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ハンニバル

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1: 2017/12/24(日) 03:59:59.68 ID:CAP_USER
類の歴史は、言ってみれば「失敗の歴史」だ。たった一つの選択の誤りが、国や民族の行く末、さらには世界の運命を変えてしまったことさえある。歴史上、少なからぬ人々が、二者択一の選択問題を間違えてしまった。
それらの判断の多くは、そのときには「一番良い考え」に思えたものばかりである。

 ナショナル ジオグラフィックの書籍『失敗だらけの人類史』は、そのような歴史的な「失敗」の数々を取り上げ、何を間違ったのか、その結果どうなったのかを解説する本だ。
ここでは同書から、「象でアルプスを越えた英雄」として有名な名将ハンニバルの物語を紹介したい。
傲慢さと性急さから判断を誤り、ローマ征服という野望を達成できなかった人物である。

〈ローマとの戦い〉

 ハンニバルは紀元前247年、ローマによる征服の危機に瀕していたカルタゴ(現在のチュニジアの首都、チュニスの近く)で生まれた。
偉大な交易国にして海洋国家だったローマは、海上でカルタゴ人と渡り合う戦法を編み出し、カルタゴ領だったシチリア、コルシカ、サルディニアの各島を手中に収めていた。

 10歳になったハンニバルはカルタゴの将軍である父ハミルカルに連れられスペインのカルタゴ領に渡る。
そこでハミルカル将軍は、現在のカルタヘナを含む新しい領土を次々に獲得。スペインで成長したハンニバルは、イベリア人の王女と結婚した。

 ハミルカルの死後しばらくして、ハンニバルは22歳の若さでスペインにおけるカルタゴ軍の司令官に選出された。
そして大胆にもスペイン西部の都市サマランカを攻め、これを占領。
次いで、イベリア半島をすばやく横断してローマの主要都市の一つサグントゥムを包囲、陥落させる。
これを受け、ローマはカルタゴに宣戦布告、第二次ポエニ戦争が始まった。

続きはソースで

図:アルプス山脈を越えるハンニバル軍を描いた19世紀の木版画
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/121100020/121100001/01_m.jpg?__scale=w:450,h:519&_sh=0300df0c90

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/121100020/121100001/
ダウンロード (8)


引用元: 【歴史学】〈名軍師〉残念な英雄ハンニバル、「象でアルプス越え」の失策度

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1: 2016/04/07(木) 00:09:24.96 ID:CAP_USER*.net
ハンニバルのアルプス越え、軍馬の「ふん」でルート判明か
http://www.cnn.co.jp/fringe/35080760.html

(CNN) 紀元前218年、カルタゴの将軍ハンニバルが共和政ローマを北から攻めるため、大軍を引き連れて決行したアルプス越え――。
軍事史上最大級の成功を収めたとされるこの作戦だが、実際にカルタゴ軍がどのようなルートを通って山脈を越えたのかは歴史家の間でも意見が分かれてきた。

こうしたなか、英国などの研究者の主導する調査チームが作戦に参加した軍馬のものとみられるふんの分析によって正確なルートを割り出したと発表し、注目を集めている。

調査に携わった北アイルランドのクイーンズ大学ベルファストの微生物学者、クリス・アレン氏は、このほどインターネット上に研究結果を公開。
現在のフランスとイタリアの国境に位置するトラベルセッテ峠付近で「動物(おそらくは馬)の大便に由来するとみられる堆積(たいせき)物の塊を発見した」と述べた。
調査チームは炭素同位体分析を行い、この塊が紀元前2世紀ごろのものだと断定したという。

アレン氏は便の中に寄生虫の卵が残っている可能性に言及し、「遺伝子レベルでより多くの情報を得られれば、古代に生きたこれらの動物の出身地域なども正確に判別できるだろう」と指摘。

続きはソースで

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CNN:2016.04.06 Wed posted at 18:54 JST  

引用元: 【歴史】ハンニバルのアルプス越えルート 軍馬の「ふん」で判明か [CNN]

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