理系にゅーす

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1: 2019/03/29(金) 01:39:19.97 ID:CAP_USER
8世紀から11世紀ごろまで北欧を侵略した「海賊」と呼ばれる「バイキング」の特徴のひとつは彼らが使用していたとされる独特の形のバイキング船ですが、そんなバイキング船がほぼ完全な形でノルウェーに埋められていることが2019年3月に新しく発見されました。
https://i.gzn.jp/img/2019/03/28/viking-warship/003.jpg

Vestfold fylkeskommune - Ny skipsgrav fra vikingtiden funnet i Vestfold
https://www.vfk.no/aktuelt/vikingfunn/

Archeologists believe Norway find is rare Viking ship burial
https://phys.org/news/2019-03-archeologists-norway-rare-viking-ship.html

バイキング船の特徴と言えば、前端と後端が同じ形で細長くしなやかな船というのが一般的です。また、バイキングの時代は王や首長たちのお墓として古墳のように船ごと埋葬する習慣があったとされます。今回見つかったのもノルウェーのそういった埋葬地と言われる場所で、2018年10月にも過去最大級のバイキング船の陵墓がノルウェーで発見されています。

続きはソースで

https://gigazine.net/news/20190328-viking-warship/
images


引用元: 【考古学】地中に埋められたバイキング船がノルウェーで新たに見つかる[03/28]

地中に埋められたバイキング船がノルウェーで新たに見つかるの続きを読む

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1: 2019/03/05(火) 16:39:30.39 ID:CAP_USER
■大王の像や王家の住居などを発掘、ギリシャ人考古学者の挑戦

長くもどかしい発掘の最終日、カリオペ・リムネオス=パパコスタ氏はもう帰るつもりだった。エジプト、アレクサンドリアの中心部にある公園「シャララート・ガーデン」で、ギリシャ人考古学者の彼女が発掘調査を始めてから、もう14年が過ぎていた。目的は、ファラオになった古代の征服者にして、この街の名前のもとになった人物、アレクサンドロス大王の痕跡を探すことだ。しかし成果はなく、時間切れが迫っていた。

 そのとき、穴の中にいた助手たちが彼女を呼んだ。土から白い大理石のかけらがのぞいていると言う。それまでの発掘状況に落胆していたパパコスタ氏だが、白い石の輝きを目にして、希望が湧き上がるのを感じた。

「祈っていました」と彼女は振り返る。「ただの大理石のかけらではありませんようにと」

 祈りは通じた。遺物は、アレクサンドロス大王のあらゆる特徴を備えたヘレニズム期初期の像だと判明した。これが大きな励みとなり、気落ちしていた考古学者は発掘を続けることになった。

それから7年後、パパコスタ氏は現在のアレクサンドリアから10メートル余り下へ掘り進み、古代都市にあった王家の住居とみられる一画を発見した。

「古代都市アレクサンドリアの最初の土台部分が見つかったのは初めてです」と語るのは、ナショナル ジオグラフィック協会付き考古学者フレデリック・ヒーバート氏だ。「目の当たりにしたときは鳥肌が立ちました」

 しかも、ここから考古学上きわめて重要な発見が生まれるかもしれない。失われたアレクサンドロス大王の墓だ。

■上がる海面、沈む古代都市

 かつて世界最強のリーダーとなったアレクサンドロスは、父のフィリッポス2世が紀元前336年に暗◯されたため、わずか20歳でマケドニアの王位についた。その後の12年間、才気と野心にあふれた王は、ペルシャやエジプトなどライバルの帝国を倒しながら遠征し、エジプトでは自らをファラオと宣言した。紀元前323年、32歳で亡くなったものの、そのなきがらは安らかに眠ることはなかった。

 側近たちが議論した末、アレクサンドロスの遺骸はまずエジプトのメンフィスに埋葬され、次いで彼の名を冠した都市に移された。この地に作られた大王の墓を人々が訪れ、神殿のように崇敬した。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/ph_thumb.jpg
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/03.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030400137/
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引用元: 【考古学】アレクサンドロス大王の墓、21年がかりで探求 大王の像や王家の住居などを発掘[03/05]

アレクサンドロス大王の墓、21年がかりで探求 大王の像や王家の住居などを発掘の続きを読む

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1: 2018/10/18(木) 13:46:56.28 ID:CAP_USER
ノルウェーの首都オスロからさほど離れていない場所に、バイキング船が埋められていることがわかった。全長20メートルほどのこの船は、1000年以上前にバイキングの王または女王の墓として使われたと考えられている。これまで見つかったバイキング船を使った墓としては、最大級のものになる。

 専門家によると、この規模のバイキング船の墓が無傷のまま見つかるのは珍しいという。オスロの文化歴史博物館でバイキング船の学芸員を務める考古学者ヤン・ビル氏は、「100年に一度の大発見です。考古学的にすばらしい発見です」と話す。

 船が見つかった埋葬塚は、地元のランドマークとしてよく知られている。高さは9メートルほどあり、スウェーデンとの国境のすぐ北を走るハイウェイからも見ることができる。だが、まわりにあった考古学的遺物は、19世紀後半の農業開発で、すべて破壊されてしまったものと考えられていた。

 ところが2018年春、この塚のあるエストフォル県の担当者が、ノルウェー文化財研究所の専門家に、大型地中探査レーダーを使った調査を依頼。塚のまわりの農地4万平方メートルの地中を探査した。

 探査の結果、10個の大きな墓があることがわかり、地表からわずか50センチほどの場所に船が埋められていることがわかった。
ノルウェー文化財研究所の考古学局長で、先日行われた塚の調査の指揮をとったクヌート・パーシェ氏は、船の長さは少なくとも20メートルほどはあると見積もっている。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/101600445/ph_thumb.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/101600445/
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引用元: 【考古学】地中探査でバイキング船を発見 何のために埋められた? ノルウェー[10/18]

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1: 2018/05/07(月) 18:16:10.96 ID:CAP_USER
[カイロ 6日 ロイター] -
イタリアのトリノ工科大学の研究チームは、古代エジプトの少年王ツタンカーメンの墓の壁の裏に隠し部屋が存在する根拠は見つからなかったと発表した。
エジプト考古省が6日、声明で明らかにした。

専門家の間では、隠し部屋が存在するかどうかで意見が分かれ、隠し部屋は、ツタンカーメンの義母と考えられるネフェルティティ王妃の墓との説もあった。
王妃の墓が確認されれば、エジプトにおける考古学的発見としては今世紀で最も注目すべきものになるとみられている。

続きはソースで

関連ソース画像
https://pbs.twimg.com/media/DckoNxaVwAAbsus.jpg

Reuter
https://reut.rs/2KH97lR
ダウンロード (2)


引用元: 【考古学】ツタンカーメンの墓の隠し部屋、存在示す根拠見つからず[05/06]

ツタンカーメンの墓の隠し部屋、存在示す根拠見つからずの続きを読む

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1: 2018/03/16(金) 09:07:15.43 ID:CAP_USER
現在のイスラエルにある古代カナンの都市国家メギドで、3600年前の王家のものとみられる墓が発見された。
手つかずの墓に多くの財宝が眠っていただけではない。
考古学者らが興奮しているのは、紀元前15世紀初めにエジプトに征服されるまでこの重要な地を治めていた王朝について、新たな発見があるかもしれないからだ。

 メギドは、ハイファから南へ30キロ、現在のイスラエル北部に位置していた。
紀元前3000年から西暦1918年まで、5000年近くにわたって戦略的な要衝であり、交易路でもあった。
イズレル谷を見下ろすこの場所は、歴史を変えるような決定的な争いを数多く目撃し、「ハルマゲドン」と呼ばれるようになった。ハルマゲドンとは、ヘブライ語で「メギドの丘(Har-Meggido)」という意味で、その名は、聖書の黙示録に最初に登場する。

 記録に残るメギド最古の戦いは、紀元前15世紀前半、エジプトのファラオ、トトメス3世による進軍だ。
エジプト軍は要塞都市メギドを7カ月間包囲し続けた。
その結果、町はファラオに降伏し、カナンはエジプトに併合された。

 メギド(現在名はテル・エル・ムテセリム)では、115年前から科学的調査が実施されている。
現在は、イスラエルのテルアビブ大学のイスラエル・フィンケルシュタイン氏とマリオ・マーティン氏、そしてW・F・オルブライト考古学研究所のマシュー・アダムス氏率いる国際調査団が、1994年からメギドで発掘調査を続けている。

 その結果、青銅器時代から鉄器時代(紀元前3300~586年頃)にかけての宮殿や神殿、町の城壁といった遺跡が続々と発見された。
この場所は現在、世界遺産の一部に登録されている。だが、今回の墓発見は考古学者ですら予想していなかった。
時代は紀元前1700~1600年頃の中期青銅器時代の終わりごろ、強大なトトメスの軍によって王朝が滅ぼされる前、メギドの町が全盛期にあった頃のものである。

 発見のきっかけは、ある奇妙な現象だった。1930年代に発見された宮殿のすぐ横で、地面に亀裂が入っていることに考古学者らが気づいた。
何か見えない空洞か地下の構造物に砂が落ち込んでいるように見えたと、アダムス氏は振り返る。
そして2016年、ついにその原因が明らかになった。埋葬室につながる地下回廊を発見したのだ。

 埋葬室には、3人の遺体が収められていた。8~10歳の子ども、30代半ばの女性、40~60歳の男性と見られている。
遺体はいずれも手つかずで、指輪、ブローチ、腕輪、飾りピンなどの金銀の宝飾品で飾られていた。
男性の遺体には、黄金の首輪と黄金の冠が着けられていた。
宝飾品はどれも、優れた技術を持つ職人が製作した芸術性の高いものばかりである。

 考古学者は、墓が王宮のすぐ隣に作られている点にも注目した。

「構造物の大きさ、贅沢な副葬品、そして王宮のすぐそばに位置しているという点から、かなり位の高い人々の墓と考えられます」とフィンケルシュタイン氏は語る。

続きはソースで

画像:約3600年間手つかずだった墓には、遺体とともに数々の副葬品が収められており、考古学者らを驚かせた。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/01.jpg
画像:墓から見つかった男性の遺体が身に着けていた3600年前の黄金の首飾り。先端に水鳥の細工が施されている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/ph_thumb.jpg
画像:開けられる前の墓のモデル。埋葬室は右上、2枚の大きな石板が互いにもたれ合うように置かれている部分。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/02.jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031500118/
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引用元: 【考古学】3600年前の高貴な墓を発見、イスラエル古代カナンの都市国家メギド 黙示録「ハルマゲドン」の語の由来となった土地[03/16]

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1: 2017/12/16(土) 05:22:19.97 ID:CAP_USER
エジプト、ルクソールのドゥラ・アブル・ナガ墓群から見つかった二つの墓が発掘され、エジプト当局がこのほど発表した。
これらの墓は第18王朝時代(紀元前1550〜紀元前1292年)に、二人の役人のために作られたものだ。
彼らは当時、首都テーベだったこの地(現在は世界遺産)で働いていた人物とみられる。

 これら二つの墓については、1990年代にドイツ人エジプト学者フリーデリーケ・カンプ・ザイフリート氏が調査を行い、それぞれ「カンプ161」、「カンプ150」という呼称を付けていた。
当時の調査では「カンプ161」の方は一度も開かれることがなく、もう一方の「カンプ150」は入り口までしか発掘が行われなかった。
ふたつの墓は最近になって再度発見され、エジプト人考古学者らによって発掘が進められていた。

墓に収められていた役人の名を記した碑文は見つかっておらず、彼らの正体はわかっていない。
2017年4月には、同じ墓地群から第18王朝時代のウセルハト(Userhat)という名の裁判官の墓が発見されている。

 カンプ161は、一帯にある墓や建築との比較により、今から約3400年前のアメンホテプ2世あるいはトトメス4世の時代のものと推測される。墓の西側の壁には、宴とみられる行事の様子が詳細に描かれ、そこには墓の主とその妻に供物を捧げる人物の姿も見える。
墓の内部からは、木でできた埋葬用の仮面、家具の残骸、装飾の施された棺が見つかっている。

続きはソースで

画像:エジプト、ルクソールにある3500年前の墓で見つかった古代のミイラと作業員。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/121200135/ph_thumb.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=0240860800
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/121200135/01.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=06003b0c50
画像:ミイラが発見された3500年前の墓の入り口を見張る警備員。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/121200067/10.jpg?__scale=w:900,h:599&_sh=06040d0084

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/121200135/
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引用元: 【考古学】古代エジプト、3500年前(紀元前1550〜紀元前1292年)の墓を発掘、遺物続々

古代エジプト、3500年前(紀元前1550〜紀元前1292年)の墓を発掘、遺物続々の続きを読む
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