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邪馬台国

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1: 2018/11/25(日) 14:00:53.29 ID:CAP_USER
 邪馬台国の時期と重なる古墳時代前期(3世紀半ば~後半)に使用されたとみられるすずり5個が福岡市早良区の西新町遺跡から出土していたことが、柳田康雄・国学院大客員教授の調査で分かった。一つの遺跡から5個確認されたのは最多。同遺跡は王都のような政治的拠点ではなく、交易拠点だったと考えられており、まとまった数のすずりは、古代社会の経済活動でも広く文字が使われた可能性を示している。

 弥生時代から古墳時代前期のすずりは、北部九州ではこれまで8個が見つかっていた。各地域の中心とみられる場所からの出土が多く、「王」などの権力者周辺による文字使用が想定されていた。西新町遺跡は中国の歴史書「魏志倭人伝」に出てくる「伊都国」と「奴国」の中間に当たり、古墳時代前期に朝鮮半島や日本各地から多数の土器がもたらされるようになり、倭の貿易港として急激に成長したと考えられている。

 5個のすずりは2007年度までの調査で発掘され、砥石(といし)などとみられていた。

続きはソースで

=2018/11/23付 西日本新聞朝刊=

■西新町遺跡の出土品から確認されたすずり
https://www.nishinippon.co.jp/import/culture/20181123/201811230001_000_m.jpg

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/467782/
ダウンロード (2)


引用元: 【邪馬台国】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か 福岡市・西新町遺跡[11/23]

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1: 2018/11/15(木) 09:23:23.82 ID:CAP_USER
弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。“マッチョ”な理由を探ってみると、古代人たちの知られざる営みが見えてきました。(福岡放送局ディレクター 佐々木健)
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_eyecatch.jpg

■上半身だけ特別に発達した弥生人!

https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_01.jpg

今回人の骨が見つかったのは、長崎県佐世保市の離島、高島にある弥生時代の宮ノ本遺跡です。発掘に立ち会った人類学者の海部陽介さんは、初めて見たとき、驚きを隠せなかったといいます。

一般的な弥生人の骨と比べ、異常に太く、しかも、上腕骨や鎖骨など上半身の骨が特別に発達した不思議な体型です。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_03.jpg

■九州西北部の島からも
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_04.jpg

一般的な弥生人の男性の平均身長が推定162.6センチで、ヒョロッとしていたのに対し、高島の弥生人は、それより4センチほど低いものの、筋骨隆々で、胸や腕、首などが異常に発達していたことがわかりました。

しかもその体重は、推定でなんと77.2キロ!身長170センチ体重59キロの私よりも、実に18キロ重いのです。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_05.jpg

詳しく調べると、こうしたマッチョ体型の弥生人の人骨は、高島以外にも、長崎県の平戸や五島、そして熊本県の天草など、九州西北部の複数の島から見つかっていたことがわかりました。

■CTスキャンで分析すると

どうしてそんなマッチョ体型になったのか。海部さんは、筑波大学でスポーツ科学を研究する足立和隆准教授に骨の詳細な分析を依頼しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_08.jpg

左側が、現代人の男性、右側が高島のマッチョな弥生人の上腕骨の断面図です。現代人の上腕骨の断面が丸っぽいのに対し、高島の弥生人の骨には、三角にとがったところがあるのが分かります。足立准教授は、この突起が、腕や肩を動かす三角筋によって、上腕骨が強く引っ張られていた証拠だといいます。強い負荷がかかると三角筋が太くなり、それに耐えられるように骨と接続している部分も太く変形します。

こうした突起が周囲3方向にできていたことから、腕をあらゆる方向に回したり引っ張ったりする動作を激しく繰り返していたのではないか。

足立准教授は、彼らが“舟のこぎ手”だったと推測しています。

■マッチョな弥生人が運んでいたのは?

「この集団は、“貝の交易”をやっていた、つまり貝の運び屋だったんじゃないか」(海部さん)

“貝の交易”とは何かを知るために、福岡県飯塚市にある飯塚市歴史資料館を訪ねました。ここには、弥生時代の遺跡から発掘されたものが展示されています。

銅鏡や祭器などの宝物が数多く並ぶ中、ひときわ目立っていたのが白い腕輪です。「貝輪」と呼ばれる装飾品で、当時の権力者が身につけていたとされています。この貝輪、弥生文化が花開いた佐賀や福岡など九州北部の各地で出土しています。

使われているのは「ゴホウラ」という巻き貝。九州近海ではなく、沖縄や奄美大島など南の海だけに生息しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_img_11.jpg

1000km以上の距離を、誰がどうやって運んできたのか、これまで大きな謎でした。

続きはソースで

NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1114.html
ダウンロード (4)


引用元: 【古代】“マッチョ”な弥生人 その正体は!?上半身だけ特別に発達した弥生人!の人骨が発掘された[11/14]

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1: 2018/08/04(土) 14:33:56.88 ID:CAP_USER
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135~230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明~248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。

 同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135~230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。

纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。

続きはソースで

https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg



産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
ダウンロード (2)


引用元: 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135~230年のものと判明 奈良・桜井市

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1: 2018/05/25(金) 04:52:02.00 ID:CAP_USER
いや~、驚きましたよ。グーグルアースで地元の地形を調べていると偶然、前方後円墳のような巨大な丘を発見したんです。これは明らかに人工物で、墓に違いないと思いました。
しかも計測してみると、後円部の直径は150mもある。これだけ巨大な墓を作れる古代の権力者は、そうそういません。
土地の所有者に話を聞くと、もともとは森だった場所ですが、昔から山神様が住む神聖な土地として崇められていた。
祭祀用と思われる土器も、たくさん出土しているそうです」

 こう語るのは、福岡県田川郡に住み地元の歴史研究会に所属する男性だ。

 情報を得た本誌がドローンを飛ばし撮影すると、確かに前方後円墳のようなモノが写っている(左上の写真の点線内部分)。
この古墳が、「邪馬台国」の女王・卑弥呼の墓の可能性が高いというのだ――。

 邪馬台国は3世紀に存在した国内最大規模の王国で、卑弥呼が統治したとされる。
場所については畿内説と九州説がある。前出の男性の話を聞きつけ田川で調査を始めた、『
真実の仁徳天皇 倭歌が解き明かす古代史』などの著書がある福永晋三氏は、九州説の優位性を説く。

「中国の正史『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は直径百歩余(約150m)という記述がありますが、田川の古墳はそれと一致する。

続きはソースで

画像:福岡県田川郡にある前方後円墳らしき丘。全長は450mほど。
九州には古代の巨大な墓が見つかっておらず、古墳とすれば九州説の有力な根拠になる
https://amd.c.yimg.jp/im_siggJTwgqYa55B2EMgmYYzp..g---x400-y232-q90-exp3h-pril/amd/20180523-00010000-friday-000-1-view.jpg

Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180523-00010000-friday-soci
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引用元: 【話題】ドローンを飛ばしてみたら「卑弥呼の墓」を見つけたよ[05/23]

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1: 2018/05/14(月) 22:02:41.66 ID:CAP_USER
邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった大量の桃の種の年代を測定した結果、女王・卑弥呼の時代と重なることがわかりました。邪馬台国の謎に迫る新たな資料として注目されます。

纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての大規模な集落跡で、邪馬台国があった場所の有力な候補の1つとされています。

遺跡では、8年前、卑弥呼の宮殿跡との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばで、桃の種が2000個以上見つかりました。

続きはソースで

関連ソース画像
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/e/4/e4e19_1509_bbb0e83d_2ee86e0b.jpg

NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180514/k10011438091000.html
ダウンロード (2)


引用元: 【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]

奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料の続きを読む

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1: 2015/07/09(木) 04:19:03.27 ID:???*.net
2015年7月 8日 06:00

道路建設予定地にある古墳の存続をめぐって静岡県沼津市が揺れている。

2008年に市内で発掘された「高尾山遺跡」は、3世紀前半に築造された大型前方後方墳だ。
出土した埋葬品などから、ヤマト政権と主従関係にある「古代スルガの王の墓」ではないかと見られる。
日本考古学協会や保存を願う住民は保存を求めているが、市は都市計画通り道路建設を進める方針だ。
市議会は取り壊し費用を含む補正予算案を2015年6月30日に可決している。
今のところ古墳は完全破壊を免れている。
しかし、予算が執行されれば全面発掘調査を名目に墳丘全体が削り取られ、その跡に道路が整備される。

■古墳発掘のきっかけとなった道路建設
これほど貴重な遺跡が未発見だったのはなぜか。
古墳の上に熊野神社と高尾山穂見神社の2社が鎮座していたからだ。
地元では「この小山の下に古墳がある」と言い伝えられていたという。
都市計画で神社の敷地は道路予定地とされ、2008年に神社は隣接地に移転する。跡地の小山を調査したところ、古墳が見つかった。

古墳の規模は墳丘長62.18メートル、高さ約5メートル。
築造年代は邪馬台国の卑弥呼と同じ古墳時代最初期で、当時の東日本では最大級だ。

続きはソースで

images (1)


http://j-town.net/shizuoka/column/gotochicolumn/208387.html
★1が立った時間2015/07/08(水) 08:25:42.59
前スレ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1436311542/

引用元: 【文化】東日本最古の古墳が壊される!? 卑弥呼と同時代...道路は本当に必要か★2

東日本最古の古墳が壊される!? 卑弥呼と同時代...道路は本当に必要かの続きを読む
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