽閉は過酷なものではなく、2人は変わらずに親しい関係だったのでは」と分析している。

 同館によると、今年10月、伊丹市の郷土史家が1936年発行の「茶道全集」に書簡の内容が掲載されているのに気付き、同館が京都市上京区の相国寺光源院で書簡を確認した。

 村重は伊丹にあった有岡城の元城主で、官兵衛とともに織田信長に仕えた。1578(天正6)年、村重は信長に謀反を起こし、説得に訪れた旧知の官兵衛を有岡城に幽閉。1年後に城を捨てて逃れ、官兵衛は解放された。書簡は本能寺の変で信長が討たれた翌年の1583(同11)年に書かれた。

 当時、官兵衛は秀吉の配下で、茶人となっていた村重は茶道を通じて秀吉との関係を深めていた。
書簡は、村重から光源院の領地問題の相談を受けた官兵衛が返書を出し、これを村重が書き写し、交渉が順調だと伝えるために光源院に送ったものとみられる。

 「秀吉様のお考えどおりに間違いのあるわけがありません」と秀吉をたたえる言葉や「姫路へのお供をされるのであれば、この地へお出(い)でになるだろうと存じていたところ、お出でになられず、とても残念」と再会できなかったことを惜しむ文がつづられていた。

 神戸女子大の今井修平教授(日本近世史)は「文面からは遺恨は感じられない。茶人となった村重が政治に関与し、秀吉の下で力を合わせて政策を実現しようとする2人の関係を示す貴重な資料だ」と評価している。【幾島健太郎】

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http://mainichi.jp/graph/2013/12/03/20131203k0000m040151000c/image/001.jpg
http://mainichi.jp/select/news/20131203k0000m040151000c.html




引用元: 黒田官兵衛から荒木村重に、幽閉から4年後に送られた親しげな書簡の写しが見つかる
 


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