理系にゅーす

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石器

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1: 2019/01/21(月) 18:14:35.65 ID:CAP_USER
北海道遠軽町向遠軽むかいえんがるのタチカルシュナイ遺跡が、全国で最も北にある縄文時代草創期の遺跡であることが、東京大学常呂実習施設(北見市)の夏木大吾助教(考古学)らの調査で分かった。これまで最北とされてきた帯広市の大正3遺跡より約150キロ北に位置する。

 縄文人は、気候が比較的温暖になった晩氷期(約1万5000~1万1500年前)前半に、本州から北海道に北上したとみられているが、その拡散範囲が寒冷なオホーツク海沿岸地域まで達していたことを示す発見として注目されている。

 同遺跡はJR遠軽駅の北東約2・5キロに位置し、オホーツク海に注ぐ湧別川の河岸段丘上にある。
夏木助教らが2016~18年、約57平方メートルを発掘したところ・・・

続きはソースで

■遠軽町のタチカルシュナイ遺跡で出土した縄文時代草創期の石器(夏木助教提供)
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20190118/20190118-OYT1I50017-N.jpg
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20190118/20190118-OYT1I50016-N.jpg

読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20190118-OYT1T50086.html
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引用元: 【考古学】「地続きのサハリンまで」縄文人が北上の可能性 北海道遠軽町タチカルシュナイ遺跡[01/18]

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1: 2018/10/14(日) 19:39:35.54 ID:CAP_USER
(CNN) ポーランドで数年前に発見された同国最古の人骨は、巨大な鳥の餌にされたネアンデルタール人の子どもの骨だったことが、人類学研究チームの調査で明らかになった。ポーランド科学・高等教育省が発表した。

見つかったのは長さ1センチほどの手の指の骨2本で、5~7歳のネアンデルタール人の子どもの骨だったと推定される。発見時は動物の骨と一緒になっていたことから、人骨と判明したのは今年に入ってからだった。

年代は11万5000年前と特定された。それまでポーランドで見つかった人骨の中では、約5万2000年前のものが最古とされていた。

続きはソースで

https://www.cnn.co.jp/storage/2018/10/11/e423faa014bf3913a17419da905dfea6/01-neanderthal-child-discovery-101018-restricted-story-tablet.jpg
https://www.cnn.co.jp/fringe/35126831.html
images (1)


引用元: ネアンデルタール人の子ども、巨大な鳥に食べられていた ポーランド[10/11]

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1: 2018/08/30(木) 03:37:40.95 ID:CAP_USER
今でこそ、地球上に存在しているヒト科の動物は我々しかいない(はず…ビッグフットなどの未確認生物を除けば)のだが、およそ20万年前まではいくつかのヒト属が競合していた。そして、生存競争に勝ったホ◯・サピエンスは繁栄し、負けたホ◯・エレクトスは絶滅に追いやられた。

この差はどこからきたのだろうか。学術誌PLOS Oneに発表された最新の研究によれば、それはホ◯・エレクトスの怠けグセだったかもしれないそうだ。

およそ2000万年前に地球上に現れ、5万年~10万年前に姿を消したホ◯・エレクトス。ほかのヒト属と比べて努力を惜しみ、しかも保守的で変化に適応できなかったと見るのはオーストラリア国立大学のケリー・シプトン博士だ。

シプトン氏を含む考古学研究チームは、サウジアラビアの遺跡から出土した何千個にも及ぶ石器を分析して、この結論に至ったという。

当時のサウジアラビア半島は豊かな水をたたえる川が何本も走り、大地を潤していた。ホ◯・エレクトスはそのような川が作り出した肥沃な土地に住み、水にも、石器の道具となる石にも恵まれた環境に身を置いていた。あとは、立派な石器道具を作って狩りに成功すれば問題なし…のはずだった。

ところが、彼らは簡単に石を手に入れることができたため、石のクオリティーを追求しなかった。そこらに転がっている石なら何でもいいとでも言わんばかりに、石器造りに適していない石も拾ってきて加工していたそうだ。

続きはソースで

https://dps68n6fg4q1p.cloudfront.net/wp-content/uploads/2018/08/28230802/1280x733_homoerectus_stonetools.jpg
https://dps68n6fg4q1p.cloudfront.net/wp-content/uploads/2018/08/28230327/1280x857_homoerectus_saffaqah.jpg

関連リンク

Laziness May Have Driven Homo Erectus to Extinction (Live Science)
Acheulean technology and landscape use at Dawadmi, central Arabia (PLOS One)

https://www.discoverychannel.jp/0000032133/
ダウンロード


引用元: 【人類学】ホ○・エレクトスが絶滅した理由は…石器のクオリティーを追求しなかったなまけグセ?[08/29]

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1: 2018/07/27(金) 08:26:43.92 ID:CAP_USER
京都市埋蔵文化財研究所は、下京区醒ケ井通松原下ルの元醒泉小で、弥生時代中期初頭(紀元前4~3世紀)の大規模な集落跡が見つかったと発表した。水田や建物の跡、石器や管玉などの出土品もまとまって発見され、近畿北部の弥生社会の変遷や実態を解明する手掛かりになるという。

 小学校整備に伴い弥生~飛鳥時代の「烏丸綾小路遺跡」の南西部約2900平方メートルを調べた。

 水田は、調査地東側にかつて流れた鴨川支流の汚泥がたまったところに東西5メートル、南北12メートルで見つかり、人の足跡のほか、土壌中に稲のもみ殻約200粒があった。京都大吉田南キャンパス(左京区)で見つかった弥生前期の水田に次いで市内で2番目に古い時期になる。近くに約10棟の竪穴建物跡もあった。

続きはソースで



 稲作に使った石包丁や、武器に用いる石のやじりといった石器、千点以上の壷(つぼ)や甕(かめ)などの土器、管玉も出土した。

続きはソースで

https://www.kyoto-np.co.jp/picture/2018/07/20180726203756isekiasiato.jpg
出土した石庖丁(左上)や石戈(右上)、石鏃(下中央)
https://www.kyoto-np.co.jp/picture/2018/07/20180726203815isekihoutyou.jpg

https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180726000170
images


引用元: 【考古学】弥生期の大規模集落跡 京都、社会変遷たどる手掛かりに[07/27]

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1: 2018/07/13(金) 16:50:27.36 ID:CAP_USER
【7月12日 AFP】中国で見つかった粗削りな作りの石器のかけらは、人類の祖先が、210万年前にアジアに存在していたことを示しているとの研究論文が11日、発表された。
今回の発見により、従来説を約20万年さかのぼることになるという。

 英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文によると、この年代推定が正しければ、ホミニン(ヒト族、類人猿を除く現生種と絶滅種の人類を表す用語)がアフリカを離れたのは、これまで考古学者らが実証できた年代よりも早い時期であることを、今回の発見は意味しているという。

 論文の共同執筆者で、英エクセター大学(University of Exeter)のロビン・デネル(Robin Dennell)氏は「初期人類がアフリカを離れた時期について再考する必要があることを、今回の発見は意味している」と話す。

 ホミニンは600万年よりも前にアフリカで出現したと考えられており、約200万年前に始まった複数回の集団移動でアフリカ大陸を離れたとされていた。

 最初に集団移動したホミニンは、「ホ◯・エレクトス(Homo erectus、直立人)」種か「ホ◯・エルガスター(Homo ergaster、働く人)」種の仲間だった可能性が高い。
この2種は、約30万年前に出現した現生人類ホ◯・サピエンス(Homo sapiens、考える人)の絶滅した祖先だ。

 アフリカで発見されたヒト属のものとして知られている最古の化石は、エチオピアで発掘された280万年前の顎の骨だ。

続きはソースで

(c)AFP

http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/7/f/320x280/img_7f525470a57a1261d2ed81bc601ddcd0182736.jpg

AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3182138
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引用元: 【人類学】初期ヒト属、210万年前にアジアに存在か 石器年代測定 従来説を約20万年さかのぼる[07/12]

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1: 2018/07/18(水) 20:12:14.39 ID:CAP_USER
700万年に及ぶ人類史。私たちホ◯・サピエンスは現在も存続していますが、その700年の歴史は、ホ◯・サピエンス以外の人類に視点を移せば、“絶滅の歴史”ということもできます。

『サピエンス全史』のヒットにより、多くの人の関心を集めるところとなった〈人類の歴史〉と〈私たちのこれから〉。
今回は、著書『絶滅の人類史』で
「ホ◯・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という従来の常識を覆した
分子古生物学者の更科功さんに、その真意をお聞きしました。

■運命は種の優劣では決まらない

――ホ◯・サピエンスの台頭とともに、ネアンデルタール人などの人類は絶滅していきました。
ホ◯・サピエンスがほかの人類を滅ぼした、ということでしょうか。

ホ◯・サピエンスがネアンデルタール人を◯した、という説は従来から唱えられてきました。
しかし、これは誤りであると私は考えています。

たしかにホ◯・サピエンスの骨と、
石器による傷がついたネアンデルタール人の子供の骨がフランスの同じ遺跡から発見されており、ネアンデルタール人の子供が◯されて食べられたことが推測されます。

ところが、じつはこれら以外に、◯害の証拠資料はほとんど見つかっていない。
両者が時に争ったことは間違いありませんが、集団同士の大規模な衝突はなかった、と見るべきでしょう。

人類史には明確な史料が存在しないため、このような誤った通説が少なくありません。
典型的な例が「ホ◯・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という説です。

――私も、本書を読むまではそう信じ込んでいました。 

そのような「常識」に対するアンチテーゼを示したい、というのが執筆中も意識していた点です。 

続きはソースで

http://hon-hikidashi.jp/wp-content/uploads/2018/07/180712voice-sarashina.jpg

ほんのひきだし
http://hon-hikidashi.jp/know_learn/56435/
images


引用元: 【人類学】ホモサピエンスが生き残った理由は「頭が良かったから」ではない!?『絶滅の人類史』著者に聞く[07/15]

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