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ヨルダン

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1: 2018/07/18(水) 18:02:03.94 ID:CAP_USER
ヨルダンでおよそ14,400年前のパンのかけらが見つかった。人類が農耕を始める4,000年も前の話だ。
いままで発見されたパンとしては世界最古なうえに、
人類は農耕文化を築き上げる前からすでにパンを食べていたことを裏付ける貴重な手がかりとなりそうだ。

ヨルダンの首都アンマンから北東の方角に130キロメートルほど離れたShubayqa 1遺跡。
そのかまどの底で発見された24片のパンはいずれも数ミリにしか満たないかけらばかりで、焦げて炭のようになっていた。
それらを強力な電子顕微鏡で調べた結果、
今でも中東やインドなどで食べられている平たい円形のパンの一部だったことが判明したそうだ。

Shubayqa 1遺跡にはナトゥフ文化と総称される狩猟採集民が暮らしていたことがわかっており、
パンが作られた時代にまだ農耕は始まっていなかった。このことから、
Shubayqa 1に住んでいた中石器時代人はおそらく野生の穀物類を採取し、脱穀してから粉を挽き、
それに水分をくわえてこねてからかまどで焼いていたと考えられる。

品種改良が重ねられた現代のパンコムギに比べたら、その祖先であるヒトツブコムギ、
カラスムギやオオムギの作物近縁野生種(crop wild relative)は穂が短く、粒も小さくて実りが少なかった。
それを野山で摘み取ってふるいにかけ、粉にしてからパンを作る一連の作業は、
おそらく現代の常識で考えたら恐ろしく手間がかかったに違いない。

これだけの手間をかけてでもパンを作りたかった背景には、おいしさや食べやすさはもちろんのこと、
なにか特別な食べ物として重宝されていた可能性が高いという。

続きはソースで

https://dps68n6fg4q1p.cloudfront.net/wp-content/uploads/2018/07/17155122/1800x1505_oldestbread_microscopy.jpg
■パンが見つかったかまどの跡
https://dps68n6fg4q1p.cloudfront.net/wp-content/uploads/2018/07/17155016/1500x998_oldestbread_hearth.jpg
https://dps68n6fg4q1p.cloudfront.net/wp-content/uploads/2018/07/17165627/1280x851_oldestbread_bread.jpg

https://www.discoverychannel.jp/0000028391/
ダウンロード


引用元: 【考古学】〈画像〉ヨルダンの遺跡から世界最古のパン発見、農耕が始まる4千年も前から人類はパン好きだった[07/18]

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1: 2018/03/19(月) 10:53:39.77 ID:CAP_USER
 京都大学大学院農学研究科の宇波耕一准教授とムタ大学農学部(ヨルダン)のOsama Mohawesh教授による国際研究チームは、ヨルダンの乾燥地域において、洪水を灌漑用水に変えるシステムを試験的に設置し、運用を開始した。

 中東や北アフリカをはじめとした世界の乾燥地域においては、外来河川や化石地下水へ依存しすぎており、塩類集積といった問題も顕在化している。一方で、突発的洪水による被害が拡大している現実もあり、これらの問題に対処するための灌漑システムが求められていた。

 今回、同チームは砂漠の洪水を収集して貯水池に蓄え、その水を灌漑用水へと変換するシステムを提案し、さらにそのプロトタイプを実際にヨルダンの乾燥地域に構築した。
日本のため池などの小規模貯水池では、経験値にもとづいてルールカーブ(取水制限を行う管理目標水位)が設定されていることが多い。

続きはソースで

論文情報:【Stochastic Environmental Research and Risk Assessment】
A unique value function for an optimal control problem of irrigation water intake from a reservoir harvesting flash floods
https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00477-018-1527-z

大学ジャーナル
http://univ-journal.jp/19815/
ダウンロード (1)


引用元: 【治水】京都大学、砂漠の洪水を灌漑用水へと変えるシステムを世界で初めて適用[03/17]

【治水】京都大学、砂漠の洪水を灌漑用水へと変えるシステムを世界で初めて適用の続きを読む

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1: 2017/12/23(土) 10:37:56.79 ID:CAP_USER
〈世界最古の町とも言われる古代エリコ、エジプト文明と強いつながり〉

ヨルダン川西岸、現代のエルサレムから北東へ約20キロ離れた場所にあるテル・エッ・スルタン遺跡は、古代エリコの町があった場所だ。旧約聖書に登場するエリコは、外敵の攻撃を受けて城壁が崩れ去るはるか以前から、豊かで交易の盛んな町だった。

 この遺跡で1997年から発掘調査を行っているイタリアとパレスチナの共同チームが、5000年前の住居跡から驚くべき発見をした。
ナイル川でなければとれない真珠貝の殻が、5枚重なった状態で出土したのだ。

 そのうち2枚の貝殻に残されていた黒い粉末は、分析の結果、酸化マンガンであることがわかった。
これはコールと呼ばれる化粧品の主成分で、古代の人々はアイライナーとして使っていた。
 研究者は、この粉末がシナイ半島から運ばれたのではないかと考えている。
そこでは、かつて古代エジプト人が採掘していたマンガン鉱山が見つかっている。

「紀元前3000年には、既に古代パレスチナの都市とエジプトの間に盛んな交易があったことを示す発見です」。
ローマにあるサピエンザ大学の考古学者で発掘責任者のロレンゾ・ニグロ氏はそう語る。
「また、この頃エリコに上流階級が台頭し始めていたことも示しています」

早くから栄えたオアシスの町
 エリコの町は、現在のヨルダン川西岸地区に位置し、豊かな湧き水の周りに発展した。
紀元前1万500年には人々がこのオアシスに集まるようになり、やがて定住し、農作物を育て、家畜を飼うようになった。

 紀元前3000年の初めには町の周囲に城壁が築かれ、支配者の城が建てられた。
町の最も大切な資源である水は絶えず湧き出し、そのおかげで町は繁栄し、諸外国と贅沢な品を取引するようになった。

 最近の発掘調査では他にも、エジプトの中王国時代にあたる紀元前1800年頃の墓が発見された。
例の化粧品の年代よりも1000年以上後のものだが、エリコとエジプトの関係がこの頃も続いていたことを示す副葬品が見つかっている。

その前の発掘調査では、宮殿の壁に囲まれた区域で、王族のものと思われる墓が複数見つかっていたが、今回の墓はそれらとは明らかに異なる。
発見場所は宮殿の真下で、特別な地位にいた人物の墓と考えられている。

 墓からは、2人分の遺骨が見つかった。1人は9歳か10歳の少女で、宝飾品で飾られていた。もう1人は成人女性で、少女の侍女だったと思われる。他に、生贄にされた若いガゼルとヤギの骨、土器6個も出土した。

続きはソースで

画像:3800年前の墓から、身分の高い少女の遺骨が見つかった。
少女は青銅の宝飾品で飾られており、古代エジプトとの関係をうかがわせる副葬品もある。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/122100067/00.jpg?__scale=w:500,h:556&_sh=0b804607f0

画像:少女の胸に置かれていたエジプトのスカラベ(甲虫の形をした装飾品)。
身をかがめたライオンと丘から昇る太陽が彫られている。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/122100067/ph_thumb.jpg?__scale=w:500,h:373&_sh=08e0bc0390

画像:少女の墓から発見された青銅の宝飾品やビーズの首飾り。
写真左にある磨かれた壺には、香水が入っていたと思われる。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/122100067/ph_03.jpg?__scale=w:500,h:307&_sh=0290b00570

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/122100067/
images


引用元: 【考古学】〈画像あり〉5千年前の高貴な少女の化粧品が出土、パレスチナ

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1: 2017/06/01(木) 04:34:31.56 ID:CAP_USER9
古代エジプト人のミイラからDNAを採集し、ゲノム解析を試みたところ、古代人は中東のイスラエルやヨルダン人に近く、現代人とは遺伝的系統が異なることが判明した。
英科学誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』に30日付で公表された。

ドイツの学術機関マックス・プランク人類史科学研究所とテュービンゲン大学の共同チームは、ナイル川河口付近で発掘された、紀元前1380年(古代エジプト時代)から西暦425年(古代ローマ時代)にかけて埋葬された151体のミイラからDNAを採集。
うち90体からは母親からの遺伝情報を示すミトコンドリアDNA、3体からは両親の遺伝情報がわかる核DNAが回収できた。

続きはソースで

■写真
ナイル川の河口Abusir el-Meleqで発掘された石棺のミイラ
http://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/0/4/20429/141660.jpg
ミイラが発掘されたAbusir-el Meleq(オレンジ色のX印)と、現代のエジプト人のDNAが最終された場所(オレンジの○印)を示した地図
http://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/0/4/20429/141659_web.jpg
古代エジプトのミイラからDNAを採集する作業のようす
http://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/0/4/20429/141658_web.jpg

http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/0/20429.html
ダウンロード


引用元: 【世界初・ミイラのゲノム解析】古代エジプト人は中東のイスラエルやヨルダン人に近く、現代人とは遺伝的系統が異なることが判明 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2015/05/02(土) 08:59:44.78 ID:???.net
時事ドットコム:死海が「死の危機」=水位低下、沿岸に陥没孔-観光産業にも影響か
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201505/2015050100548&g=int

画像
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/20150501ax08.jpg
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0150501at31_p.jpg
イスラエルの死海沿岸の町エン・ゲディに出現したシンクホール=2015年(エリ・ラッツ氏提供)
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0150501at32_p.jpg
死海で浮かぶ観光客ら=4月28日、イスラエルのエン・ゲディ


 【エルサレム時事】世界で最も低い場所にあり、観光地としても有名な死海が「死の危機」に直面している。水位低下による消滅の懸念に加え、近年では沿岸に「シンクホール(陥没孔)」と呼ばれる穴が多数出現。地元住民らは対応策に頭を悩ませている。

 海抜約マイナス430メートルに位置する死海は、イスラエル、ヨルダン川西岸地区、ヨルダンに囲まれた塩湖。北から流れるヨルダン川が主な水源だ。そのヨルダン川からイスラエルや近隣諸国が大量取水していることなどが原因で、死海は2050年までに干上がると言われてきた。

 これに加えて最近では、急増するシンクホールが人々の頭痛の種となっている。死海周辺では1980年代に初めて発見され、今では約5000個に上るとみられている。

 イスラエルの地質学者エリ・ラッツ氏は「シンクホールは死海の水位低下と関係している」と指摘する。水面の低下に伴い、地下水が地中の塩の層と接触。塩が溶けて地中に空洞が形成され、地表が何かの弾みで崩れると、大きな穴が突然出現するメカニズムという。

続きはソースで

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(2015/05/01-17:44)

引用元: 【環境】死海が「死の危機」=水位低下、沿岸に陥没孔-観光産業にも影響か

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