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遺物

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1: 2015/08/21(金) 21:23:39.74 ID:???.net
エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/

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http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/01.jpg
1912年に発見されたネフェルティティの胸像は、エジプト古代遺物の象徴的存在のひとつとなっている。(PHOTOGRAPH BY MICHAEL SOHN, DPA/CORBIS)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/02.jpg
ネフェルティティの玄室は、ツタンカーメン王の墓の中に隠れているのだろうか。考古学者のニコラス・リーブス氏は、墓の西壁(左)の向こうにあると考えている。(PHOTOGRAPH BY EGYPTIAN,
THE BRIDGEMAN ART LIBRARY/GETTY IMAGES)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/03.jpg
1898年に発掘され、「年下の女性」として知られるミイラ。最新のDNA鑑定の結果、これがツタンカーメン王の母親であるとされており、ネフェルティティの可能性がある。(PHOTOGRAPH BY
KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)


 米アリゾナ大学の考古学者ニコラス・リーブス氏が、紀元前1331年に死んだネフェルティティ王妃の墓をついに発見したかもしれないという論文を発表し、注目を集めている。

 リーブス氏が発表した論文によれば、伝説のエジプト王妃の墓は、少し考えればすぐ分かりそうな場所に隠れていたという。ネフェルティティの息子と考えられているツタンカーメン王の墓に隠されたドアがあり、その向こうにある大きな玄室に埋葬されているという。

 歴史的な発見は、様々な憶測を呼ぶものだ。そこで、これまでの経緯を振り返ってみよう。

 ネフェルティティの墓を発見という発表は、過去12年間でこれが3度目だ。

 しかも、最近行われたDNA鑑定によって、1898年に発掘され現在はカイロのエジプト博物館に保管されている、数体のミイラのうちの1体がネフェルティティであるとの見方もある。


壁にあった謎の割れ目

 リーブス氏は、美術品のレプリカ製造を専門とするスペインのファクトム・アルテ社が作成したツタンカーメンの墓の詳細なスキャン画像を分析していた時にそれを発見した。

 少年王ツタンカーメンが眠っていた王家の墓を一目見ようと押し寄せる観光客のために、本物の墓のすぐそばにレプリカが作られており、スキャンによる高解像度画像は、これを建設するために撮影されたものだ。今年2月、スキャン画像を分析していたリーブス氏は、墓の北と西の壁に割れ目があることに気付き、それぞれ封印されたドアの輪郭ではないかと考えた。

 小さい方のドアは収納室のものと思われるが、大きな方のドアは、王妃の墓へ通じる入口にふさわしい大きさになっている。

 ツタンカーメン王の墓はいくつかの段階にわけて建造され、装飾が施された。リーブス氏は論文の中で、まず最初にネフェルティティが埋葬され、玄室へのドアが密封されてから彩色が施されたと考察する。(参考記事:「ツタンカーメンの性・器に政治的背景か」)

 また、墓の大きさとレイアウトについても言及している。ツタンカーメンの墓には部屋が4つしかなく、他のファラオの墓と比べて小さい。したがって、この墓はもっと大きな構造物の一部にすぎないのではないかという。(参考記事:「古代エジプト王の壮絶な死が遺骨から明らかに」)

 さらに、メインの回廊から墓の内部に入ると、進入者は右に曲がるように作られている。これは伝統的なエジプト王妃の墓の構造である。

ネフェルティティはすでに発見されている? 

 もしリーブス氏の見方が正しいとすれば、長年の努力がようやく報われたことになる。リーブス氏は、1998年から2002年にかけてアマルナの王家の墓プロジェクトの責任者を務めていた頃から、ネフェルティティの墓を探し続けてきた。(参考記事:「古代エジプト、人骨が語る過酷な暮らし」)

 過去には、米国のテレビ局であるPBSのインタビューで次のように語っていた。「私の勘では、ネフェルティティは必ず王家の谷のどこかに眠っているはずです。彼女の墓が見つかれば、すごいことです。
彼女が歴史的に重要な存在であるというだけでなく、この時代は大変見事な芸術の栄えた時代でもあったからです」

 しかし、2006年にツタンカーメンの墓から15メートル離れた場所に隠された墓を発見したのは、リーブス氏の仲間で米メンフィス大学の考古学者オット・シェイダン氏だった。発見当初、一部のメディアはネフェルティティの玄室の可能性が高いと報じていた。

続きはソースで

ダウンロード

文=Mark Strauss/訳=ルーバー荒井ハンナ

引用元: 【考古学】エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説 謎多き王妃は息子であるツタンカーメン王の後ろに隠されていた?

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1: 2015/07/02(木) 12:25:30.05 ID:???.net
 浙江省、6000年前の人工栽培の茶の木が出土 - 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2015/07/01/181s238612.htm

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http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2015/07/01/824ecd5dba9c44a0b9a9a489268ee43b.jpg
http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2015/07/01/53d7b48423f0454c86d49a6614fa9c5a.jpg


 浙江省余姚市にある田螺山遺跡で、今から約6000年前のツバキ属の木の根が出土されました。この木の根はツバキ属の茶の木の遺物だと確認されました。これまでに中国で発見された最も古い人工栽培の茶の木だということです。6月30日杭州で行われた浙江省余姚市田螺山遺跡考古研究成果発表会で明らかにされました。

 中国のお茶の栽培の起源は今から約3000年前だといわれていましたが、今回の発見により、その歴史は今から約6000年前にさかのぼることになりました。(玉華、小山)

images (2)
 

引用元: 【考古学】6000年前の人工栽培の茶の木が出土 中国浙江省、田螺山遺跡

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1: ミッドナイトエクスプレス(チベット自治区) 2013/08/24(土) 11:00:09.52 ID:TYz8G1ZET● BE:189098742-PLT(12555) ポイント特典

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130824/wlf13082407000001-n1.htm

古代のパワースポットか、琵琶湖岸から“不思議な力”示す祭祀遺物が大量出土の「謎」
2013.8.24 07:00 (1/3ページ)[関西の議論]
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http://sankei.jp.msn.com/images/news/130824/wlf13082407000001-p1.jpg
コミカルな表情が書かれた人形代(滋賀県教委提供)

 土の中から忽然(こつぜん)と姿を現した一対の石は、国内に存在しないタイプのデザインが刻まれた短剣の「鋳型」だった-。滋賀県高島市安曇川町三尾里の上御殿遺跡で見つかった弥生時代中期-古墳時代初め(紀元前4世紀~紀元3世紀)の製作とみられる短剣の鋳型は、春秋戦国時代(紀元前770~221年)の中国北方に分布する短剣に似ていたため、青銅器文化の新たな伝来ルートを示す大発見として一躍関心を集めた。

 だが、それだけではない。この遺跡の古代の河川跡からは、人や馬をかたどりけがれを清める祭祀(さいし)具「形代(かたしろ)」が大量に出土したり、特定の人物名を7回書き連ねた甕(かめ)が見つかったりと“不思議”な力の存在がうかがえるような遺物が相次いで見つかっているのだ。研究者たちは、この遺跡周辺が古い時代から連綿と続く「水辺のパワースポットだった」とみて、今後の調査成果に熱い視線を注いでいる。

(小川勝也)

「偽物かと思った…」

 今回見つかった鋳型には、柄の先に円形の装飾が2つ並ぶ「双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣」と呼ばれる形が彫り込まれていた。これは、春秋戦国時代に中国・華北地方や内モンゴル地方で、騎馬民族が武器などとして使っていた「オルドス式短剣」に酷似していた。

 日本に銅剣文化がもたらされたルートは、朝鮮半島を経て九州北部に伝えられた、というのが定説。しかし、オルドス式短剣は日本だけでなく朝鮮半島での出土例もないことなどから、この鋳型の発見で、中国大陸から日本海を経て直接もたらされたとする新たなルートが浮上した。



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1: ストレッチプラム(京都府) 2013/08/10(土) 09:55:55.66 ID:uFUSK3HMP BE:1043910667-PLT(24130) ポイント特典

京都新聞
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森浩一氏死去 同志社大名誉教授、独自古代像示す

 日本を代表する考古学者で、幅広い視野で日本文化の基層の解明にあたり、考古学や古代史の社会的関心を高めた同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)氏が6日午後8時54分、急性心不全のため、京都市内の病院で死去した。85歳。大阪府出身。
自宅は京都市東山区本町15丁目778の18。葬儀・告別式は近親者ですませた。喪主は妻淑子(としこ)さん。後日、お別れ会を開く予定。

 17歳で大阪・和泉黄金塚古墳を発掘調査。以後、同志社大在学中を含め数多くの調査に参加した。豊富な経験と深い学識に基づき、考古学や古代史の通説を再検討。考古学と文献史学を総合した「古代学」、出土遺物だけでなく遺跡全体のありようを重視する「遺跡学」を唱え、独自の日本古代像を提示した。

 弥生時代、コメの蓄積が社会階層の分化と権力者の発生を促したとする従来のコメ中心史観に対し、海沿いの多くの古墳や銅鐸(どうたく)鋳造など高度な技術の存在を根拠に交易や水上交通、生産技術を掌握した豪族の存在を主張。古代の権力や社会へ新しい見方を示した。

 また、三角縁神獣鏡が中国・魏から倭の女王卑弥呼へ贈られたとみる説を批判し、国産説を打ち出した。遺跡保護に早くから取り組み、「いたすけ古墳」保存運動(55年)は以後のモデルとなった。

 80年代以降、地域の歴史や文化を広い視野で捉え直す「地域学」を提唱したほか、被葬者が確定できない天皇陵の名称を所在地で呼ぶことを提起。陵墓への調査について積極的に発言した。

 65~99年に同志社大で教員を務め、研究成果は広く市民にも伝えた。著書に「考古学と古代日本」「記紀の考古学」など。京都新聞では「現代のことば」「京都学事始め」などを連載した。

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http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130809000171



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~管理人の周りの声~

1.日本の技術者はホントにすごいなぁ、今度は木の年代の特定か。2000年前までって書いてあったけど、それ以上前の木の化石なんかがあれば木を見るだけでいつの時代の物なのか特定できるってことか。それはほんとにすごいなぁ。

2.これわかったからってなんかに役立つのか?ただの自己満足なんじゃないのか。木の年代が特定できたからってなんの役に立つんだろうな。ようわからんわ、こいつらの考えてることは。

3.50年経ってる木があればその年代のを特定できるってのはすごいんだろうな。この文読んでると、すごいなんか伝わってくるわ。やっと見つけたんだって感じが。

4.これで木を測定するとここにあった木やその辺に埋まってた木がどの年代のものなのか、そしてその地層も同時に知ることができそうだな、そうすると、同じ場所から見つかる化石なんかは時代を特定すんのが早くなりそうだ。

5.この人たちはこれからどこに向かって進んで行くんだろうな。この人たちがみてる未来はどんなものなのか?何を目標としているんだろうか。

~周りの声おわり~
1: 一般人φ ★ 2013/06/04(火) 23:45:23.50 ID:???

 遺跡や遺物の年代を、樹種を問わず、少量の試料で測定できる画期的な木材の年代測定法を、名古屋大大学院環境学研究科の中塚武教授(気候学)が考案した。1年単位の高精度で安く短時間に、年代測定ができるという。
論争が続く弥生や古墳時代の開始時期など、考古学や歴史学に多大な影響を与えそうだ。7月に開かれる日本文化財科学会の年次大会で発表される。【伊藤和史】

 新しい測定法は、木材の年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比が、年ごとの降水量に左右される現象を応用した。

 雨が多い年は軽い酸素同位体の比率が高くなり、少ないと重い同位体の比率が高くなる。このためセルロースには、年輪が成長する夏季の降水量の多寡の情報が1年ずつ保存されている。

 中塚教授は現代から2000年前までの木材を測定し、1年ごとの変動パターンを突き止めた。さらに、
北海道などの一部を除き、日本列島の各地域で樹種を問わず、同様の変動パターンが表れる見通しも立った。

 これにより、50年ほどの年輪が残る木材の酸素同位体比の変動パターンを測定し、データと照合すれば、ほぼ100%の確率で年代が特定できるという。

 遺跡や遺物の年代測定法としては、樹木年輪の1年ごとの幅を測る年輪年代法があるが、100年以上の年輪が必要で樹種も杉やヒノキなどに限られる。また、放射性炭素14年代法は測定費が高く、必ず誤差を伴う。

 新測定法にはそうした弱点がない。現在、3500年前までの木材を測定しデータを集める作業も進めている。

 ◇ことば:酸素同位体比
 酸素には原子核に含まれる中性子の数により、重さの異なる3種の安定同位体がある(質量数16、17、18)。
地球化学では、質量数18の数量を16の数量で割った数値を「酸素同位体比」として盛んに利用している。

.▽記事引用元 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20130603k0000e040107000c.html
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【考古】遺跡・遺物の木材の年代測定に1年単位の新測定法、確率ほぼ100%/名大の続きを読む
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