理系にゅーす

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石器

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1: 2016/09/20(火) 07:26:10.80 ID:CAP_USER
世界最古の釣り針発見=沖縄のサキタリ洞遺跡-県立博物館など:時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092000060&g=soc
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0160919at29_p.jpg


 沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で、世界最古となる2万3000年前の貝製の釣り針が発見された。沖縄の旧石器人がカニを捕獲するなど漁労を行っていたことも判明。沖縄県立博物館・美術館などの研究チームが発表し、論文は19日(米東部時間)以降、米科学アカデミー紀要電子版に掲載される。
 釣り針は幅1.4センチで、巻き貝を割り、削って作られている。

続きはソースで

(2016/09/20-05:24)

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引用元: 【考古学】世界最古の釣り針発見=沖縄のサキタリ洞遺跡-県立博物館など [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/09/16(金) 12:35:03.43 ID:CAP_USER
ホ◯サピエンスの移動経路だった? チュニジアで10万年前の石器発見 (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160916-00000010-jij_afp-sctch
http://amd.c.yimg.jp/im_siggxRNPMXU7npy30m8HgVrXKw---x900-y600-q90/amd/20160916-00000010-jij_afp-000-3-view.jpg


【AFP=時事】チュニジアと英国の研究チームは15日、チュニジア南部トズール(Tozeur)で10万年近く前に人類が生存していたことを示す石器時代の複数の道具を発掘したと発表した。

 チュニジア国立遺跡研究所(INP)と英オックスフォード大学(Oxford University)の研究チームによる今回の発見は、その10万年ほど前にアフリカ東部で出現し、約6万5000年前には同大陸以外の場所でも生存していたホ◯サピエンスの移動を説明する上での一助となる可能性がある。

 これらの道具は、チュニジアでこれまでに発見された人類の活動を示す証拠の中で最も古く、他の地域で初期の人類が狩猟のために使用していたフリント石器に類似した道具も含まれている。

 研究チームのナビル・ゲスミ(Nabil Guesmi)氏によると、チームはさらに、ホ◯サピエンスの存在を証明する中石器時代の道具も発見した。

サイやシマウマなどサバンナに生息する動物の存在を示す骨も発見されており、水が存在した可能性もあるという。

 INPは、新たな発掘現場からはこの地域が初期人類の「通り道」だったことを示す証拠が発掘される可能性があると指摘している。【翻訳編集】 AFPBB News

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引用元: 【考古学】ホモサピエンスの移動経路だった? チュニジアで10万年前の石器発見 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/08/11(木) 01:29:13.94 ID:CAP_USER9
(上)本年度の発掘調査が行われた尻労安部洞窟。洞奥部分から鳥獣骨や土器、石器などが出土した=9日、東通村 (下)今回の発掘で出土した縄文時代後期のものとみられるオオヤマネコの骨(スケールは5センチ)=尻労安部洞窟遺跡調査団提供
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/aomori/images/2016/08/10/M16081000085/dc7c5f4301d38251b7eab73cee6e79f2.jpg

 東通村尻労地区にある旧石器から弥生時代にかけての遺跡「尻労安部洞窟(しつかりあべどうくつ)」の本年度の発掘調査で、9日までに縄文後期のものとみられるオオヤマネコの骨十数点などが出土した。国内ではオオヤマネコは縄文時代には生息していたが、後にいなくなったとされている。調査団は今回の出土品を「研究を進める上で極めて重要な資料」とみており、今後、骨の年代測定やDNA鑑定を行う方針だ。

 同遺跡は、桑畑山の南東麓の石灰岩地帯にあり標高約30メートル。慶応大や新潟医療福祉大、東北大などで構成する調査団が2001年度から毎年発掘調査している。本年度は各大学の教員や学生ら約40人が、今月1日から10日までの日程で調査に当たっており、縄文後期の層と旧石器時代の層の2地点で合わせて約8平方メートルを発掘している。

 調査団によると、縄文後期の層から、オオヤマネコの下顎(かがく)部の骨や四肢骨などが十数点見つかった。

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http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/aomori/1-0302932.html

引用元: 【青森】「研究を進める上で極めて重要な資料」 東通・尻労安部洞窟で縄文後期のオオヤマネコの骨出土©2ch.net

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1: 2016/07/14(木) 07:20:49.10 ID:CAP_USER
700年前のサルの道具を発見、100世代継承 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/071300263/
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/071300263/ph_thumb.jpg


 ブラジルのサバンナにある遺跡から、アフリカを除く地域で人類以外がつくったものとしては最古の石器が発見された。お腹をすかせたオマキザルが数世紀前に使っていたハンマー(木の実に叩きつけて割るための石)と台石がそれだ。(参考記事:「最初に道具を使った人類はアウストラロピテクス」、「世界最古の石器発見、330万年前に猿人が作る?」)

 これらの石器の存在は、少なくとも700年前から、ブラジルのセラ・ダ・カピバラ国立公園にすむオマキザルの1種、ヒゲオマキザル(Sapajus libidinosus)がカシューの実を砕いて刺激成分のある殻を取り除いていたことを示している。今回の発見は、こうした行動が同地域にすむオマキザルにとって昔から重要な意味を持っていたことを裏付けると同時に、人類以外の霊長類による道具の歴史の研究に新たな知見をもたらすものだ。彼らは石器を使った加工技術を100世代は伝えていると見られる。(参考記事:「動物の知力」)

「私たちのさまざまな過去を解き明かすことによって、人間とは何かという見方に考古学は影響を与えてきました。人類以外の霊長類に対しても、同じようなことができるのではないかと期待しています」と、論文の共著者で英オックスフォード大学の霊長類考古学研究グループを率いるマイケル・ハスラム氏は言う。(参考記事:「ヒトはなぜ人間に進化した? 12の仮説とその変遷」)


なぜ道具を使うようになるのか

 7月11日付けの学術誌「Current Biology」に発表された論文によると、今回発見された道具類は、道具を使う霊長類がばらばらにごくわずかしか見つかっていない謎を解明する上でも役立つという。道具を使うことが知られている人類以外の霊長類は今のところチンパンジー、ヒゲオマキザル、カニクイザルだけで、なぜこれらの種だけが道具を手にしたのか、はっきりとした理由はまだわかっていない。

「技術誕生の謎を解き明かすには、石器を使用するすべての霊長類を観察することが肝要です。彼らに共通する特徴を見つけ、石器を使う存在になるには何が必要なのかを見極めるのです」と論文の共著者で、同じくオックスフォード大学の霊長類考古学研究グループに所属する霊長類学者、リディア・ランクス氏は言う。

 これはとても大きなテーマであり、研究は始まったばかりだ。1300~4300年前にチンパンジーが道具を使用していたコートジボワールの3カ所の遺跡を除けば、セラ・ダ・カピバラは、近代以前に人類以外の霊長類が石器を使った場所の報告としては2例目に過ぎない。ブラジルのヒゲオマキザルの場合、数世紀前から残る民話や逸話に道具を使うサルの描写があったにも関わらず、彼らの石器の使用が自然発生的なものであることが確かめられたのは2004年になってからだった。

 今回の発見により、ヒゲオマキザルの行動が自然に発生したことだけでなく、それが古くから行われていたことが裏付けられたわけだ。

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引用元: 【動物行動学】700年前のサルの道具を発見、100世代継承 サルの道具使用は猿真似にあらず、ナッツ割るブラジルのヒゲオマキザル [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/07/07(木) 02:26:01.02 ID:CAP_USER9
日本人 いつどこから
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160624002804_comm.jpg

 日本人の祖先が日本へ渡ってきたルートや時期が、遺跡に残された石器や人骨の研究で絞り込まれてきた。約3万8千年前以降に、東アジアの各地から三つの道をたどってきたようだ。黒潮が流れる海を越えてきた人たちもいる。

 いま世界中にいる現生人類(ホ◯・サピエンス)は約20万年前にアフリカで誕生し、約6万年前から世界へ拡散しはじめ、その後、東南アジアやバイカル湖付近へ到達した。日本へは、いつ、どこから渡ってきたのか。

 遺跡や化石、遺伝子などの研究から、定説となってきたルートは三つ。朝鮮半島から対馬経由で西日本に入る「対馬ルート」、シベリアからサハリン経由で北海道へ南下した「北海道ルート」、そして台湾付近から琉球列島への「沖縄ルート」だ。

 対馬ルートで渡ってきた時期について、首都大学東京の出穂雅実准教授(考古学)は「約3万8千年前」と絞り込む。

 地球は約7万年前から約1万年前まで寒冷な氷期になり、海面が今よりも低かった。3万年前より古い国内の遺跡のうち、「古本州島」として陸続きになっていた九州、四国、本州の各地から条件がよいものを厳密に調べたところ、最も古いのが約3万8千年前で、それ以降、急に増えていた。朝鮮半島とは海で隔てられていたが、対馬などを伝っていけば目視しながら渡ることができた。

 北海道ルートはシベリアまで陸続きだった。出穂さんによると、約2万6千年前以降の北海道の遺跡から見つかる「剥片(はくへん)石器群」と「細石刃(さいせきじん)石器群」がシベリアのものと似ており、生活が共通していたことがうかがえるという。「氷期で最も寒かった2万4千年前からの2千年間、シベリアに遺跡がほとんどない。南下して北海道へ避難してきた可能性もある」

 人類のDNA解析データを調べた山梨大の安達登教授(人類遺伝学・法医遺伝学)も「シベリアから南下したと考えられる」と話す。北海道の縄文時代の人骨と共通する遺伝子型が、現代の東シベリアの先住民に多く見られる一方、朝鮮半島の現代人には非常に少なく、台湾や東南アジアには見られなかったからだ。

■知力生かし航海か

 沖縄ルートは難関だ。国立科学博物館(科博)の海部陽介・人類史研究グループ長によると、渡ってきたのは「3万年以上前」。那覇市山下町の遺跡で約3万6千年前、沖縄本島南部の八重瀬町港川や石垣市白保で2万年以上前の人骨が見つかっている。白保の人骨のDNAを解析した科博の篠田謙一・人類研究部長は「今の東南アジアに特徴的な遺伝子型を持っている。南方から北上した人たちが白保に到達したと考えられる」。

 しかし、琉球列島最西端の与那国島と台湾の距離は最短でも約110キロある。東京大の横山祐典教授(古気候学・地球化学)によると、当時の日本周辺の海面は今より50~60メートル低かったが、このあたりの海の距離は現在と大差がなかったという。大陸と陸続きだった台湾から舟で渡るとしても、間を北上する黒潮に流されるので、航行距離はもっと長くなる。


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引用元: 【話題】「対馬ルート」、「北海道ルート」、「沖縄ルート」…日本人の祖先、いつどこから来た? 定説の3ルートとは★5©2ch.net

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1: 2016/02/25(木) 07:37:16.37 ID:CAP_USER.net
イースター島、人◯しの武器を作らなかったと新説 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064/


 ラパヌイ(イースター島の現地名)のモアイほど、世界的に有名な遺跡は数少ないだろう。
また、その石像を作り上げたポリネシア人たちの悲しい結末ほど、人類の未来への警鐘となる話も少ないだろう。

 1722年にヨーロッパ人が初めてこの島へやってくる前のこと、島の人々は不思議な巨石像を次々と作り、そのおかげで島中の森林が伐採され、資源は急速に枯渇し、残された乏しい資源をめぐって島民の間に争いが起こり、やがて完全な社会崩壊、経済崩壊へつながったのだと言われてきた。(参考記事:「謎に満ちたモアイ」)

 しかし今、島のいたるところで発見されているごくありふれた遺物が、その通説を覆そうとしている。

 1877年当時、島に住むラパヌイの末裔はわずか110人だった。ヨーロッパの民族学者たちが、イースター島の社会を崩壊させた武力闘争に関する口承を収集し始めたのがこの頃だった。
島のいたるところで出土した数千個もの石器は、武器として使われたと考えられた。黒曜石で作られた石器は、小さく細長い三角形をしており、柄がつけられた。

 元ナショナル ジオグラフィック協会付きエクスプローラーのジャレド・ダイアモンド氏は、2005年に出版した著書『文明崩壊』で、マタアと呼ばれるこれらの石器を「頻発する内乱」の遺物として紹介した。
米国の国防脅威削減局の刊行物でも、「石器時代の武器発達」の一例として挙げられている。

 ところが、新たに発表された研究報告により、マタアには実は◯傷能力はなかったとする証拠が示された。
しかも最近では、後世に語られるようになった武力闘争も実際にあったのかどうか、ラパヌイ研究者の間で対立する意見が出始めている。
島民たちは確かに森林伐採と環境破壊の影響に苦しめられたものの、文明崩壊まで至ったのは、外部の人間との接触があってから、彼らの持ち込んだ疫病と奴隷制のためであったという。

 論文の著者は、◯傷能力がないマタアを作ったのは、孤立した島社会に暮らす人々があえてそうしたのだと指摘する。
彼らは、狭い島の中で互いに◯し合いをすれば、いつか全員が死んでしまうということに、早くから気付いていたのである。(参考記事:「石器時代の大規模な「武器工場」を発掘」)

「◯傷能力はその辺の石と変わりない」 

 ナショナル ジオグラフィック協会から支援を受けている米ビンガムトン大学のカール・リポ氏率いる研究チームは、400個以上のマタアを分析し、その形状に特定の機能を示唆するような一貫した特徴があるかどうかを調べた。 
例えば、細長くとがった形なら、肉を貫き内臓を傷つけることができる。 
調べたマタアは、縦と横の長さが6~10センチ、形は実に様々で、使用目的別に分類しようにも、これらの形に共通点を見つけることができなかった。 
むしろ、様々な形をしているということは、島の日常生活のあらゆる場面で、田畑の耕作や食べ物の加工など、多目的な用途に使われていたのだろうと考える方が自然だ。 

 マタアの鋭い刃先は、物を切ったりこそげ取ったりするのには理想的だが、その重さと非対称性は、人を刺し◯すには十分でないと、リポ氏は結論付け、 
「◯傷能力はその辺の石とほとんど変わりはない」としている。 

 また、米スミソニアン自然史博物館自然人類学部門の責任者ダグラス・アウズリー氏の率いる研究チームが、イースター島で見つかった469個の人間の頭骨を調べたところ、マタアによるものと思われる切り傷の痕が見つかったのは、そのうちわずか2個だけだった。 
ほとんどの傷は、飛んできた石に当たってできたものであるという。島へやってきた西洋人は、島の人々の多くが石を投げて相手を攻撃していたことを記録に残している。 

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引用元: 【考古学】イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説 島内の争いがもとで衰退したとする従来説に異論

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