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石器

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1: 2016/02/18(木) 12:27:06.76 ID:CAP_USER.net
7000年前の定住集落跡、エルサレムで初めて発見 (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160218-00000004-jij_afp-sctch

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※画像はイメージで本文と関係ありません


【AFP=時事】イスラエルの考古学庁(IAA)は17日、7000年前から人間が定住する集落がエルサレム(Jerusalem)に存在していた証拠となる初の遺跡が発見されたと発表した。

 同庁によると、イスラエルに併合された東エルサレムのシュアファト(Shuafat)地区近郊の発掘調査で、金石併用時代の特徴を示す、壁と床の一部が原型を保っている家屋2棟と「複数の陶製容器、フリント石器と、玄武岩製の鉢1個」が発見されたという。
遺跡は、同地区での道路工事中に発見された。

 考古学庁先史学部門を統括するアムノン・バルジライ(Amnon Barzilai)氏によると、金石併用時代の集落跡はエルサレムの外で発見されていたが、今回のシュアファトの遺跡が見つかるまでは、エルサレム市内では「断片的な」遺物が出土していただけだったという。

「われわれは今回の発掘調査で、村落、定着した村落の遺跡を発見した」とバルジライ氏は述べた。

 考古学庁の発掘調査チームを率いたローニット・ルプー(Ronit Lupu)氏によると、金石併用時代には、人間は「まだ石器を使用していたが、高度な陶器や、銅器を初めて製作し始め」、「経済活動が行われていた、定着した集落」を形成していたという。

 死海(Dead Sea)地域と地中海(Mediterranean)沿岸を結ぶ主要経路だったエルサレムに、金石併用時代の集落があったことを示す確たる証拠が存在しないことは、研究者らの間で長年の謎とされていた。
現在のイスラエルやヨルダンの他の場所では、金石併用時代の集落が発見されていた。

 ルプー氏にとって今回の成果は、エルサレムで長年続けられてきた金石併用時代の集落探しに終わりを告げるものとなった。

「エルサレムでは長年、それは『どこかにあるのは分かっているが、決して見つからない』と考えられてきた。だがここで、われわれはそれを発見したのだ」とルプー氏は話した。【翻訳編集】 AFPBB News

引用元: 【考古学】7000年前の定住集落跡、エルサレムで初めて発見

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1: 2016/01/15(金) 12:22:34.71 ID:CAP_USER.net
4.5万年前にマンモス狩り=シベリア北極圏の骨分析―ロシア (時事通信) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160115-00000017-jij-sctch

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 北極圏のシベリアで発掘された約4万5000年前のケナガマンモスの骨を調べたところ、人類がやりや石器で狩りをして仕留めたと推定される傷が見つかった。
ロシア科学アカデミーなどの研究チームが15日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 人類がシベリア北極圏に進出したのは、これまで3万5000年前から3万年前とみられていた。強大なマンモスを倒す狩りの技術を発達させ、もっと早い時期から活動していたと考えられるという。

 発掘場所から人類の化石や石器などが一緒に見つかったわけではないが、マンモスの骨をX線コンピューター断層撮影装置(CT)などを使って詳細に調べ、貫通した穴や鋭い傷が人為的に付けられたと結論付けた。

引用元: 【古人類学】4.5万年前にマンモス狩り=シベリア北極圏の骨分析―ロシア

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1: 2016/01/14(木) 12:24:31.69 ID:CAP_USER.net
時事ドットコム:19万~11万年前の石器発見=インドネシア中部の島-国際チーム
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016011400089&g=int


 インドネシア中部スラウェシ島の南西部で、19万4000年前から11万8000年前と推定される石器を発見したと、オーストラリア・ウーロンゴン大などの国際研究チームが13日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。

 石器を作った人類の化石は見つかっていないが、同島の南のフローレス島では小柄なフローレス原人の化石が発見されている。
ジャワ原人のようなアフリカから進出してきた大柄な原人や、ネアンデルタール人に近く、ロシア南部で化石が見つかったデニソワ人なども候補として考えられるという。

続きはソースで

images
※画像はイメージで本文と関係ありません

(2016/01/14-07:03)

引用元: 【古人類学】19万~11万年前の石器発見=インドネシア中部の島-国際チーム

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1: 2015/05/21(木) 12:39:19.96 ID:???.net
猿人が使う?最古の石器150点、ケニアで発見 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00050000-yom-sci
330万年前の石器発見=人類最古、ケニアで―国際調査隊 (時事通信) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00000002-jij-m_est

画像
http://amd.c.yimg.jp/amd/20150521-00050000-yom-000-3-view.jpg
http://amd.c.yimg.jp/amd/20150521-00000006-jijp-000-3-view.jpg
ケニアの約330万年前の地層から見つかった石器を調べる国際調査隊の研究者=西トゥルカナ考古学プロジェクト提供
http://amd.c.yimg.jp/amd/20150521-00000005-jijp-000-3-view.jpg
約330万年前の石器が見つかったケニア・トゥルカナ湖近くの調査地域=西トゥルカナ考古学プロジェクト提供
http://amd.c.yimg.jp/amd/20150521-00000004-jijp-000-4-view.jpg
ケニア・トゥルカナ湖近くの約330万年前の地層から原始的な石器(写真=西トゥルカナ考古学プロジェクト提供)を発見したと、国際調査隊が21日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
人類最古とみられる。


 アフリカ・ケニア北部の約330万年前の地層から、人類史上最古と見られる石器が見つかったと、米仏などの研究チームが21日、英科学誌ネイチャーに発表する。

 これまでに見つかっている石器より約70万年古く、ホ◯(ヒト)属より古い時代に生きていた猿人が使っていたと考えられる。

 見つかったのは、ハンマーのように使う石器や、石器をたたきつける台になる石、石を割って作ったと見られるナイフのように使える鋭利な破片など約150点。これまで最古と考えられていた、隣国エチオピアで見つかった約260万年前の石器と比べると、作りは粗く、より原始的という。

 チンパンジーなども木の実を割る時に石を使う。石器に残された痕跡から、研究チームは、猿人も同じような使い方をしていたと推測。石器の使用がどのように発展したかを探る手がかりになるという。

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引用元: 【古人類学】ケニア北部の約330万年前の地層から、人類史上最古と見られる石器を発見 猿人が使っていたと考えられる 国際調査隊

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1: 2015/04/29(水) 21:17:04.75 ID:???.net
現生人類とネアンデルタール人の石器技術に大差はなかった―通説覆す研究結果 | サイエンス - 財経新聞
http://www.zaikei.co.jp/article/20150429/247363.html

画像
http://www.zaikei.co.jp/files/general/2015042914312550big.jpg
北レヴァント内陸部(ワディ・ハラール16R遺跡)で発見された石器資料。一番右が投擲具の先端部と考えられている石器(エル・ワド型尖頭器)。この石器資料が約3万8~7000年前のものであるという放射性炭素年代を得ることに成功した。この年代は、ヨーロッパのプロト・オーリナシアン文化の年代(約4万2000年前~3万9000年前)よりも新しく、その起源とはいえない。(名古屋大学の発表資料より)


 名古屋大学の門脇誠二助教などによる研究グループは、西アジアからヨーロッパへ革新的な石器技術が拡散したという通説の根拠となる石器標本と年代データを見直し、従来説とは逆に、革新的な石器技術は西アジアよりもヨーロッパの方で古く発生した可能性が十分あることを示した。

 ネアンデルタール人が居住するヨーロッパへホ◯・サピエンスが拡散できた理由として、従来はサピエンスの起源地に近いアフリカやレヴァント地方において発生した技術革新が主な要因と考えられていた。

 今回の研究では、シリア北方のラッカ市から東方へ約50kmの地域において考古学調査を行い、ユーフラテス河支流のワディ・ハラールという小渓谷の左岸に位置する遺跡を発見した。そして、地表調査と発掘調査によって石器標本1000点以上を採集した。

続きはソースで

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 なお、この内容は「Journal of Human Evolution」に掲載された。論文名は、「Variability in Early Ahhmarian lithic technology and its implications for the model of a Levantine orgin of
the Protoaurignacian」。

引用元: 【古人類学】現生人類とネアンデルタール人の石器技術に大差はなかった―通説覆す研究結果

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1: 2015/03/02(月) 21:03:42.04 ID:???.net
掲載日:2015年3月2日
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150227/437373/

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5万5000年前の現生人類の頭蓋骨の一部。2015年1月、ガリラヤ西部のマノット洞窟で発見された。人類がネアンデルタール人と同時期にレバント地方にいたことを示唆している。(Photograph by Menahem Kahana, AFP, Getty Images)
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150227/437373/ph_thumb.jpg

 人類はどこから来て、どうやって拡散したのだろう?

 はじめの疑問に対しては、遺伝学の研究が説得力のある答えを見出している。現生人類の祖先はアフリカで進化したというものだ。

 人類はその後、6~5万年前に一気にユーラシア大陸に広がった。そしてこのたび米国の2人の考古学者が、初期人類がアフリカを出てから広く拡散するまでの道のりを明らかにしたと発表した。パンくずのように残された石器の跡をたどると、私たちの祖先はいったんアフリカから緑のオアシスだったアラビア半島へと遠回りし、5万年間ほど定住。続いて中東に移動して、そこではじめてネアンデルタール人と遭遇したという。

 石器のスタイルや作り方の類似点からすれば、エジプトのナイル川流域で最初に作られたものが、次にアラビア半島、最終的にはイスラエルの石器に繋がっていると研究者らは説明する。携帯電話の進化同様、石器は時代を経るごとに着実に小型化、複雑化していた。

初期の現生人類の化石は、エチオピアのオモ川流域とアワッシュ川中流域のヘルト・ボウリから出土した。そして15万年前に、エジプトのナイル川流域で人類は石器を作り始める。以前の研究では、人類がアフリカを出てシナイ半島を経由し、レバント地方に至る拡散ルートを追いかけていた(時計回りの矢印)。一方、最新の研究で、アラビア半島に渡った人類は5万年ほど半島に定住し、その後レバント地方に北上するルートが明らかになった(反時計回りの矢印)。
そのレバントで人類がネアンデルタール人から道具作りの技術を拝借した可能性がある。

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http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150227/437373/01.jpg

 「考古学者たちは、“アフリカから中東”のルートばかりに焦点を合わせていたので、アラビア半島における1章をまるごと見過ごしてきたのです」と述べるのは、「Quartar」誌2月号に掲載された論文の共著者で、ロニン・インスティテュート(Ronin Institute)の人類学者であるジェフリー・ローズ氏だ。

 エチオピアのオモ川流域やヘルト・ボウリなどから出土した化石によると、人類誕生の地はおよそ20万年前のアフリカである。

 道具作りの観点では、古代から現代へ人類の行動が移り変わる過程は、約5万年前の「エミラン」と呼ばれる石器の様式にはっきりと現われている。だが、1951年にイスラエルのガリラヤ湖付近の洞窟で、尖頭器や石刃、削器をはじめとするエミランが初めて発見されて以来、高度な道具作りがどこで始まったのか、考古学者らはずっと頭を悩ませてきた。

 「エミランは橋渡し的な技術です。一体どこからやって来たのでしょうか」と、ナショナル ジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラー(新進支援研究者)でもあるローズ氏は疑問を投げかける。

続く 

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引用元: 【古人類】ネアンデルタール人と人類の出会いに新説 高度な石器文化をネアンデルタール人から受け継いだ可能性も

ネアンデルタール人と人類の出会いに新説 高度な石器文化をネアンデルタール人から受け継いだ可能性もの続きを読む

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