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国宝

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1: 2019/01/02(水) 11:01:36.07 ID:CAP_USER
約2千年前に中国から伝わり、福岡市東区の志賀島で見つかったとされる国宝の金印「漢委奴国王」を実際に作ることで、謎に満ちた当時の製法を解き明かす試みを、地元の研究者らが進めている。10月中旬に同市で開催予定のシンポジウムで、最新の研究成果とともに報告する。

 金印は江戸時代後期の1784年、志賀島で作業中の農民が見つけたとされる。印面は2・3センチ四方で、重さ約100グラム。中国の歴史書「後漢書」に記されている、紀元57年に後漢の光武帝が倭(日本)の奴国からの使者に授けた印と同じだとする説が有力だ。

 製作に取り組むのは、鋳造や考古学の専門家ら約20人からなる「九州鋳金研究会」。印の鋳造技術に関する江戸時代の文献をもとに、約2千年前に存在したと考えられる素材を用いた工程を探った。


続きはソースで


https://www.nikkei.com/content/pic/20180908/96958A9F889DE1E7E3E6E0E5E2E2E2EAE2EBE0E2E3EA93918AE2E2E2-DSXMZO3514268008092018ACX001-PN1-4.jpg

https://www.sankei.com/west/news/180909/wst1809090019-n1.html

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引用元: 【金印】「漢委奴国王金印」作ります 謎の製法探る研究者

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1: 2018/04/22(日) 02:33:16.33 ID:CAP_USER
 福岡市東区の志賀島で発見されたと伝わる国宝の金印「漢委奴国王」の製作を再現する実験が始まった。
取り組むのは「九州鋳金研究会」に所属する鋳造技術や考古学などの専門家たち。
古代の金印がどのように作られたのか、いまだ詳しいことが分かっていない謎の解明への挑戦だ。

 3月末、福岡県宗像市にある福岡教育大の鋳造室。九州鋳金研究会会長で、鋳金が専門の宮田洋平教授(58)が溶解炉を熱していた。地金を溶かす「るつぼ」が炉内にある。
木炭を炉に入れると、火の粉が高く舞い上がり、真っ赤な炎は勢いを増した。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」への金印の登録を目指すNPO法人
「志賀島歴史研究会」(福岡市東区)の要請を受け、九州鋳金研究会は金印の製作技術の研究を始めた。

 昔の官印に関する文献を踏まえて工法を検討し、古代中国でも行われた蝋(ろう)型鋳造法を採用。
金属を溶かす熱源は、現代ではコークスを用いるのが一般的だが、当時の工法に近づくため、木炭を使うことにした。

 鋳型は、宗像市の鋳物師、遠藤喜代志さん(68)が製作。
福岡市博物館にある金印のレプリカを参考に、蜜蝋と樹脂を混ぜて原型を作った。
実物よりわずかに大きくしたのは、後で加工するためだ。


 歴史研究会のメンバーや福岡市博物館の学芸員など合わせて約30人が見守る中、実験が進む。

続きはソースで

関連ソース画像一覧
金印の製作を再現する九州鋳金研究会のメンバーたち=3月30日、福岡県宗像市
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_000_m.jpg
溶かした金を鋳型に流し込むと、あっという間に固まった
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_001_m.jpg
九州鋳金研究会が作った金印。湯口に近い部分が欠けている
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_002_m.jpg

西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/409269/
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引用元: 【考古学】国宝「金印」再現なるか? 鋳金・考古学者らが実験…失敗 古代技術の「謎」解明へ再挑戦[04/17]

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1: 2015/08/17(月) 21:23:05.40 ID:yihTgs29*.net
毎日新聞 2015年08月17日 21時10分

 解体修理が行われている奈良市の国宝・薬師寺東塔の調査で、同寺などは17日、奈良時代に流通した貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」4枚が土台下から出土したと発表した。
8世紀前半の創建時に地鎮目的でまかれたと考えられ、調査した奈良文化財研究所と橿原考古学研究所は「広く流通する通貨を地鎮供養でまいた最古の例」としている。

 和同開珎は塔を貫く心柱(しんばしら)を支える石「心礎」の東側1.3メートル、土台部分の基壇表面から1.7メートル下で見つかった。
基壇下は穴に土を埋めて固める工法「掘込地業(ほりこみちぎょう)」で造られ、貨幣は穴の底の辺りで見つかった。730年とされる東塔創建時に納めたとみられる。

 長さ20センチ、幅30センチの範囲に散らばった4枚のうち2枚は完全な形で、残りも一部が腐食しているが状態は良かった。赤銅色に輝き摩耗も少ないものもあり、新しい貨幣をまいたらしい。

 地鎮供養で貨幣を地面にまいた例として、奈良県明日香村・川原寺塔跡(7世紀後半)で無文銀銭が見つかっているが、広く流通した貨幣がまかれたのはこれまで8世紀後半以降だった。和同開珎を容器に入れた例は、8世紀前半の法隆寺で確認されている。

 今回の和同開珎は10月1日~来年1月3日、薬師寺で公開予定。【塩路佳子】

(記事の続きや関連情報はリンク先で)

ダウンロード


引用元:毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20150818k0000m040104000c.html

引用元: 【奈良】 薬師寺東塔:土台下から和同開珎4枚出土 創建時の地鎮 [毎日新聞]

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1: ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★ 2013/12/08(日) 20:40:27.38 ID:???0

★「重文388件が所在未確認」 ネット出品 家宝意識薄く
2013.12.8 12:28

国宝を含む国の重要文化財が全国各地で所在不明になっている問題で、個人所有の重文約800点のうち半数近くの所在が確認できていないことが、文化庁の調査で分かった。一部は不特定多数が利用するインターネットオークションに出品されている実態も判明。文化財を代々引き継ぐという価値観の喪失など、所有者のモラルの低下を懸念する声が上がっている。(川瀬弘至、篠原那美)

◆無届け売買が横行

文化庁によると、重文には現在、国宝871点を含む美術工芸品1万524点が指定されている。
このうち売買されることの多い個人所有の約800点について10月に確認調査を行ったところ、いつの間にか所有者が代わっていたなどの理由で388件の所在が確認できなかった。

文化財保護法では、譲渡や相続などで重文の所有者が代わる際、文化庁に届け出なければならない。
しかし最近は無届けで売買したり転居したりする所有者が多く、「所在確認は年々難しくなっている」
(文化庁関係者)という。

文化庁が懸念するのは、無届けの売買による文化財の散逸や海外への流出だ。今年7月には、重文と同じく海外輸出が禁じられている「重要美術品」の仏教文書が中国でオークションにかけられていたことが判明。8月には、重要美術品とみられる刀剣が匿名で利用できるインターネットのヤフーオークションに出品されていたことも分かった。(以下略)

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http://sankei.jp.msn.com/life/news/131208/trd13120812340008-n1.htm



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1: アルゼンチンバックブリーカー(家) 2013/11/13(水) 12:58:53.12 ID:VMxhZMIgP BE:2157714465-PLT(22223) ポイント特典

http://mainichi.jp/select/news/20131113k0000e040228000c.html
刀匠や研師らの[職人集団]が約1500年前の古墳時代に作られた国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」(埼玉県・稲荷山古墳出土)を約6年半かけて復元した。グループの6人は13日、復元品を県に寄贈。県によると、石こうなどで古墳時代の鉄剣を複製した例はあるが、忠実な復元品は全国初という。

グループ代表の小川盛弘・米メトロポリタン美術館特別顧問と、刀匠の宮入法廣(のりひろ)さんらが2007年に「古代刀剣研究の進展のために」と復元を企画。刀身彫刻師の橋本※巴(しゅうは)さん、研師の藤代興里(おきさと)さんら各分野の職人が賛同し、同年2月に制作が始まった。

1年もあれば完成する見通しだったが、作業を始めると、難題が続出した。まず素材。実物と完全に一致する鉄が分からない。宮入さんが同時代の出土刀や古刀を参考に地金から調整した。また、近現代の日本刀より「鍛え」の回数が少ないことも判明し、鍛えの数を変更。試作は5本に上った。

刀に文字を彫り、金の比率が異なる2種類の合金をはめ込む象眼も難航した。片面だけを彫り進めると、刀の薄さから表面張力が崩れ、大きく反ってしまうため、この作業に1年以上を要した。

仕上げの研磨も、どの砥石(といし)で研ぐべきか、頭を悩ませた。藤代さんらは稲荷山古墳で出土した砥石をX線で調べたほか、鉄剣の研ぎ跡を分析して当時の砥石に似た石を突き止めた。

「復元度は限りなく100%に近い」という鉄剣が完成したのは今年6月。上田清司知事から13日、寄贈の感謝状を受け取った小川さんは「(製剣の技術力の高さから)当時の埼玉は『大先進国』だと分かった。多くの人に見てほしい」と話した。

    ◇

復元品は、14日から埼玉県立さきたま史跡の博物館(同県行田市)で特別公開される。【狩野智彦】

◇金錯銘鉄剣

1968年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した全長73.5センチの鉄剣。10年後、保存処理の過程で表に57字、裏に58字の計115字の銘文があることが分かった。銘文は「(471年とされる)辛亥年七月中記す、ヲワケの臣」に始まり、大和朝廷の雄略天皇とされるワカタケル大王に仕えた手柄を記している。

※は王ヘンに秀
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