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奈良時代

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1: 2018/12/06(木) 16:45:03.66 ID:CAP_USER
奈良大学は、全国の216体の仏像について、マイクロソフトの学習済みAI「Cognitive Services」を活用して、仏像の推定年齢や表情などを分析した調査結果を公表した。

仏像の感情測定では、Cognitive ServicesのFace APIを使って、怒り、恐怖、喜び、中立、悲しみなど、8つの表情を数値化し、傾向を分析。その結果、測定できた仏像の平均年齢は38歳。正法寺の釈迦如来坐像が2.9歳で最年少、西大寺の叡尊上人像の83.5歳が最年長となった。

続きはソースで

https://www.watch.impress.co.jp/img/ipw/docs/1156/786/ashura_s.jpg

Impress Watch
https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1156786.html
ダウンロード (9)


引用元: 奈良・鎌倉時代の大仏は「怒り」。奈良大学が216大仏の表情や年齢分析。MSのAI活用[12/05]

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1: 2018/01/01(月) 17:48:33.11 ID:CAP_USER
2017年12月14日、琵琶湖北部の湖底における水中ロボットを用いた探査で、飛鳥時代から奈良時代にかけてのものと分析される、完全な形の土師器(はじき)の甕(かめ)が発見され、画像が撮影された。立命館大学、認定NPO法人びわ湖トラスト、いであ社、TBSテレビの共同調査研究によるものである。

プロジェクトの名前は葛篭尾崎(つづらおざき)湖底遺跡探査という。
葛篭尾崎というのは琵琶湖北、滋賀県長浜市の地名である。土器が発見されたのは水深71.5メートルほどの場所。
ちなみに調査は2010年から2017年までに16回行われており、7の地点で、湖底に沈む土器がいくつか発見されている。

 琵琶湖の湖底から土器が見つかるはっきりとした理由を言い当てた者は無く、現状では謎に包まれている。

 琵琶湖葛篭尾崎湖底遺跡は、水深が約70メートルと深い上、水流が激しいことから、ダイバーによる潜水調査が極めて困難である。
そこで、研究グループは独自に製作した水中ロボットを探索に投入している。

続きはソースで

画像:発見された土器。(画像:立命館大学発表資料より)
http://www.zaikei.co.jp/files/general/201712291445259z30a.jpg

財経新聞
http://www.zaikei.co.jp/article/20171231/418936.html
ダウンロード (5)


引用元: 【考古学】水中ロボットが琵琶湖底から古代の土器を発見、立命館大学の研究

水中ロボットが琵琶湖底から古代の土器を発見、立命館大学の研究の続きを読む

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1: 2017/04/20(木) 22:34:54.67 ID:CAP_USER
 中国の唐で作られたとされていた奈良・正倉院の宝物「銀壺(ぎんこ)」は、奈良時代に権勢をふるった藤原仲麻呂が発行に関わった銀銭「大平元宝」の素材を鋳造し直した国産品だったとする新説を20日、奈良国立博物館(奈良市)の吉沢悟・列品室長が発表した。

 宮内庁正倉院事務所(同市)が年1回、宝物などの研究内容を発表する「正倉院紀要」の第39号に盛り込まれた。

 銀壺は2点あり、ほぼ同型で、高さ41~43センチ、最大直径61センチ。
シルクロードとのつながりを想起させる騎馬人物が表面に彫られ、唐で作られたとする説がこれまで有力だった。

 だが、吉沢室長は彫金技法の拙さなどから、
大陸伝来の原図を基にした国産品の可能性が高いと判断。
壺の底にある「天平神護三年(767年)二月四日」の銘を手がかりに、制作背景の考察を進めた。

Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170420-00050130-yom-ent
ダウンロード (1)


引用元: 【歴史】正倉院宝物「銀壺」は銀銭転用の国産品か…新説 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/06/11(土) 17:25:36.37 ID:CAP_USER9
群馬県内の遺跡で奈良時代のものとみられる大型のつぼが発掘され、前橋市で説明会が開かれました。
「奈良三彩短頸壺」と呼ばれる陶器製のつぼは、去年、群馬県東吾妻町の遺跡で発掘され、11日、発掘の経緯などの説明会が前橋市で開かれました。
この中で、つぼを発掘した群馬県埋蔵文化財調査事業団の谷藤保彦上席専門員は、「つぼは高さ18.7センチ、幅25センチある大型で、形や色から8世紀後半の奈良時代に作られたとみられる。

続きはソースで

ダウンロード (3)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160611/k10010553131000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_012
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160611/K10010553131_1606111452_1606111455_01_02.jpg

引用元: 【歴史】遺跡で発掘のつぼ 奈良時代の作品か©2ch.net

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1: 2015/12/03(木) 16:14:17.51 ID:CAP_USER.net
大仏さまの髪は半分だった…レーザー調査で判明

東大寺(奈良市)は3日、大仏(盧舎那仏・るしゃなぶつ)の頭にある渦巻きの髪「螺髪(らほつ)」について、造立時に「966個」とされていた数は、現在は「492個」であることがわかったと発表した。
レーザーを使った調査で判明したという。

大仏は奈良時代の752年に完成。寺の史料「東大寺要録」などには、天平勝宝元年(749年)に螺髪を966個作ったと記されている。
大仏の頭部はその後、戦火で焼け落ちるなどしたため、現在の頭部は1691年に修復されたものだが、頭部の後ろには仏の光を象徴する装飾・光背こうはいがあり、螺髪の正確な個数を数えることができなかった。

一方で、参拝客などから螺髪の数を尋ねる質問が多いため、寺は今夏、東京大生産技術研究所の大石岳史准教授(メディア工学)に調査を依頼。

続きはソースで

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▽引用元
YOMIURI ONLINE 2015年12月03日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20151203-OYO1T50031.html

▽関連サイト
華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
よくあるご質問 Q6 大仏さまの螺髪(らほつ)の数はいくつありますか?
http://www.todaiji.or.jp/contents/qa/qa.html#q6
http://www.todaiji.or.jp/contents/qa/images/r_1.jpg
http://www.todaiji.or.jp/contents/qa/images/r_2.jpg
http://www.todaiji.or.jp/contents/qa/images/rahotsu.jpg

引用元: 【計測工学/建築史】東大寺・大仏さまの髪は半分だった レーザー調査で判明 造立時に966個あった渦巻きの髪「螺髪」、現在は492個

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1: 2015/08/17(月) 21:23:05.40 ID:yihTgs29*.net
毎日新聞 2015年08月17日 21時10分

 解体修理が行われている奈良市の国宝・薬師寺東塔の調査で、同寺などは17日、奈良時代に流通した貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」4枚が土台下から出土したと発表した。
8世紀前半の創建時に地鎮目的でまかれたと考えられ、調査した奈良文化財研究所と橿原考古学研究所は「広く流通する通貨を地鎮供養でまいた最古の例」としている。

 和同開珎は塔を貫く心柱(しんばしら)を支える石「心礎」の東側1.3メートル、土台部分の基壇表面から1.7メートル下で見つかった。
基壇下は穴に土を埋めて固める工法「掘込地業(ほりこみちぎょう)」で造られ、貨幣は穴の底の辺りで見つかった。730年とされる東塔創建時に納めたとみられる。

 長さ20センチ、幅30センチの範囲に散らばった4枚のうち2枚は完全な形で、残りも一部が腐食しているが状態は良かった。赤銅色に輝き摩耗も少ないものもあり、新しい貨幣をまいたらしい。

 地鎮供養で貨幣を地面にまいた例として、奈良県明日香村・川原寺塔跡(7世紀後半)で無文銀銭が見つかっているが、広く流通した貨幣がまかれたのはこれまで8世紀後半以降だった。和同開珎を容器に入れた例は、8世紀前半の法隆寺で確認されている。

 今回の和同開珎は10月1日~来年1月3日、薬師寺で公開予定。【塩路佳子】

(記事の続きや関連情報はリンク先で)

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引用元:毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20150818k0000m040104000c.html

引用元: 【奈良】 薬師寺東塔:土台下から和同開珎4枚出土 創建時の地鎮 [毎日新聞]

【奈良】 薬師寺東塔:土台下から和同開珎4枚出土 創建時の地鎮の続きを読む

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