理系にゅーす

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1: 2017/10/30(月) 20:10:57.13 ID:CAP_USER
2300年前、アレクサンドリアの町をエウクレイデスとアルキメデスが散策し、クレオパトラの一族が王座に君臨していた頃、エジプトでは暴動や領土をめぐる争いが絶えなかった。
当時、エジプトを支配していたプトレマイオス朝は、マケドニア人を祖先とするギリシャ系王朝だったため、民族的緊張が度重なる暴動の一因だったともいわれている。クレオパトラは、そのプトレマイオス朝の最後のファラオであった。

 だが、科学誌「Nature Communications」に10月17日付で発表された新たな論文は、エジプトの騒乱にはもうひとつ別の、意外な要素が働いていたのではないかとしている。
歴史家、統計学者、気候科学者というちょっと変わった組み合わせの研究チームによると、その要素とは、エジプトから遠く離れた火山の噴火が引き起こした「水文気候学的ショック」なるものであるという。

「実際に歴史を動かすのは、王や皇帝、法王などの偉大な指導者の決断であるという考えがありますが、この論文によれば、環境の影響も見過ごすことはできないということです」。
論文の共著者で、アイルランドのダブリンにあるトリニティ・カレッジの気候歴史学者フランシス・ルドロー氏はそう語る。



エジプトはナイルの賜物

 19世紀後半にナイル川に最初のダムが建設されるまで、エジプトの農業は毎年やってくるモンスーンの雨だけに頼りきっていた。
エチオピア高原に夏の大雨が降ることで、ナイル川の下流に肥沃な土が運ばれ、小麦やその他の農作物を育てるための土地を整えてくれた。
ナイルの氾濫は古代エジプト人にとっては極めて重要な自然現象であり、西暦622年から正確にその記録がつけられてきた。


 ルドロー氏の研究チームは、そのナイル川の氾濫がなかった年と、火山の噴火に関連性があることに気づいた。
グリーンランドや南極で採取された氷床コアには、噴火による落下物が含まれていることから、噴火の年代が特定できる。
研究チームの気候モデルを分析すると、噴火によってできた硫黄ガスの雲は、太陽光を宇宙へ跳ね返して地球を冷やすだけでなく、熱帯モンスーンによる降雨量を時には数年間にわたって減少させていたことがわかる。

 紀元前305年からクレオパトラが死んだ紀元前30年まで続いたプトレマイオス朝時代には、まだ体系的な洪水の記録はつけられていなかったが、古代エジプトの中でも最も豊富に文字記録が残されている時期でもある。王の勅令が刻まれたロゼッタストーンも、この時代のものだ。
また、パピルスに長々と書かれた文は、当時の戦争、暴動、土地移譲、家族同士の諍いなどを伝えている。

 そして、これらの記録に記されていた騒乱が、氷床コアに記録が残っている火山の噴火と関係していることを、研究者らは発見した ルドロー氏によると、この地域では「海岸から数キロ内陸へ入ると、そこはもうほとんどサハラ砂漠で、雨が降りません。
ですから川が十分に氾濫しないと、食糧が不足します。人々は土地を棄て、食べ物を求めて都市部へ移動します。
それが緊張を高め、暴動が起こります。これらは全て、記録をたどることができます」
続きはソースで

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/101900059/
ダウンロード


引用元: 【歴史】新説:クレオパトラの没落と火山噴火の意外な関係

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1: 2016/10/03(月) 15:06:16.85 ID:CAP_USER9
エジプトといえばピラミッドとスフィンクスを思い浮かべる方が多いのではないだろうか。これらは古代エジプト文明の遺跡としてセットで扱われることが多いが、実は互いの成立年代には大きなズレがあると言われている。

■スフィンクスはいつ作られたのか?

ギザの大ピラミッドは紀元前2500年頃、世界最古のピラミッド「ジェゼル王のピラミッド」は紀元前2700年頃の建造だとされている。定説では「ギザの大スフィンクス」も、第四王朝カフラー王の命で紀元前2500年頃、「カフラー王のピラミッド」とともに作られたとされているが、実際はそれよりも4500年ほど遡るのではないかと指摘されている。

たとえば、ボストン大学のロバート・ショック教授は、スフィンクス本体や周囲の囲いに雨による侵食が見られることから、長い期間大量の降雨があった紀元前7000年前頃に建造されたのではないかと推測している。同じく侵食説を支持するエジプト学者のジョン・アンソニー・ウェスト氏は更に遡って1万年前ではないかと試算しているという。

トカナでは以前、ピラミッドも紀元前7000~5000年頃に巨人によって建造された可能性があると指摘した。ショック教授やウェスト氏はスフィンクスの製作者を明言していないが、彼らの説が正しいすれば、巨人がスフィンクスも建造していたと考えることもできるだろう。

だが、近年の研究で、スフィンクスは何十万年も前から存在していたという驚愕の新説が飛び出してきた。ウクライナの研究者Manichev Vjacheslav教授とAlexander G. Parkhomenko教授らは2008年の論文で、これまでの説ではスフィンクスの頭部前面に水平な侵食がないことを説明できないと指摘。このことを自然現象として説明するには、考え方を大幅に変更する必要があると主張している。

そして、彼らが考える合理的な理由とは、なんと、「波による侵食」だというのだ! ご存知の通り、スフィンクスは砂漠のど真ん中に存在する、一体全体どこに大量の水があるというのか!?

教授らがギザ大地の地質資料を精査したところ、鮮新世(520万年~160万年前)頃ナイル川流域に流入した海水が徐々に同地を浸水していき、およそ80万年前の更新性カラブリアン期には、スフィンクスの最も高い位置にある侵食付近まで海面が上昇していたことが分かったという。

続きはソースで

(編集部)

http://tocana.jp/2016/10/post_11075_entry.html
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/38/Martian_face_viking.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Martian_face_viking_cropped.jpg

ダウンロード (1)


引用元: 【国際】スフィンクスは80万年前に宇宙人が建造★2 ©2ch.net

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1: 2016/05/09(月) 13:23:41.58 ID:CAP_USER
エジプト・ルクソール近郊の「王家の谷」にある古代エジプトの王ツタンカーメンの地下墓地で展示されるひつぎ(2016年4月1日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
http://amd.c.yimg.jp/im_siggnLD61xxr7hZWnD27ux2Szg---x900-y601-q90/amd/20160509-00000020-jij_afp-000-2-view.jpg

【AFP=時事】エジプトのハリド・アナニ(Khaled al-Anani)考古相は8日、古代エジプト王ツタンカーメン(Tutankhamun)の墓にあるとされる隠し部屋の存在を確かめるには、新たな技術が必要と述べた。隠し部屋をめぐっては、英国の考古学者が、ツタンカーメン王の義母ネフェルティテイ(Nefertiti)王妃の遺体が埋葬されている可能性を指摘している。

 首都カイロ(Cairo)で開かれた、ツタンカーメン王とその世界的に有名な黄金のマスクに関する会議で発言した。

 マムドゥフ・ダマティ(Mamdouh Damati)前考古相が数か月前に隠し部屋が存在する可能性は高いと述べ、新たな歴史的遺物発見への期待が膨らんでいたが、この日の会場内にはその存在を疑問視する雰囲気が漂い、専門家らは隠し部屋の調査方法をめぐり意義を唱えた。

 ダマティ氏自身は、より多くの調査が必要とした上で、「赤外線スキャンからも、調査を繰り返し行う必要があることは明らかだ。何かがあるとわかってはいるが、それが何なのかはっきりとした確証はない」と述べた。

 同氏は3月、ツタンカーメンの墓に「90%の確率」で2つの隠し部屋があり、その中には有機物が存在すると述べていた。

 エジプトの元考古相であるザヒ・ハワス(Zahi Hawass)氏は、「プロジェクトは、まったく科学的に行われていない」と批判し、調査を管理する独立した専門家委員会を発足させてはどうかとアナニ考古相に提案した。

 英国の考古学者、ニコラス・リーブス(Nicholas Reeves)氏の仮説によると、ツタンカーメン王の墓は実際にはネフェルティテイ王妃の墓で、ツタンカーメン王が若くして突然死したため、エジプト南部ルクソール(Luxor)近郊の「王家の谷(Valley of the Kings)」にあったネフェルティティの墓の隣室に急いで埋葬したのだという。

 アナニ考古相は、「墓壁の裏側に空洞があると100%確信できるまで、絶対に穴を開けない」と会議に出席していた考古学者らに再確認。一方で、科学的議論が活発に行われたことに非常に満足していると述べた。【翻訳編集】 AFPBB News

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160509-00000020-jij_afp-sctch

引用元: 【歴史】ツタンカーメン王の墓の「隠し部屋」、調査方法に専門家ら異議©2ch.net

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1: 2016/02/11(木) 15:14:32.35 ID:CAP_USER.net
「変わったヒトデ」インド洋生息の種だった 日本で初発見
沖縄タイムス 2016年2月10日 13:35
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=153423

沖縄美ら海水族館は9日、日本で初めて「オウサマツブハダヒトデ」を発見したと発表、同館で展示を始めた。
これまでインド洋北部から東部、インドネシアでの生息の報告はあったが、日本では見つかっておらず、担当者は「今後、生態をひもといていきたい」としている。

2015年7月16日、うるま市宮城島の漁業者が「金武湾で変わったヒトデを見つけた」と水族館に連絡。
ヒトデ類の分類を専門とする国立研究開発法人水産総合研究センターの木暮陽一博士との共同研究で、日本初記録種であることが判明した。

表面が細かい粒や小突起で覆われていることから「ツブハダヒトデ属」とし、学名の「regalis」がラテン語で「王」を意味することから「オウサマツブハダヒトデ」と和名を付けた。

(引用ここまで 全文は引用元参照)

images


日本で初めて発見された「オウサマツブハダヒトデ」(海洋博公園提供)
http://www.okinawatimes.co.jp/article_images/20160210/PICKH20160210_A0026000100600004_r.jpg

▽関連
沖縄美ら海水族館-沖縄の神秘をありのまま-
日本初記録「オウサマツブハダヒトデ」を発見・展示!
http://oki-churaumi.jp/guide/news/news160209.html

引用元: 【生物生態学】日本で初めて「オウサマツブハダヒトデ」を発見 インド洋生息の種/沖縄美ら海水族館

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1: 2016/02/02(火) 18:00:42.21 ID:CAP_USER.net
古代エジプトの木造船、ピラミッド付近で発見 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3075395


【2月2日 AFP】エジプトの考古省は1日、首都カイロ(Cairo)の南に位置するアブシール(Abusir)のピラミッド群付近で、チェコの考古学チームが約4500年前の葬儀用の船を発見したと発表した。

 マスタバ(古代の墓)の発掘作業を行っていた同チームのメンバーらが、砂に埋もれ、石の土台の上に置かれていた全長18メートルの船の一部を発見した。

 同チームを率いるミロスラフ・バルタ(Miroslav Barta)氏は声明で、「これは非常に希少な発見だ。

続きはソースで

images
(c)AFP

引用元: 【考古学】古代エジプトの木造船、ピラミッド付近で発見

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1: 2015/12/25(金) 17:33:41.24 ID:CAP_USER*.net
イエス・キリストの外見ならだれもが知っている。西洋美術でキリストほどモチーフにされてきた人はいない。長髪でひげをたくわえ、長袖で裾長の服(白が多い)に衣を重ねている(青が多い)。
http://ichef.bbci.co.uk/news/660/cpsprodpb/11085/production/_87356796_jesustopthinkstock.jpg

「これぞジーザス」とその見た目はあまりに分かりやすいので、パンケーキやトーストに表われてもすぐに分かるほどだ。
けれども本当にイエス・キリストはこういう姿だったのだろうか?

おそらく違う。
私たちが慣れ親しんでいるこのイエスの姿は実は紀元4世紀以降、ビザンチン期のものだ。そしてビザンチン時代のキリスト画像は、歴史的に正確な描写ではなく、象徴としてのイエスを描いたものだった。
ローマのサンタ・プデンツィアーナ教会の祭壇に描かれたモザイク画のように、玉座に座り君臨する皇帝をイメージした姿なのだ。
http://ichef-1.bbci.co.uk/news/624/cpsprodpb/B1A3/production/_87257454_jesusmosaic2_alamy.jpg

このモザイク画でイエスは金色の長衣を着ている。全世界を支配する天上の存在で、オリンポス山の玉座に君臨するゼウス像によく似た長いひげと長髪姿だ。ゼウス像はあまりに有名で、古代ローマのアウグストゥス帝は同じポーズで自らの像を作らせたほどだった(神々しい長髪とひげは省いたが)。
http://ichef.bbci.co.uk/news/624/cpsprodpb/15EA5/production/_87356798_zeusaugustuscopy.jpg

ビザンチン時代の芸術家たちは、全宇宙の王、天上の支配者としてのキリストを描こうとして、若いゼウスのような姿で描いた。それ以来、天上の存在としてのキリスト像が、初期のイエスの姿の標準となった(現代では時折ヒッピー風になるが)。
http://ichef.bbci.co.uk/news/624/cpsprodpb/D8B3/production/_87257455_jcsuperstar_alam7.jpg
では結局、本当のイエスはどういう姿だったのだろう?

頭からつま先へとたどってみよう。

続きはソースで

ダウンロード (5)


ソース/BBC
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35173762

引用元: 【宗教/歴史】イエス・キリストの本当の姿は? 長髪にひげは本当か

イエス・キリストの本当の姿は? 長髪にひげは本当かの続きを読む

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