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縄文

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1: 2017/01/25(水) 23:24:44.08 ID:CAP_USER
沖縄に東北地方の縄文土器 2千年以上前、広域交流か

縄文時代晩期(3千~二千数百年前)の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある平安山原B遺跡で出土したと24日、同町教育委員会が明らかにした。
 
沖縄での発見は初めてで、西日本でも出土は限られている。製作地や沖縄に運ばれた背景を巡り、大きな議論を呼びそうだ。

続きはソースで

▽引用元:共同通信 2017/1/24 20:051/24 20:06updated
https://this.kiji.is/196578565554914808
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引用元: 【考古】沖縄に東北地方の縄文土器 2千年以上前、広域交流か©2ch.net

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1: 2016/11/06(日) 13:49:05.89 ID:CAP_USER9
◆縄文人と弥生人の混血である日本人は世界的に歯並びが悪い

星歯科矯正(神奈川県相模原市)院長・星隆夫さんは次のように説明する。

「実は、日本人は世界的に見ても歯並びがよくありません。
というのも、日本人はもともと日本にいた体も歯も小さい縄文人と、大陸から来た体も歯も大きい弥生人の混血で、歯並びが悪くなりやすい。
そのためあごと歯の大きさのバランスによっては乱杭歯(歯並びががたがたしていること)やすきっ歯になりやすく、出っ歯や受け口も少なくありません」

骨格の大きな欧米人もそうでない日本人も、歯の数は同じ。
欧米人よりあごの狭い日本人は、そもそも歯並びが崩れやすい運命にあるのだ。

※女性セブン2016年11月17日号

続きはソースで

NEWSポストセブン 2016年11月6日7時0分
http://www.news-postseven.com/archives/20161106_463292.html
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引用元: 【科学】縄文人と弥生人の混血である日本人は世界的に歯並びが悪い [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/09/09(金) 03:40:49.47 ID:CAP_USER9
3000年前に発掘された化石を持つ、斎藤教授
http://images.keizai.biz/izu_keizai/headline/1473339845_photo.jpg

 国立遺伝学研究所(三島市谷田)の斎藤成也(なるや)教授率いる研究チームが9月1日、現代の「日本列島人」と祖先である「縄文人」との遺伝情報の共通部分は約15%であるとの研究を発表した。

 同研究は、縄文時代の遺跡である三貫地貝塚(福島県)で発見された縄文人の奥歯から細胞のDNAを採取し、解析したもの。歯から採取されたDNAからは、約28億7800万の塩基が見つかったが、多くはバクテリアやヒト以外の塩基によるもので、縄文人の塩基と分かったのはそのうち1億1500万ほどだったという。

 斎藤教授は「全体の数字からすれば、わずかな割合だが、3000年の風化の中にも遺伝子情報が非常に多く見つかったのはとても有益なこと」と話す。

 同発見を元に情報を解析した結果、現代人である日本列島人と縄文人のDNAの共通点は約15パーセントと判明したという。これによって、日本にやってきた住民たちが、他の種族たちと交配し、稲作を始めたとされるヤマト人や現代の日本列島人に進化したルーツの一つが分かった。

続きはソースで

http://izu.keizai.biz/headline/514/

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引用元: 【話題】「縄文人との共通部分、意外に少ないことに驚いた」 三島・遺伝研の研究チームが「縄文人」との共通部分解明©2ch.net

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1: 2016/08/11(木) 01:29:13.94 ID:CAP_USER9
(上)本年度の発掘調査が行われた尻労安部洞窟。洞奥部分から鳥獣骨や土器、石器などが出土した=9日、東通村 (下)今回の発掘で出土した縄文時代後期のものとみられるオオヤマネコの骨(スケールは5センチ)=尻労安部洞窟遺跡調査団提供
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/aomori/images/2016/08/10/M16081000085/dc7c5f4301d38251b7eab73cee6e79f2.jpg

 東通村尻労地区にある旧石器から弥生時代にかけての遺跡「尻労安部洞窟(しつかりあべどうくつ)」の本年度の発掘調査で、9日までに縄文後期のものとみられるオオヤマネコの骨十数点などが出土した。国内ではオオヤマネコは縄文時代には生息していたが、後にいなくなったとされている。調査団は今回の出土品を「研究を進める上で極めて重要な資料」とみており、今後、骨の年代測定やDNA鑑定を行う方針だ。

 同遺跡は、桑畑山の南東麓の石灰岩地帯にあり標高約30メートル。慶応大や新潟医療福祉大、東北大などで構成する調査団が2001年度から毎年発掘調査している。本年度は各大学の教員や学生ら約40人が、今月1日から10日までの日程で調査に当たっており、縄文後期の層と旧石器時代の層の2地点で合わせて約8平方メートルを発掘している。

 調査団によると、縄文後期の層から、オオヤマネコの下顎(かがく)部の骨や四肢骨などが十数点見つかった。

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続きはソースで

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/aomori/1-0302932.html

引用元: 【青森】「研究を進める上で極めて重要な資料」 東通・尻労安部洞窟で縄文後期のオオヤマネコの骨出土©2ch.net

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1: 2016/05/22(日) 15:59:29.49 ID:CAP_USER*
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/05/19/20160519dd0phj000273000p/9.jpg

 先住民アイヌの祖先はどんな人たちだったのだろうか。
百々(どど)幸雄・東北大学名誉教授(解剖学・形質人類学)が近著『アイヌと縄文人の骨学的研究-骨と語り合った40年』(東北大学出版会)で、自身の研究史を振り返りながら人類学研究の現在の到達点を示している。

 アイヌは顔の彫りが深いことなど、本土日本人(北海道、琉球諸島以外の日本列島人)と違った特徴があり、かつてはコーカサス人種説(白人説)も唱えられた。
百々さんは東北大学を卒業後、1969年に札幌医科大学に助手として採用され、翌年、発掘されたアイヌの頭骨に出合った。眉間(みけん)が盛り上がり、鼻の付け根が落ち込んで、鼻骨が前へ突き出るという立体的な顔の特徴が、研究しようと思っていた縄文時代人骨と共通していた。

 そのころの骨の研究は、頭骨の長さや幅などを測る計測的方法が主流だったが、百々さんは、眼窩上孔(がんかじょうこう)(目の上の骨の小さな穴)など、身体機能に影響しないとみられる小さな差異(形態小変異)を比べる方法を選んだ。

 遺伝的影響を見るのに適した形態小変異22項目について、各地で出土した古人骨や現代人骨の一点一点を観察して、あるなしを調べた。

 縄文人(関東、東北)、大陸渡来系とみられる山口県・土井ケ浜遺跡と福岡市・金隈(かねのくま)遺跡の弥生時代人、古墳時代人、鎌倉時代人、室町時代人、江戸時代人、現代人(九州、東日本)、北海道アイヌの頭骨を比較した結果、縄文人と北海道アイヌだけがはっきりと別のグループに分かれた。

 稲作文化が伝わらなかった北海道では、縄文時代の後も、続縄文時代と呼ばれる狩猟・採集文化の時代が続いた。
続縄文人を加えて分析した結果では、縄文人、続縄文人、北海道アイヌが1群をなし、本土の弥生時代から現代までの集団と大きく離れた。
アイヌが縄文人の直系の子孫で、渡来系弥生人の遺伝的影響をほとんど受けなかったことが明らかになった。

 古代蝦夷(えみし)とアイヌの関係を調べるため、東北地方の古墳時代人、古代人(8~10世紀)、江戸時代人と、関東以南の人骨を比較すると、九州-関東-東北-北海道アイヌ・東日本縄文人の順に並んだ。

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http://mainichi.jp/articles/20160519/dde/014/040/006000c  [2016.05.19] 

引用元: 【話題】アイヌのルーツ 縄文人にオホーツク人の影響★2©2ch.net

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1: 2016/04/26(火) 12:12:17.25 ID:CAP_USER.net
縄文人の人口減は偏食原因か 食の多様性失い変化に弱く (京都新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160424-00000018-kyt-sctch


 日本の人口減少が課題となっているが、実は約4300年前の縄文時代にも大きく減った。日本における「最初の人口減少」とも言われ、気候変動による寒冷化が原因とする説が有力だ。しかし、総合地球環境学研究所の羽生淳子教授は「縄文人が採取する食物が偏った結果、わずかな環境の変化に対応できなくなったのが原因」という仮説を提唱している。人間は縄文時代から、炭水化物に大きく依存して食の多様性を失わせ、その弊害を被っていたというのだ。

 羽生教授は青森市の三内丸山遺跡など縄文時代の遺跡を研究している。同遺跡は約5900年前から1600年続いた集落だ。最盛期には数百人が暮らしたという説もあり、縄文時代では最大級の規模だった。
 「遺跡の人口を詳細に検討すると、寒冷化より前に既に人口が減っているんです」。羽生教授は指摘する。住居跡から推測すると、同遺跡の人口が減り始めるのは約4900年前と、寒冷化が始まったとされる時期よりも600年ほど早い。人口減少の理由は、気候変動だけでは説明がつかないというわけだ。

 羽生教授は、出土する石器に注目した。獲物を捕まえる弓矢の矢尻に使った石ぞくや植物をすりつぶした磨石(すりいし)など、石器の出土数から当時の食生活が推測できる。食生活と人口には相関があるという。
 約5600~5200年前の同遺跡からは、磨石や石ぞくなどが満遍なく出土し、人々が動物も植物もよく食べていたと推測できる。この間の住居は約30軒を超えなかった。その後、出土する石器の大半を磨石が占めるようになり、クリやトチの実など植物を多く採取したと考えられる。住居は増え始めて人口増加をうかがわせる。

 しかし約60軒以上の住居のあった人口最盛期の4900年前になると、出土する石器は石ぞくが多くなり、狩猟で動物を仕留める機会が増加したとみられる。周辺の木の実の収穫が減って、炭水化物を主食にできなくなったと推測できる。その後の100年で住居跡は十数軒まで急減し、人口減の局面を迎える。羽生教授は「食の多様性が失われ、わずかな気候の変動でも食物確保をできなくなり、一度は最盛期を迎えた人口も減少してしまった」と考える。

 縄文時代には、人口の大半が東日本に偏る一方、約5千年前の人口は26万人に上るという推定もある。数百人規模の同遺跡の分析をそのまま日本全体に当てはめることはできない。しかし羽生教授は「三内丸山は当時の最大級の遺跡。東日本で起こった出来事を推測する大きな鍵」と話す。その上で「食料の単一化傾向が、縄文時代の人口減少の原因だとすれば、品種の多様性が問題となる農業にも参考になる」と語り、縄文人の生活史が現代の課題に通じると強調する。

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引用元: 【考古学】縄文人の人口減は偏食原因か 食の多様性失い変化に弱く

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