理系にゅーす

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奈良県

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1: 2016/10/05(水) 17:52:58.40 ID:CAP_USER
奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161004-00050163-yom-ent
http://amd.c.yimg.jp/amd/20161004-00050163-yom-001-9-view.jpg


 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

 国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。

 木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。

 表側の上部に「大学寮解 申宿直官人事」、下部に、定員外の特別枠で任じられた役人「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、中国語でペルシャを表す「波斯(はし)」と同じ読み・意味の「破斯」という名字を持つ「破斯清通」という人名と、「天平神護元年(765年)」という年号が書かれていた。

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引用元: 【考古学】奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/09/21(水) 13:15:21.93 ID:CAP_USER9
キトラ壁画・四神の館が公開へ

極彩色の魅力体感
http://this.kiji.is/150881451285267962?c=39546741839462401

 文化庁と国土交通省は20日、奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画の保存・展示施設「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」が24日に開館するのを前に、内部を報道陣に公開した。

 古墳に隣接する「四神の館」は平屋・地下1階建てで、延べ床面積は約2500平方メートル。

続きはソースで

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引用元: 【文化】キトラ壁画・四神の館が公開へ 世界最古の星図、極彩色の魅力体感 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/05/27(金) 17:51:02.65 ID:CAP_USER9
 ピラミッドのように石を階段状に積み上げた、類例のない大型方墳とわかった奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半~7世紀初め)について、村教委と関西大は26日、発掘調査報告書を発行したと発表した。
墳丘に12万9千個の石が使われ、築造に延べ3万人が関わったと推定。専門家は「蘇我一族の墓の可能性が高まった」と指摘する。

 報告書によると、東西約41メートル、南北約42メートル。横穴式石室を備え、ふたが屋根形の家形(いえがた)石棺(せっかん)が納められている。
墳丘は川原石を階段状に少なくとも5段以上積み上げ、階段の壁面部と平坦(へいたん)部の内部などに拳大から人頭大の石が使われていた。
石の総数12万9千個は1平方メートルあたりの数から推計した。石室を含めた推定総重量は485トンにのぼる。

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都塚古墳想像図
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526004634_comm.jpg
都塚古墳=2014年8月、奈良県明日香村
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526003876_comm.jpg
石が積み上げられた階段状の遺構
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526003862_comm.jpg
地図
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20160526004032_comm.jpg

http://www.asahi.com/articles/ASJ5T7DT6J5TPTFC01B.html
2016年5月27日16時43分

引用元: 【社会】奈良のピラミッド築造に延べ3万人 都塚古墳調査で推定©2ch.net

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1: 2016/05/13(金) 03:04:49.58 ID:CAP_USER
国内最大級の円形周溝墓見つかる  奈良・橿原の瀬田遺跡、奈文研が調査

 前方後円墳の原型と考えられている陸橋を持つ弥生時代末期(2世紀中ごろ~後半)の大型円形周溝墓(しゅうこうぼ、直径約31メートル)が奈良県橿原市城殿町の瀬田遺跡で見つかり12日、奈良文化財研究所が発表した。墳丘は失われていたが周溝ははっきり残り、国内最大級の規模。奈良県内では初の発見で、専門家は「前方後円墳の誕生を考える重要な資料」とみている。

 円形周溝墓は墳丘部の直径約19メートル。幅6~7メートル、深さ約50センチの溝をめぐらせ、南西部に長さ約7メートル、最大幅6メートルの陸橋が付いていた。埋葬施設は見つかっていない。

 同県の大和盆地東南部には、最古級の前方後円墳・箸墓古墳(桜井市、3世紀半ば)があるだけでなく、その前段階とされる纒向型前方後円墳も確認されている。

続きはソースで

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http://www.sankei.com/west/news/160512/wst1605120088-n1.html

奈良県橿原市の瀬田遺跡で見つかった、前方後円形の円形周溝墓(点線部分)=12日午後(本社ヘリから)
http://www.sankei.com/images/news/160512/wst1605120088-p1.jpg

引用元: 【考古】国内最大級の円形周溝墓見つかる  奈良・橿原の瀬田遺跡、奈文研が調査©2ch.net

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1: 2016/04/23(土) 10:00:25.44 ID:CAP_USER.net
<東大寺東塔跡>「七」文字入り瓦…「七重を補足する資料」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160423-00000010-mai-soci
【動画】東大寺の東塔跡で「七重塔示す」瓦が大量出土 - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/160422/wst1604220091-n1.html


 東大寺(奈良市)の東塔跡を発掘している同寺などの調査団は22日、中央に「七」の文字がある鎌倉時代の軒丸瓦が20枚以上出土したと発表した。文献では、東塔は高さ70~100メートルの巨大な七重塔とされ、調査団は「七重を示すデザインだろう。文献を補足する貴重な資料」としている。

 東塔跡では、境内整備に伴う昨年7~12月の発掘で創建時の奈良時代の基壇、再建された鎌倉時代の基壇の跡を確認。屋根に載せられていた軒丸瓦はその際に出土し、直径約15センチで蓮華(れんげ)文の中央に「七」とあった。いずれも同じ鋳型で、再建時の13世紀初頭の製作とみられる。

 東塔は平安時代末の平氏による焼き打ちで焼失。大勧進職の僧、重源(ちょうげん)が再建に着手し、臨済宗開祖である栄西の手を経てその弟子、行勇が1238(嘉禎4)年ごろ完成させた。

 八角九重塔があったとされる京都市の法勝寺跡で2010年に「九」を記した瓦片が出土し、この塔も栄西が再建に携わっている。

 調査団は東大寺の「七」の瓦は栄西が作らせたとみており、団長の鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(建築史)は「重源は梵字(ぼんじ)入りの瓦を作らせており、数字瓦は栄西の個性だろう。東塔再建に栄西が深く関わっていたことも示す興味深い発見だ」としている。

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引用元: 【考古学】東大寺の東塔跡で「七重塔示す」瓦が大量出土

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1: 2016/04/20(水) 12:31:03.34 ID:CAP_USER*.net
染井吉野の起源に迫る 父オオシマザクラにヤマザクラの遺伝子入っていた (北海道新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160420-00010001-doshin-sctch


全国の染井吉野はDNAパターンが同一

 桜前線の北海道到達までもうすぐ。道内に自生するのは、エゾヤマザクラ(オオヤマザクラ)とチシマザクラなどだが、道央以南に植えられた染井吉野(そめいよしの)も日本を代表する桜として親しまれている。その染井吉野を巡り、最近、新発見があった。研究の中心になった森林総合研究所(森林総研)多摩森林科学園(東京都八王子市)の勝木俊雄・サクラ保全担当チーム長に新発見と桜にまつわるエピソードを聞いた。

 染井吉野(漢字表記の理由は後述)は幕末に江戸・染井村の植木屋から「吉野桜」の名で売り出され、奈良の吉野桜(ヤマザクラ)と区別するため、明治時代に染井吉野と命名された。花付きの良さと成長の早さが好まれ、瞬く間に全国に広まった。今では寒い道東、道北と暑い沖縄以外でその姿を見ることができる。苗木は接ぎ木で育てられるため、どれも同じ形態で、葉が伸びるより前に花が咲くので姿が美しいこと、ほぼ一斉に咲いて一斉に散るので潔い感じがするのが特徴だ。

 では、起源はどこにあるのか。明治以降、さまざまな説が浮かんでは消えた。1960年代に国立遺伝学研究所の竹中要(よう)博士が交配などの遺伝学的な実験を繰り返した結果、エドヒガンとオオシマザクラの2種を掛け合わせると、染井吉野とよく似た個体が育つことを突き止めた。

 このように異なる種同士が交配してできたものを植物分類学では「種間雑種」と呼び、学名と「ソメイヨシノ」という標準和名が与えられている。

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(編集委員 橘井潤)

引用元: 【科学】染井吉野の起源に迫る 父オオシマザクラにヤマザクラの遺伝子入っていた

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