1: 2016/04/07(木) 07:09:32.33 ID:CAP_USER*.net
ニュートンは錬金術で「賢者の石」を作れたか? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/040600124/
炎のドラゴンと女神ダイアナのハトを少々、水銀のワシを7羽…以上を合わせると、いったい何ができるのだろうか? 答えは「哲学者の水銀」、賢者の石の重要な材料となる物質だ。魔法のレシピのようなこの記述は、最近になって再発見された、有名な物理学者アイザック・ニュートンによる手書きの写本に記されていた。(参考記事:「アイザック・ニュートン、業績と人物」)
17世紀の写本は個人が所蔵していたが、米国ペンシルベニア州を拠点とするNPO「化学遺産財団」が2016年2月に購入したことで、数十年ぶりに日の目を見た。ニュートンは、この写本をどう解釈していたのだろうか。同財団では現在、より多くの人が研究に参加できるように、写本の画像やテキストをオンラインのデータベース上で公開するための準備を進めている。(参考記事:「モルモン教、門外不出の信者記録保管庫」)
錬金術師の暗号
写本には、賢者の石の重要な材料とされる「哲学者の水銀」の作り方が、暗号で示されている。賢者の石というのは、錬金術の世界で、鉛などの卑金属を金などの貴金属に変える力があると考えられていた物質だ。
ニュートンが実際に「哲学者の水銀」を作ったという証拠はない。だが今回発見された写本は、複雑に暗号化された錬金術のレシピを、ニュートンがどのように解釈していたのかを理解する手がかりとなるだろう。米国インディアナ大学の科学史家ウィリアム・ニューマン氏は、そう述べている。この写本はまた、現在の物理学の基礎を築き、微積分学を創始した一人であるニュートンが、錬金術に多大な影響を受け、錬金術師たちと交流していたという事実の裏づけとなる。
いにしえの知識を利用して、物質の性質をより正確に解き明かしたい。そう考えたニュートンは、生涯を通じて錬金術について多くの記述を残している。そこにはあるいは、大金を手に入れたいという思いもあったのかもしれない。しかし研究者たちは長年の間、ニュートンと錬金術の関係については避けて通ってきた。錬金術は一般に、謎めいた怪しげな手法だらけのニセ科学とみなされているからだ。(参考記事:「科学を疑う」)
出身大学は保管を拒否
1855年に書かれたニュートンの伝記では、なぜ「これほどすぐれた知性」が、「明らかに愚者といかさま師による産物」である錬金術に、真剣に取り組んだのだろうかと疑問を呈している。写本が今ごろになって再発見されたのは、一つには1888年にニュートンの母校である英国ケンブリッジ大学が、錬金術の関連文書については保管を拒否したためだ。文書は1936年にオークションで、総額わずか9000ポンドほどで売却された。その多くが個人の手に渡り、学術的な研究は難しくなってしまった。(参考記事:「NASA黄金時代のお宝写真約700枚がオークションに」)
「実に長い間、ニュートンの錬金術は触れてはならないタブーとされてきました」と、ニューマン氏は話す。しかし現在、歴史家の間では、錬金術師が思慮深い技術者であったという見方もある。彼らはさまざまな装置を駆使して研究に励み、膨大な量の記録をとった。苦労して得た知識を守るために、研究の成果はしばしば神秘的なシンボルを用いた暗号で書き残された。
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http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/040600124/
炎のドラゴンと女神ダイアナのハトを少々、水銀のワシを7羽…以上を合わせると、いったい何ができるのだろうか? 答えは「哲学者の水銀」、賢者の石の重要な材料となる物質だ。魔法のレシピのようなこの記述は、最近になって再発見された、有名な物理学者アイザック・ニュートンによる手書きの写本に記されていた。(参考記事:「アイザック・ニュートン、業績と人物」)
17世紀の写本は個人が所蔵していたが、米国ペンシルベニア州を拠点とするNPO「化学遺産財団」が2016年2月に購入したことで、数十年ぶりに日の目を見た。ニュートンは、この写本をどう解釈していたのだろうか。同財団では現在、より多くの人が研究に参加できるように、写本の画像やテキストをオンラインのデータベース上で公開するための準備を進めている。(参考記事:「モルモン教、門外不出の信者記録保管庫」)
錬金術師の暗号
写本には、賢者の石の重要な材料とされる「哲学者の水銀」の作り方が、暗号で示されている。賢者の石というのは、錬金術の世界で、鉛などの卑金属を金などの貴金属に変える力があると考えられていた物質だ。
ニュートンが実際に「哲学者の水銀」を作ったという証拠はない。だが今回発見された写本は、複雑に暗号化された錬金術のレシピを、ニュートンがどのように解釈していたのかを理解する手がかりとなるだろう。米国インディアナ大学の科学史家ウィリアム・ニューマン氏は、そう述べている。この写本はまた、現在の物理学の基礎を築き、微積分学を創始した一人であるニュートンが、錬金術に多大な影響を受け、錬金術師たちと交流していたという事実の裏づけとなる。
いにしえの知識を利用して、物質の性質をより正確に解き明かしたい。そう考えたニュートンは、生涯を通じて錬金術について多くの記述を残している。そこにはあるいは、大金を手に入れたいという思いもあったのかもしれない。しかし研究者たちは長年の間、ニュートンと錬金術の関係については避けて通ってきた。錬金術は一般に、謎めいた怪しげな手法だらけのニセ科学とみなされているからだ。(参考記事:「科学を疑う」)
出身大学は保管を拒否
1855年に書かれたニュートンの伝記では、なぜ「これほどすぐれた知性」が、「明らかに愚者といかさま師による産物」である錬金術に、真剣に取り組んだのだろうかと疑問を呈している。写本が今ごろになって再発見されたのは、一つには1888年にニュートンの母校である英国ケンブリッジ大学が、錬金術の関連文書については保管を拒否したためだ。文書は1936年にオークションで、総額わずか9000ポンドほどで売却された。その多くが個人の手に渡り、学術的な研究は難しくなってしまった。(参考記事:「NASA黄金時代のお宝写真約700枚がオークションに」)
「実に長い間、ニュートンの錬金術は触れてはならないタブーとされてきました」と、ニューマン氏は話す。しかし現在、歴史家の間では、錬金術師が思慮深い技術者であったという見方もある。彼らはさまざまな装置を駆使して研究に励み、膨大な量の記録をとった。苦労して得た知識を守るために、研究の成果はしばしば神秘的なシンボルを用いた暗号で書き残された。
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引用元: ・【話題】ニュートンは錬金術で「賢者の石」を作れたか? あの物理学者の「もう一つのライフワーク」、自筆の写本を再発見
ニュートンは錬金術で「賢者の石」を作れたか? あの物理学者の「もう一つのライフワーク」、自筆の写本を再発見の続きを読む