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1: 2024/06/08(土) 04:46:23.47
島左近=大阪城天守閣蔵
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240606-00050065-yom-000-23-view.jpg

 戦国武将・石田三成の重臣・島左近のものと伝わる墓の発掘調査が5日、京都市上京区の教法院(きょうぼういん)で行われ、ほぼ全身の骨が見つかった。左近の骨かどうかは不明だが、今後、骨の年代などを調べるという。

 左近は「治部少(三成)に過ぎたる(もったいない)ものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と評されるほど有能な家臣だった。関ヶ原の戦い(1600年)で討ち死にしたとされるが、生き延びたとの説もあり、墓が左近の出身地とされる奈良県など各地にある。

 教法院の墓には、左近が土葬されたと伝わる。墓碑と過去帳には、左近が1632年(寛永9年)に没したと記されている。

 調査は、墓石の修復と建屋の新設に伴い、京都市文化財保護課や京都芸術大の石神裕之教授(近世考古学)らが実施。読経後に墓石があった場所を約20センチ掘ったところ、甕(かめ)式の棺(直径45センチ)が見つかり、中に頭や顎、骨盤などの成人とみられる骨が入っていた。

 調査に立ち会った歴史学者の磯田道史さんは「左近は民衆や敵方からも崇敬を集めた武将だった。本人の骨かはわからないが、研究が進むのを楽しみにしている」と期待した。

 教法院の三木天道住職(53)は「今後、専門家と協力して骨の調査を進め、実像に近づければ。墓所は整備後に改めて公開したい」と話している。

6/6(木) 12:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/577541bd265bbb5c3e6182b799bc1fb32831b538
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240606-00050065-yom-001-23-view.jpg

戦国武将、石田三成の腹心で、慶長5(1600)年の関ケ原の戦いでの勇猛な戦いぶりが伝わる島左近の墓の発掘調査が5日、立本寺(京都市上京区)の塔頭(たっちゅう)、教法院(きょうぼういん)で行われた。関ケ原で島は討ち死にしたとされる一方、遺体は見つからず、合戦後の消息については生存説を含めて複数の説があった。この日の調査では複数の人骨が見つかり、三木天道住職は「骨はないと思い寂しい気持ちだったが、(骨が見つかり)ありがたい話だ」。今後、さらなる実態解明を進める。

三木住職によると、島の墓所は全国に5カ所ほどあるというが、教法院の墓石には唯一「土葬」との文字が刻まれている。教法院には島の墓牌と過去帳などが残されており、それによると島は関ケ原の戦いから32年後の寛永9(1632)年に亡くなっていた。また三木住職は、関ケ原の戦いの後も島が京都で生存していたなどの証言があることも強調した。

発掘調査は島の墓石の修復や建屋の建立に伴い実施された。この日、調査に先立って墓前で三木住職が読経する中、関係者が手を合わせた。その後、協力した京都芸術大の石神裕之教授(近世考古学)らがスコップで土を掘り、慎重に作業を進めた。地表から約20センチ掘り進めた場所で壺が見つかり、中から頭蓋骨や骨盤などが見つかった。骨は状況から18歳以上の成人とみられる。石神教授は「(骨は)大変いい状態で残っている」と話した。

「治部少(石田三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近に 佐和山の城」と評価されるほどの武将だった島。だが関係史料は少なく、その実像には謎が多い。教法院や関係機関は引き続き調査を進め、島の生存伝説の解明を目指す。(森天音)

6/5(水) 18:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9358ea5ed8ecc9e6dfa02d1180c57cbe6642c1f6
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240605-00000166-san-000-5-view.jpg

4: 2024/06/08(土) 04:50:46.53
生きてたら再雇用されそうだけど

312: 2024/06/08(土) 14:28:33.79
>>4
西軍の生き残りで再雇用されたって人いんの?

456: 2024/06/08(土) 16:51:15.21
>>312
丹羽長重とか石高少ないけど国主大名として復帰したような

5: 2024/06/08(土) 04:51:28.95
左近の墓ってたくさんあるからなぁ

10: 2024/06/08(土) 04:53:42.17
京都で潜伏は無理やろ
顔バレするは

71: 2024/06/08(土) 07:05:45.79
>>10
京都の山奥の竹林とか聞いたぞ。

16: 2024/06/08(土) 05:07:17.99
もし関ヶ原を生き延びても
この時代は殿が死刑なら家臣は切腹だろう

24: 2024/06/08(土) 05:28:19.74
薩摩とかに落ち延びずに、衆人の目につき易そうな京都に居たのか
意外

28: 2024/06/08(土) 05:38:15.13
京都で生存って無理っぽいけどな
出家でもしたとか?

31: 2024/06/08(土) 05:42:03.64
たった20cm掘っただけの所に埋めるか?
戦国時代から20cmぽっちの土が雨風に流れもせず暴かれもしなかったのか?
どうも胡散臭いな

33: 2024/06/08(土) 05:47:47.60
>>31
継続してる寺院の墓地なんだから管理されてたに決まってるだろう

36: 2024/06/08(土) 05:59:02.14
直径45cmの瓶に土葬か。
島左近て人物は小さかったんだね。

44: 2024/06/08(土) 06:12:14.34
もし生きてて1632年に死んでたとすると大阪の陣に出て来そうなのに出てない辺り偽物だろうな。

144: 2024/06/08(土) 09:03:19.82
>>44
幽閉されてたんじゃねーの

46: 2024/06/08(土) 06:16:00.37
「〇〇には過ぎたるものが二つあり」って言うの、戦国時代に流行ってたのか?

52: 2024/06/08(土) 06:23:35.90
>>46
結婚式のスピーチで
「3つの坂がありまして」ってのと同じ

51: 2024/06/08(土) 06:23:19.83
武士道なのにおめおめ生きてたのか

60: 2024/06/08(土) 06:34:35.79
関ヶ原後じゃ石田三成の腹心してて生きていられないだろ
それはそうとよく分からん人よな

61: 2024/06/08(土) 06:34:37.74
これは面白いな

63: 2024/06/08(土) 06:38:06.89
西軍について改易されたのに領地増加で大名に復帰した新庄直頼という謎人物名

101: 2024/06/08(土) 07:39:23.80
まあ、当時の有名武将だから誰かが討ち取ったなら当然恩賞目当てに首を持ってきたはずなので、落ち延びて潜伏したまま死んでても別に不思議ではないな

115: 2024/06/08(土) 07:55:24.59
むしろ関ヶ原で死んだことになってたことにびっくり

121: 2024/06/08(土) 08:06:25.82
生きてたなら大坂の陣に出てほしかった
それでも他の有能浪人衆同様、重用されず意見が通らなかったかもしれんが

133: 2024/06/08(土) 08:41:13.59
そもそも島左近は関ヶ原じゃなくて関ヶ原の前哨戦で重傷負って
関ヶ原の本戦には参戦してなかったのがこれまでの史実とされてた気がするけど

元々結構いい年だったはずだから関ヶ原後まで生きたとしても
そんな長くはないだろうし大発見!みたいな話とは違う気がする

136: 2024/06/08(土) 08:43:30.40
島 左近 生誕 天文9年5月5日(1540年6月9日)

>教法院の墓には、左近が土葬されたと伝わる。墓碑と過去帳には、左近が1632年(寛永9年)に没したと記されている。

普通に92歳まで生きるって考えられんな

140: 2024/06/08(土) 08:52:06.12
>>136
大多数が子供で死ぬから平均はめちゃ下がるがご長寿は当時もそれなりにいて
関ヶ原関係者だと真田幸村の兄とか宇喜多秀家あたりは現代人並に長生きしてる

237: 2024/06/08(土) 13:37:43.00
>>140
今大河でやってる平安時代でも道長の嫁さんとその母親に娘と三代現代人でも長寿の部類だもんな

162: 2024/06/08(土) 09:46:42.28
身長何センチくらいなんだろう
たぶんわかるよね

164: 2024/06/08(土) 09:51:23.60
まあ、骨がほぼ揃ってるんだから死亡年齢は確実に推定できるな
中年以下の骨だったら偽物ということでw

191: 2024/06/08(土) 11:32:33.87
まあ最後の大名候補4人(林忠崇、分部光謙、徳川家達、浅野長勲)の中では1番家が小さかったからね。

200: 2024/06/08(土) 11:51:30.78
あったとしても落ち延びた石田家の家臣てだけだろ
で石田家の家臣と言えば島左近って周囲が勝手に話を膨らませたってとこだろう

逆に落ち延びたなんて武将にとっては不名誉でしかなかろう

430: 2024/06/08(土) 16:19:06.87
信長の遺体も見つかってないってありえない。おかしい

435: 2024/06/08(土) 16:24:41.89
>>430
爆死だからな
本能寺は火薬商人で大量の火薬持ってた
それに引火してしまえば遺体なんて残らんだろ

ちなみに本能寺が火薬商人なのは種子島氏の菩提寺だった関係からで種子島氏は鉄砲伝来の後は火薬ビジネスやっていたため本州での
代理店として本能寺が機能していた

442: 2024/06/08(土) 16:34:46.88
>>435
ぐぬぬ……俺のノッブ生きていた説が……

447: 2024/06/08(土) 16:40:05.09
>>442
助かりようがない
信長の直属軍の数千いる馬回り衆は洛内で分散していて本能寺で護衛してなかった完全無防備状態だったしかも近くに信忠までいたと

この故事から家康秀忠家光は上洛する時はからなず数万の武装兵連れていった
家光が30万連れて行きましたってのも大げさじゃない

引用元 : 【京都】石田三成の腹心、関ケ原後も生存? 名将・島左近の墓から全身の骨発掘、今後年代など調査 三木住職「実像に近づければ」 [樽悶★]