1: 2015/07/31(金) 18:21:27.13 ID:???.net
マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/
画像
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/ph_thumb.jpg
マヤ文明のエル・アチオタル遺跡で発見された石碑の断片には、地方を統治する王アハウの顔が描かれている。(Photograph by Luke-Auld Thomas)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/02.jpg
石碑の断片は神殿の内部に安置され、数世代にわたって崇められていた。(Photograph by Luke-Auld Thomas)
中米グアテマラにあるマヤ文明の遺跡で、時代区分の違う石碑が発見された。これにより1500年前、マヤ文明の絶頂期に一帯で覇権を争っていた二大勢力の新事実が明らかになり、研究者たちを驚かせている。
グアテマラのペテン地方西部にあるエル・アチオタル遺跡で発見されたこの石碑の断片には「アハウ」と呼ばれる王(地方を治めた)が描かれている。アハウを任命したのは、遠く離れた古代都市テオティワカン(現在のメキシコ市辺り)からやってきた戦士、シヤフ・カック(「火の誕生」の意)だ。シヤフ・カック率いる軍勢は378年にマヤ低地に現れると、都市国家ティカルを支配下に置き、マヤ全土に新たな政治体制を敷いた。(参考記事:「新説 マヤ文明」シヤフ・カックがやって来た時代)
米テュレーン大学中米研究所のマルセロ・カヌート氏らは先日、グアテマラ市で記者会見を開き、この石碑の発見について報告した。
予想外の大発見
石碑の断片を発見したのは、ナショナル ジオグラフィック協会が支援する「ヤング・エクスプローラー」のひとりで、テュレーン大学院生のルーク・オールド=トーマス氏。彼はエル・アチオタル遺跡で、ペテン地方にマヤの都市国家が現れ始めたころの古い建造物を調べていた。
先古典期中期から後期(紀元前800〜紀元250年)のものだ。
「私たちは階段を探すために、いくつか穴を掘っていました。そのとき作業員のひとりが、石碑のようなものを見つけたと言ってきたのです」とオールド=トーマス氏は言う。それはマヤが最も繁栄した古典期(250〜900年)に特有の、彫刻の施された石碑であった。
「穴の中を覗いてみると、こちらをまっすぐに見つめる王の顔がありました。古代マヤ人は、王の顔が入り口に向くよう慎重に配置したのです」
もともと先古典期後期(紀元前400〜紀元250年)の遺跡だとされていたエル・アチオタルで「石碑が見つかるとは思ってもみませんでした」とカヌート氏は言う。(参考記事:【連載】マヤ文明と終末論の真実)
続きはソースで
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/
画像
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/ph_thumb.jpg
マヤ文明のエル・アチオタル遺跡で発見された石碑の断片には、地方を統治する王アハウの顔が描かれている。(Photograph by Luke-Auld Thomas)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/02.jpg
石碑の断片は神殿の内部に安置され、数世代にわたって崇められていた。(Photograph by Luke-Auld Thomas)
中米グアテマラにあるマヤ文明の遺跡で、時代区分の違う石碑が発見された。これにより1500年前、マヤ文明の絶頂期に一帯で覇権を争っていた二大勢力の新事実が明らかになり、研究者たちを驚かせている。
グアテマラのペテン地方西部にあるエル・アチオタル遺跡で発見されたこの石碑の断片には「アハウ」と呼ばれる王(地方を治めた)が描かれている。アハウを任命したのは、遠く離れた古代都市テオティワカン(現在のメキシコ市辺り)からやってきた戦士、シヤフ・カック(「火の誕生」の意)だ。シヤフ・カック率いる軍勢は378年にマヤ低地に現れると、都市国家ティカルを支配下に置き、マヤ全土に新たな政治体制を敷いた。(参考記事:「新説 マヤ文明」シヤフ・カックがやって来た時代)
米テュレーン大学中米研究所のマルセロ・カヌート氏らは先日、グアテマラ市で記者会見を開き、この石碑の発見について報告した。
予想外の大発見
石碑の断片を発見したのは、ナショナル ジオグラフィック協会が支援する「ヤング・エクスプローラー」のひとりで、テュレーン大学院生のルーク・オールド=トーマス氏。彼はエル・アチオタル遺跡で、ペテン地方にマヤの都市国家が現れ始めたころの古い建造物を調べていた。
先古典期中期から後期(紀元前800〜紀元250年)のものだ。
「私たちは階段を探すために、いくつか穴を掘っていました。そのとき作業員のひとりが、石碑のようなものを見つけたと言ってきたのです」とオールド=トーマス氏は言う。それはマヤが最も繁栄した古典期(250〜900年)に特有の、彫刻の施された石碑であった。
「穴の中を覗いてみると、こちらをまっすぐに見つめる王の顔がありました。古代マヤ人は、王の顔が入り口に向くよう慎重に配置したのです」
もともと先古典期後期(紀元前400〜紀元250年)の遺跡だとされていたエル・アチオタルで「石碑が見つかるとは思ってもみませんでした」とカヌート氏は言う。(参考記事:【連載】マヤ文明と終末論の真実)
続きはソースで
引用元: ・【考古学】マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る マヤ文明の二大勢力に翻弄された都市
マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る マヤ文明の二大勢力に翻弄された都市の続きを読む