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象徴

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1: 2018/07/02(月) 11:37:49.39 ID:CAP_USER
「そら豆」は古くからエジプトやギリシャ、ローマなど世界中で食べられていましたが、同時に「そら豆=死の象徴」とも考えられていました。
「いったいなぜ『豆=死の象徴』と考えられていたのか?」という謎について、食事にまつわるストーリーを掲載するGastro Obscuraがまとめています。

Why Beans Were an Ancient Emblem of Death - Gastro Obscura
https://www.atlasobscura.com/articles/favism-fava-beans

古代ギリシャの哲学者・ピタゴラスはそら豆を食べることを徹底的に拒否しており、ピタゴラス本人だけでなくピタゴラスに学ぶ弟子たちもそら豆を食べなかったとのこと。
これは当時において決して珍しいことではなく、そら豆を「死の象徴」として忌避する風潮は古代エジプトやローマでも存在していました。

食事史を研究するケン・アルババ氏によれば、15世紀までのヨーロッパにおいて「豆」といえば通常はそら豆のことを指していたそうです。
そら豆は地中海を中心とする地域ではごく一般的な食材であり、貴重なタンパク源としても重宝されていました。

非常に早い時期から人々の生活に根付いていたそら豆ですが、多くの文化において人々は、そら豆に対して複雑な感情を抱いていたとのこと。
歴史家のヘロドトスは「エジプト人は豆を栽培することを完全に拒否している」と記しており、実際にエジプト人が豆の栽培を全く行わなかったという事実はありませんが、豆に対して否定的な感情があったのは確かだそうです。

豆は儀式で「いけにえ」として使用されることが多く、葬送儀礼ではレンズ豆やそら豆がいけにえとして捧げられました。
このため、ローマ神話に登場する神・ユーピテルに関する祭司を行う聖職者たちは、死を汚れとみなす考えから豆を食べることはもちろん、豆に触ったり豆について話すことも禁じられていたとのこと。


続きはソースで

https://i.gzn.jp/img/2018/07/01/why-beans-were-emblem-death/01_m.jpg
https://i.gzn.jp/img/2018/07/01/why-beans-were-emblem-death/00_m.jpg

GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180701-why-beans-were-emblem-death/
ダウンロード (2)


引用元: 【歴史】なぜ古代の人々はそら豆を「死の象徴」として恐れていたのか?[07/01]

なぜ古代の人々はそら豆を「死の象徴」として恐れていたのか?の続きを読む

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1: 2018/02/23(金) 12:28:25.77 ID:CAP_USER
スペイン北部の世界遺産のラパシエガ洞窟の壁画が世界最古の洞窟壁画であることが国際研究チームの調査でわかった。
現生人類は当時欧州におらず、絶滅した旧人類ネアンデルタール人が描いたものとみられる。
22日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。

 研究チームはラパシエガ洞窟など3カ所で動物や手形などの線描の部分に含まれる天然の放射性物質を高精度な年代測定法で調べた。
三つとも6万4800年以上前に描かれたものだとわかった。

 現生人類がアフリカから欧州にやってきたのは4万~4万5千年前とされる。
1万数千年前のアルタミラ洞窟(スペイン)や約2万年前のラスコーの洞窟(フランス)など、これまでの洞窟壁画はすべて現生人類が描いたと考えられてきた。 

続きはソースで

画像:壁画の一部のスケッチ。赤いはしごのような形は約6万5千年以上前に描かれた。
牛のような動物が描かれた時期ははっきりしないという(サイエンス誌提供)
http://www.asahi.com/articles/images/AS20180222003958_commL.jpg

朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL2P5K87L2PULBJ00Y.html
ダウンロード


引用元: 【考古学】ネアンデルタール人が描いた? 世界最古の洞窟壁画[02/23]

ネアンデルタール人が描いた? 世界最古の洞窟壁画の続きを読む

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1: 2017/05/04(木) 06:00:03.24 ID:CAP_USER
【5月4日 AFP】
かつて古代エジプト王朝の都として栄えたテーベ(Thebes)にある墓の付近から、4000年近く前の庭園模型が発見された。同国考古省が3日、発表した。


 同省によると、庭園模型は、現在のルクソール(Luxor)からナイル(Nile)川を挟んだドゥラ・アブル・ナガ(Draa Abul Nagaa)墓群にある中期王朝(紀元前2050~1800年)の墓前の中庭で、スペインの考古学チームにより発見された。
大きさは3メートル×2メートルで、約30センチ四方の正方形の小区画に分割されている。

続きはソースで

(c)AFP

関連ソース画像
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/2/2/500x400/img_22a514ca76e062fe8f116096d356cf79223343.jpg
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/0/8/500x400/img_08fb132ed9b32a1172852644601a607c204922.jpg

AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3127207
ダウンロード (1)


引用元: 【考古学】4千年前の庭園模型、古代エジプトの墓付近で発掘 [無断転載禁止]©2ch.net

4千年前の庭園模型、古代エジプトの墓付近で発掘 の続きを読む

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1: 2015/08/21(金) 21:23:39.74 ID:???.net
エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/

画像
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/01.jpg
1912年に発見されたネフェルティティの胸像は、エジプト古代遺物の象徴的存在のひとつとなっている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL SOHN, DPA/CORBIS)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/02.jpg
ネフェルティティの玄室は、ツタンカーメン王の墓の中に隠れているのだろうか。考古学者のニコラス・リーブス氏は、墓の西壁(左)の向こうにあると考えている。(PHOTOGRAPH BY EGYPTIAN,
THE BRIDGEMAN ART LIBRARY/GETTY IMAGES)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/03.jpg
1898年に発掘され、「年下の女性」として知られるミイラ。最新のDNA鑑定の結果、これがツタンカーメン王の母親であるとされており、ネフェルティティの可能性がある。(PHOTOGRAPH BY
KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)


 米アリゾナ大学の考古学者ニコラス・リーブス氏が、紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃の墓をついに発見したかもしれないという論文を発表し、注目を集めている。

 リーブス氏が発表した論文によれば、伝説のエジプト王妃の墓は、少し考えればすぐ分かりそうな場所に隠れていたという。ネフェルティティの息子と考えられているツタンカーメン王の墓に隠されたドアがあり、その向こうにある大きな玄室に埋葬されているという。

 歴史的な発見は、様々な憶測を呼ぶものだ。そこで、これまでの経緯を振り返ってみよう。

 ネフェルティティの墓を発見という発表は、過去12年間でこれが3度目だ。

 しかも、最近行われたDNA鑑定によって、1898年に発掘され現在はカイロのエジプト博物館に保管されている、数体のミイラのうちの1体がネフェルティティであるとの見方もある。


壁にあった謎の割れ目

 リーブス氏は、美術品のレプリカ製造を専門とするスペインのファクトム・アルテ社が作成したツタンカーメンの墓の詳細なスキャン画像を分析していた時にそれを発見した。

 少年王ツタンカーメンが眠っていた王家の墓を一目見ようと押し寄せる観光客のために、本物の墓のすぐそばにレプリカが作られており、スキャンによる高解像度画像は、これを建設するために撮影されたものだ。今年2月、スキャン画像を分析していたリーブス氏は、墓の北と西の壁に割れ目があることに気付き、それぞれ封印されたドアの輪郭ではないかと考えた。

 小さい方のドアは収納室のものと思われるが、大きな方のドアは、王妃の墓へ通じる入口にふさわしい大きさになっている。

 ツタンカーメン王の墓はいくつかの段階にわけて建造され、装飾が施された。リーブス氏は論文の中で、まず最初にネフェルティティが埋葬され、玄室へのドアが密封されてから彩色が施されたと考察する。(参考記事:「ツタンカーメンの性・器に政治的背景か」)

 また、墓の大きさとレイアウトについても言及している。ツタンカーメンの墓には部屋が4つしかなく、他のファラオの墓と比べて小さい。したがって、この墓はもっと大きな構造物の一部にすぎないのではないかという。(参考記事:「古代エジプト王の壮絶な死が遺骨から明らかに」)

 さらに、メインの回廊から墓の内部に入ると、進入者は右に曲がるように作られている。これは伝統的なエジプト王妃の墓の構造である。

ネフェルティティはすでに発見されている? 

 もしリーブス氏の見方が正しいとすれば、長年の努力がようやく報われたことになる。リーブス氏は、1998年から2002年にかけてアマルナの王家の墓プロジェクトの責任者を務めていた頃から、ネフェルティティの墓を探し続けてきた。(参考記事:「古代エジプト、人骨が語る過酷な暮らし」)

 過去には、米国のテレビ局であるPBSのインタビューで次のように語っていた。「私の勘では、ネフェルティティは必ず王家の谷のどこかに眠っているはずです。彼女の墓が見つかれば、すごいことです。
彼女が歴史的に重要な存在であるというだけでなく、この時代は大変見事な芸術の栄えた時代でもあったからです」

 しかし、2006年にツタンカーメンの墓から15メートル離れた場所に隠された墓を発見したのは、リーブス氏の仲間で米メンフィス大学の考古学者オット・シェイダン氏だった。発見当初、一部のメディアはネフェルティティの玄室の可能性が高いと報じていた。

続きはソースで

ダウンロード

文=Mark Strauss/訳=ルーバー荒井ハンナ

引用元: 【考古学】エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説 謎多き王妃は息子であるツタンカーメン王の後ろに隠されていた?

エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説 謎多き王妃は息子であるツタンカーメン王の後ろに隠されていた?の続きを読む
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