理系にゅーす

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遺跡

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1: 2016/05/28(土) 16:46:14.15 ID:CAP_USER
ギリシャ人考古学者がアリストテレスの墓を発見したと主張している

2016.05.28 Sat posted at 13:36 JST

(CNN) ギリシャ北東部にある古代都市スタギラの遺跡で、古代ギリシャの哲学者アリストテレスのものとみられる墓が発見されたことが28日までに分かった。

墓を発見したと主張しているのはギリシャ人考古学者のコンスタンティノス・シスマニディス氏。1990年からスタギラの遺跡を発掘調査し、2400年前に作られたこの墓がアリストテレスのものだと裏付ける強力な証拠を入手したとしている。

墓はギリシャ北部テッサロニキの東約64キロの地点にある。同氏はこの墓が紀元前332年に死んだアリストテレスを悼んで建てられたものだと指摘。古代都市アゴラの中心にあり、急ピッチで建設されたという。

続きはソースで

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http://www.cnn.co.jp/m/fringe/35083366.html

引用元: 【考古】アリストテレスの墓を発見か ギリシャ©2ch.net

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1: 2016/05/17(火) 03:18:12.51 ID:CAP_USER
2016/05/16 22:58(カイサリア/イスラエル)

【5月16日 AFP】イスラエル考古学庁(IAA)は16日、地中海に面する古代の港湾遺跡カイサリア(Caesarea)の沖合で1600年前に沈没した商船から発見された、銅像や貨幣を含む古代ローマ時代の希少な遺物を公開した。

 古代ローマ時代の後期に沈んだとされる船は、数週間前に偶然、2人のダイバーによって発見された。IAAによればこの船は、カイサリアの港へ入るところで嵐に遭い、巨大な船体が防波堤や岩にぶつかって「素晴らしい発見物の数々」が海中へ放り出されという。

続きはソースで

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(c)AFP

http://www.afpbb.com/articles/-/3087266?act=all

http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/a/d/-/img_ad74e9f215b97258c69b4ba3dd96c35d190425.jpg

引用元: 【考古】古代ローマの沈没船から貴重な遺物、イスラエル沖でダイバーが発見©2ch.net

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1: 2016/03/10(木) 21:29:58.54 ID:CAP_USER*.net
霧ケ峰の矢尻、北海道にも 黒曜石成分から判明
3月10日
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20160310/KT160309ATI090005000.php

 諏訪郡下諏訪町の霧ケ峰で産出した黒曜石の矢尻が、直線距離で約620キロ離れた北海道福島町にある縄文時代の「館崎(たてさき)遺跡」で出土したことが9日、分かった。青森市にある縄文時代の「三内丸山遺跡」で出土した信州産黒曜石の矢尻がこれまで最も遠くで見つかった例だったが、津軽海峡を越えて北海道に渡っていたことを示す。館崎遺跡の発掘に当たった公益財団法人北海道埋蔵文化財センターによると、本州産黒曜石の矢尻が北海道で確認されたのも初めて。

 館崎遺跡で見つかったのは縄文時代中期初頭の矢尻1個で、長さ2・2センチ、重さ0・9グラム。北海道新幹線の関連施設建設に伴う発掘調査で、2009年に盛土の中から他の土器や石器とともに出土した。三角形の一辺がくぼんだような独特の形状や、透明度の高さから長野県産とみられ、民間会社の成分分析で、霧ケ峰産と分かった。

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※画像はイメージで本文と関係ありません


引用元: 【長野】霧ケ峰の矢尻、北海道にも 黒曜石成分から判明

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1: 2016/02/25(木) 07:37:16.37 ID:CAP_USER.net
イースター島、人◯しの武器を作らなかったと新説 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064/


 ラパヌイ(イースター島の現地名)のモアイほど、世界的に有名な遺跡は数少ないだろう。
また、その石像を作り上げたポリネシア人たちの悲しい結末ほど、人類の未来への警鐘となる話も少ないだろう。

 1722年にヨーロッパ人が初めてこの島へやってくる前のこと、島の人々は不思議な巨石像を次々と作り、そのおかげで島中の森林が伐採され、資源は急速に枯渇し、残された乏しい資源をめぐって島民の間に争いが起こり、やがて完全な社会崩壊、経済崩壊へつながったのだと言われてきた。(参考記事:「謎に満ちたモアイ」)

 しかし今、島のいたるところで発見されているごくありふれた遺物が、その通説を覆そうとしている。

 1877年当時、島に住むラパヌイの末裔はわずか110人だった。ヨーロッパの民族学者たちが、イースター島の社会を崩壊させた武力闘争に関する口承を収集し始めたのがこの頃だった。
島のいたるところで出土した数千個もの石器は、武器として使われたと考えられた。黒曜石で作られた石器は、小さく細長い三角形をしており、柄がつけられた。

 元ナショナル ジオグラフィック協会付きエクスプローラーのジャレド・ダイアモンド氏は、2005年に出版した著書『文明崩壊』で、マタアと呼ばれるこれらの石器を「頻発する内乱」の遺物として紹介した。
米国の国防脅威削減局の刊行物でも、「石器時代の武器発達」の一例として挙げられている。

 ところが、新たに発表された研究報告により、マタアには実は◯傷能力はなかったとする証拠が示された。
しかも最近では、後世に語られるようになった武力闘争も実際にあったのかどうか、ラパヌイ研究者の間で対立する意見が出始めている。
島民たちは確かに森林伐採と環境破壊の影響に苦しめられたものの、文明崩壊まで至ったのは、外部の人間との接触があってから、彼らの持ち込んだ疫病と奴隷制のためであったという。

 論文の著者は、◯傷能力がないマタアを作ったのは、孤立した島社会に暮らす人々があえてそうしたのだと指摘する。
彼らは、狭い島の中で互いに◯し合いをすれば、いつか全員が死んでしまうということに、早くから気付いていたのである。(参考記事:「石器時代の大規模な「武器工場」を発掘」)

「◯傷能力はその辺の石と変わりない」 

 ナショナル ジオグラフィック協会から支援を受けている米ビンガムトン大学のカール・リポ氏率いる研究チームは、400個以上のマタアを分析し、その形状に特定の機能を示唆するような一貫した特徴があるかどうかを調べた。 
例えば、細長くとがった形なら、肉を貫き内臓を傷つけることができる。 
調べたマタアは、縦と横の長さが6~10センチ、形は実に様々で、使用目的別に分類しようにも、これらの形に共通点を見つけることができなかった。 
むしろ、様々な形をしているということは、島の日常生活のあらゆる場面で、田畑の耕作や食べ物の加工など、多目的な用途に使われていたのだろうと考える方が自然だ。 

 マタアの鋭い刃先は、物を切ったりこそげ取ったりするのには理想的だが、その重さと非対称性は、人を刺し◯すには十分でないと、リポ氏は結論付け、 
「◯傷能力はその辺の石とほとんど変わりはない」としている。 

 また、米スミソニアン自然史博物館自然人類学部門の責任者ダグラス・アウズリー氏の率いる研究チームが、イースター島で見つかった469個の人間の頭骨を調べたところ、マタアによるものと思われる切り傷の痕が見つかったのは、そのうちわずか2個だけだった。 
ほとんどの傷は、飛んできた石に当たってできたものであるという。島へやってきた西洋人は、島の人々の多くが石を投げて相手を攻撃していたことを記録に残している。 

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引用元: 【考古学】イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説 島内の争いがもとで衰退したとする従来説に異論

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1: 2016/02/23(火) 12:32:07.14 ID:CAP_USER.net
世界最古のドレス、5000年前のものと判明 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/022200011/


 20世紀初めにエジプトのある墓地で見つかった麻のドレスが、新たな分析により5000年以上前のものであることがわかった。
織物の衣服としては、これまで見つかった中で最古のものだ。縫い方もプリーツの付け方も美しく、当時の社会の繁栄を物語っている。

 「タルカン・ドレス」と呼ばれるこの衣服が発見されたのは奇跡と言っていい。植物の繊維や動物の皮で作られた古代の衣料は、ほとんどが崩れてばらばらになってしまうからだ。
今回、ドレスの年代を発表した論文著者の1人で、英国ピートリー・エジプト考古学博物館の学芸員、アリス・スティーブンソン氏は、「一般的に、遺跡から出土する織物に、2000年以上前のものはまずありません」と話す。
スティーブンソン氏らの論文は、考古学の学術誌『Antiquity』に掲載された。(参考記事:「先史人類が着た衣服、服装の起源を探る」)

 このドレスと近い年代のもので、現代まで残っている衣服は数えるほどしかなく、それも、単に体に巻き付けたり、体を緩やかに覆ったりするものばかりだ。
一方、このタルカン・ドレスは、古代のオートクチュールといえる。腕にぴったり添う袖とVネックの首元、幾重もの細かいプリーツがあしらわれたデザインは現代に通じるものがあり、もし百貨店に並んで売られていても違和感はないだろう。

 これほど細部まで手の込んだドレスは、専門の職人でなければ作れなかったはずだ。そうした職人が存在したということは、既に豊かで階層化の進んだ社会ができていたはずだ。
事実、5000年前のエジプトには、ちょうど、1人の支配者の下に初めて統一された王朝が登場していた。

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引用元: 【考古学】世界最古のドレス、5000年前のものと判明 古代エジプトのドレスは驚くほど現代的だった

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1: 2016/02/18(木) 12:27:06.76 ID:CAP_USER.net
7000年前の定住集落跡、エルサレムで初めて発見 (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160218-00000004-jij_afp-sctch

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【AFP=時事】イスラエルの考古学庁(IAA)は17日、7000年前から人間が定住する集落がエルサレム(Jerusalem)に存在していた証拠となる初の遺跡が発見されたと発表した。

 同庁によると、イスラエルに併合された東エルサレムのシュアファト(Shuafat)地区近郊の発掘調査で、金石併用時代の特徴を示す、壁と床の一部が原型を保っている家屋2棟と「複数の陶製容器、フリント石器と、玄武岩製の鉢1個」が発見されたという。
遺跡は、同地区での道路工事中に発見された。

 考古学庁先史学部門を統括するアムノン・バルジライ(Amnon Barzilai)氏によると、金石併用時代の集落跡はエルサレムの外で発見されていたが、今回のシュアファトの遺跡が見つかるまでは、エルサレム市内では「断片的な」遺物が出土していただけだったという。

「われわれは今回の発掘調査で、村落、定着した村落の遺跡を発見した」とバルジライ氏は述べた。

 考古学庁の発掘調査チームを率いたローニット・ルプー(Ronit Lupu)氏によると、金石併用時代には、人間は「まだ石器を使用していたが、高度な陶器や、銅器を初めて製作し始め」、「経済活動が行われていた、定着した集落」を形成していたという。

 死海(Dead Sea)地域と地中海(Mediterranean)沿岸を結ぶ主要経路だったエルサレムに、金石併用時代の集落があったことを示す確たる証拠が存在しないことは、研究者らの間で長年の謎とされていた。
現在のイスラエルやヨルダンの他の場所では、金石併用時代の集落が発見されていた。

 ルプー氏にとって今回の成果は、エルサレムで長年続けられてきた金石併用時代の集落探しに終わりを告げるものとなった。

「エルサレムでは長年、それは『どこかにあるのは分かっているが、決して見つからない』と考えられてきた。だがここで、われわれはそれを発見したのだ」とルプー氏は話した。【翻訳編集】 AFPBB News

引用元: 【考古学】7000年前の定住集落跡、エルサレムで初めて発見

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