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歴史

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1: 2018/06/08(金) 07:49:59.28 ID:CAP_USER
遺跡や化石などの歴史的資料が発見された際、その資料がいつ頃のものなのかを調べるためにさまざまな方法で年代測定を行います。
動植物の遺骸である場合は放射性炭素年代測定という手法が多く用いられるのですが、最近の研究によって、調査する地域によってデータの誤差修正が正確に行われないのではないかと、科学ジャーナリストのマイク・マクレー氏が指摘しています。

A Crucial Archaeological Dating Tool Is Wrong, And It Could Change History as We Know It
https://www.sciencealert.com/radiocarbon-dating-ancient-levant-region-calibration-inaccuracies

大気中に存在する炭素(C)には、放射性同位体のC14がわずかながら存在します。
このC14は約5730年の半減期でベータ崩壊を行い、窒素(N)になっていきます。
自然界の大気中にも存在するため、生物にも一定の割合でこのC14は取り込まれ、生きている限りは体内でのC14の割合は維持されます。しかし、生物が死ぬ、つまり生命活動をストップすると、C14が取り込まれなくなってしまうため、体内のC14は少しずつベータ崩壊で減少していきます。
放射性炭素年代測定は、試料の中にC14がどれだけ壊変しているかを調べることで、その試料がいつ頃のものかを測定するというものです。

この放射性炭素年代測定の要となるのが、大気中のC14の量の変動です。

続きはソースで 

https://i.gzn.jp/img/2018/06/08/radiocarbon-dating-calibration/a03.jpg

GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180608-radiocarbon-dating-calibration/

ダウンロード (2)


引用元: 【話題】考古学で用いられる「放射性炭素年代測定」の精度は調査する場所によって変わるので議論の余地があるという指摘

考古学で用いられる「放射性炭素年代測定」の精度は調査する場所によって変わるので議論の余地があるという指摘の続きを読む

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1: 2018/05/19(土) 22:38:52.54 ID:CAP_USER
 白川村で四百年前の大地震で一夜で埋まったとされる「帰雲城(かえりくもじょう)」の位置は「同村保木脇の庄川の左岸」だったとする研究結果を、歴史愛好家でつくる白川郷埋没帰雲城調査会がまとめ、十九日、発表する。

 村史によると、帰雲城は一四六四(寛正五)年ごろ、白川郷一帯を治めた内ケ島為氏(うちがしまためうじ)が築城。
四代目城主・氏理の時代に起きた一五八六(天正十三)年の大地震で山崩れとともに全てが埋まったとされる。
城の位置は不明で、これまで庄川の東側である右岸説や左岸説などが唱えられてきた。

 調査会によると、飛騨の地役人が一七四六(延享三)年に書いたとされる地誌「飛騨国中案内」に・・・

続きはソースで

画像:「帰雲川原」の地名が書かれた古地図
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180519/images/PK2018051802100304_size0.jpg

中日新聞(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180519/CK2018051902000051.html
images (3)


引用元: 【歴史】四百年前の大地震で一夜で埋まった「帰雲城」は庄川左岸に 白川村、歴史愛好家らが研究結果発表へ[05/19]

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1: 2018/05/15(火) 19:31:08.67 ID:CAP_USER
奈良県吉野町の遺跡で、新たに、奈良時代のものとみられる大型の建物の跡が見つかりました。
調査した地元の教育委員会などは、大仏を建立した聖武天皇などがたびたび訪れたと伝えられる「吉野離宮」の中心的な建物ではないかとみて注目しています。

奈良県吉野町にある国の史跡「宮滝遺跡」で、吉野町教育委員会と県立橿原考古学研究所が去年からことしにかけて発掘調査したところ、東西23.7メートル、南北9.6メートルの大型の建物の跡が新たに見つかりました。

屋根の下の部分に幅2メートル余りのひさしが付いた格式高い建物で、奈良時代前半に建てられたとみられています。

古代の歴史書「続日本紀」には、奈良時代の女帝の元正天皇や、東大寺の大仏を建立した聖武天皇が、吉野にあった「吉野離宮」をたびたび訪れたと記されています。

町の教育委員会と橿原考古学研究所は、規模や年代から「吉野離宮」の中心的な建物、正殿の跡ではないかとみて注目しています。

続きはソースで

関連ソース画像
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180515/K10011439491_1805151826_1805151842_01_02.jpg

NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180515/k10011439491000.html
ダウンロード (3)


引用元: 【考古学】大型の建物跡発見 飛鳥時代の「吉野離宮」の中心的な建物か 奈良[05/15]

大型の建物跡発見 飛鳥時代の「吉野離宮」の中心的な建物か 奈良の続きを読む

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1: 2018/04/17(火) 12:44:13.57 ID:CAP_USER
【4月17日 AFP】
13歳の少年とアマチュア考古学者が歴史的なお宝を発見──。
ドイツ北部で教員とその生徒が趣味の発掘で見つけた遺物をきっかけに、デンマークにキリスト教をもたらした10世紀の伝説的な王ハーラル1世(ハーラル・ブロタン、Harald Bluetooth、青歯王)にゆかりがあるとみられる品々が大量に発掘された。
専門家は「歴史資料を裏づける貴重な発見」とたたえている。

 今年1月、ドイツ北部のリューゲン(Ruegen)島で考古学が趣味の教員レネ・シューン(Rene Schoen)さんと生徒のルカ・マラシニチェンコ(Luca Malaschnitschenko)君(13)が金属探知機を用いて財宝探しをしていたところ、アルミニウム片のようなものを見つけた。
最初はなんの価値もない破片と思われたが、よく見ると銀でできているものだと分かった。

 これを受けて先週末から、地元の考古学チームが400平方メートルにわたって本格的な発掘調査を実施。
その結果、首飾り、真珠、ブローチ、指輪、北欧神話の戦トール(Thor)にまつわる金づちなどが見つかり、これらの品々がデンマークのイェリング(Jelling)朝のハーラル1世(在位958~986年頃)と関連するものであることが判明した。

続きはソースで

(c)AFP

画像:ドイツ北部リューゲン島シャプローデから出土した銀製品(2018年4月13日撮影)。
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/5/a/700x460/img_5ae51c692492a4c8b2ce4f82b070fd13199452.jpg
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/7/0/700x460/img_7029280b0fb5104aaed7cd0dc2b995f2226788.jpg

AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3171405
ダウンロード (4)


引用元: 【考古学】13歳少年が大手柄! 伝説的なデンマーク王イェリング朝のハーラル1世ゆかりの品発掘[04/17]

13歳少年が大手柄! 伝説的なデンマーク王イェリング朝のハーラル1世ゆかりの品発掘の続きを読む

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1: 2018/04/02(月) 17:10:06.99 ID:CAP_USER
グルジア南東部クヴェモ・カルトリ州で、今まで知られていなかった修道院の遺跡が見つかった。
グルジア文化・遺跡保護省がフェイスブックで発表した。

修道院の遺跡は17世紀のピタレティ修道院近くの山頂で見つかった。

興味深いことに、8~9世紀のものとみられるこの修道院に関する情報は・・・

続きはソースで

関連ソース画像
https://jp.sputniknews.com/images/473/59/4735953.jpg

スプートニク日本
https://jp.sputniknews.com/culture/201804024735971/
images (1)


引用元: 【考古学】グルジアで未知の古代修道院の遺跡が見つかる[04/02]

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1: 2018/03/15(木) 16:14:51.35 ID:CAP_USER
人間の歴史と「戦争」は切り離せませんが、歴史を変える戦争もあれば、中には後から振り返っても理解できない戦争もあります。
ヨーロッパの歴史において史上最も意味のない戦いは何かについて、Live Scienceが考察しています。

What Was the Most Pointless Battle in History?
https://www.livescience.com/62009-what-was-most-pointless-battle.html
https://i.gzn.jp/img/2018/03/15/most-pointless-battle/a02_m.jpg

史上最も無意味な戦いが何かを考えるときには決まって1942年にフランス・ディエップで起きた「ディエップの戦い」が有力な候補に挙がります。ディエップの戦いでは、不十分な戦力と作戦によって勝算が薄かった上に、戦前に作戦実行の秘密がドイツ軍に漏れていたため、カナダ・アメリカ・イギリスの連合軍は壊滅的な損害を受けています。

また、1838年にフランスとメキシコとの間で起きた「菓子戦争」も、メキシコ軍に店を破壊されたと訴えた菓子職人の陳情を真に受けたフランス王がメキシコに賠償金を請求した結果、メキシコが宣戦布告して戦争が始まったという開戦理由から、無益な戦いの一つに挙げられています。

しかし、これらの戦いを抑えて「史上最も意味のない戦い」の最有力候補には、1788年9月21日から22日にかけて起こったとされる「オーストリアとオスマントルコの戦い」をLive Scienceは挙げています。
なお、この名前のつけられていない戦いは、オーストリア軍による相手なき戦いという事実上の自爆であり、とうてい戦争とは言えないシロモノです。

続きはソースで

GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180315-most-pointless-battle/
images


引用元: 【歴史】〈考察〉史上最も意味のない戦いとは?[03/15]

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