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貝塚

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1: 2017/12/26(火) 03:29:20.52 ID:CAP_USER
明治時代に発見されたあと宅地開発などの影響で所在がわからなくなり、研究者の間で幻の貝塚と呼ばれていた縄文時代の遺跡が、東京・豊島区の住宅街でおよそ120年ぶりに見つかりました。
周辺には大規模な集落が広がっていたと見られ、貴重な発見だと注目を集めています。

およそ3000年から4000年前の縄文時代後期の遺跡、池袋東貝塚は、明治時代に発見されたという記録がありましたが、豊島区教育委員会によりますと、周辺の宅地化が急速に進んだことなどから、その後、所在がわからなくなっていました。

ことし10月、豊島区の東武東上線の下板橋駅付近の住宅街で建物の建て替え工事が行われた際に大量の土器や貝が見つかり、当時の記録と出土した遺物や場所がおおむね一致したことなどから、池袋東貝塚だと確認されました。

この遺跡は蒔田鎗次郎という考古学者が発見したことが、明治29年に発行された東京人類学会誌に掲載された論文に記されていましたが・・・

続きはソースで

関連ソース画像
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171225/K10011270771_1712251426_1712251427_01_03.jpg

NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171225/k10011270771000.html
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引用元: 【考古学】“幻の貝塚” 縄文時代の遺跡 約120年ぶり見つかる

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1: 2016/06/20(月) 18:26:31.41 ID:CAP_USER
出土品、群抜く「質と量」

 「奇跡の遺跡」の価値が認められた-。文化審議会が東名(ひがしみょう)遺跡(佐賀市金立町)を国史跡に指定すべきと答申した17日、遺跡の希少性や考古学的価値を熱心に訴えてきた地元NPOや意見具申した市教育委員会からは、喜びの声が上がった。湿地性貝塚という特性により、他の遺跡と比べ出土品の「質と量」で群を抜く遺跡。出土品は30万~40万点に上り、保存・活用に向けた本格的な検討の必要性も出てきた。

8000年前の縄文の遺物

 「これらは全部本物ですよ。8000年前の縄文時代の遺物です」。遺跡に隣接する東名縄文館を管理するNPO法人「徐福・湿原の森づくり会」理事長の江島徳太郎さん(76)は、誇らしげに展示品を紹介する。「佐賀の歴史の原点。多量の出土品は、国の宝にふさわしい」。国史跡指定が決定的となり、言葉にも力がこもる。

厚い粘土層に覆われた湿地性貝塚

 貝塚は、調整池の建設工事によって偶然見つかった。厚い粘土層に覆われた湿地性貝塚という特性があり、約8000年前の動植物性遺物が良好な保存状態で多量に見つかっている。偶然の発見や保存に適した条件がそろっていたことから、江島さんたちは「奇跡の遺跡」と呼ぶ。

アクセサリーなど数百点の遺物

 国史跡指定を期待し、縄文館は4月から開館時間も午後4時まで3時間延長した。貝塚のはぎ取り標本や編み籠、動物の骨を使ったアクセサリーなど数百点の遺物が見られる。

 ただ、展示されているのは出土品全体のほんの一部でしかない。

続きはソースで
images
※画像はイメージで本文と関係ありません


佐賀市文化財資料館の倉庫に眠っている縄文時代の貝塚のはぎ取り標本=佐賀市本庄町
http://amd.c.yimg.jp/im_siggwyjglaLoQeHURWEUviv4Rw---x900-y560-q90/amd/20160620-00010006-saga-000-1-view.jpg
東名遺跡の地図
http://amd.c.yimg.jp/amd/20160620-00010006-saga-001-1-view.jpg

引用元: 【考古】「奇跡の遺跡」認められた 佐賀市・東名遺跡©2ch.net

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1: 2016/03/26(土) 08:13:23.27 ID:CAP_USER*.net
2016/3/26 07:41

 福井県若狭町の鳥浜貝塚から見つかった縄文時代の土器(若狭歴史博物館提供)

 福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土した縄文土器片を調べていた英ヨーク大の研究チームは26日までに、土器が少なくとも9千年にわたり、ほとんど魚介類を煮るために使われていたと米アカデミー紀要で発表した。
土器片は1万4千年前から5千年前のもので、分析した約8割から魚介類の脂を検出した。

 共同研究者で若狭歴史博物館(福井県小浜市)の鰺本真友美調査員は
「魚を煮たものがおいしかったのか、祝宴に必要だったのかは不明だが、北海道でも約1万4千年前の土器で魚を煮ていたことが分かっている。全国で同じような傾向があれば土器拡大の背景を知る手掛かりになる」と話した。

(続きや関連情報はリンク先でご覧ください)

ダウンロード


引用元:共同通信 http://this.kiji.is/86227025530291705?c=39546741839462401

引用元: 【食べ物】縄文人は煮魚好き? 土器片ほとんどに脂、魚介類を煮るために使われていた 福井 (共同通信)

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1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2014/02/12(水) 16:34:29.72 ID:???0

★縄文人骨91体 ルーツ解明に期待
2月11日 8時54分

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日本人はどこから来たのか。この壮大なテーマの解明に欠かすことのできない資料が、富山市の縄文時代前期の貝塚から出てきました。
貝殻の層の中に残されていた、91体の人骨。そして、土器や石器、木製品など大量の出土品。
その分析を通じて、謎の多い縄文前期の人々のルーツや暮らしぶりが、明らかになりつつあります。
(写真はいずれも富山県文化振興財団提供)

◆6000年前の人骨が次々と
「ふだん骨を見ることなんてないのに、ここでは掘り下げるたびに次々と出てくる」。
富山県文化振興財団・埋蔵文化財調査事務所の町田賢一さんは、骨が多すぎて現場では個体数が把握できなかったと言います。

大量の人骨が見つかったのは、富山市にある「小竹(おだけ)貝塚」。
北陸新幹線の工事に伴って2年がかりで発掘調査したところ、厚さが最大2メートルの貝殻の層が見つかりました。
今からおよそ6000年前、縄文時代前期の貝塚で、日本海側では最大級の規模だということです。
同じ場所に住居や墓も作られていたことも分かりました。
その後、確認された人骨は、少なくとも91体。「貝の地面に貝で埋めていた」状態だったということです。
1万年以上にわたる縄文時代のうち、早期と前期は人骨の出土例が少なく、これまで全国で確認されているのは、合わせておよそ80体です。
今回、1つの遺跡の調査だけで、その総数を上回ってしまいました。
犬の骨も、可能性の高いものも含め、21体も見つかっています。
なぜこれだけの量の骨が残されていたのか。
日本の土壌は酸性で、土に埋まった状態では多くは溶けてしまいます。
しかしここでは、貝殻のカルシウムが、骨を良好な状態で残してくれたのです。(以下略)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/k10015167891000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140211/K10051678911_1402110901_1402121602_01.jpg



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