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戦士

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1: 2019/02/24(日) 13:47:43.60 ID:CAP_USER
 中世8〜11世紀にかけてスカンジナビア半島やバルト海で活躍した武装船団バイキング。日本では1970年代に『小さなバイキングビッケ』というアニメ作品をきっかけに知られるようになったが、スウェーデンで100年以上前に見つかった戦士の骨が、実は女性戦士のものであることが判明した!歴史上、最初に見つかった性同一性障害の戦士だったのか?と注目を集めている。

■バイキング時代の要塞都市で140年前に発見

 この遺骨が見つかったのは1878年、首都ストックホルム郊外のメーラレン湖に浮かぶビェルケ(Björkö)島にあるバイキング時代の都市遺跡からだ。

 ビルカ遺跡は、ゲルマン民族が建てたフランク王国の宣教師が9世紀に残した古文書に記録が残り、外敵からの襲来に備えて建てられた要塞都市だったという。


■世界遺産登録されたビルカ遺跡

この遺跡からは3000近い墳墓が見つかっており、このうち1100個は19世紀後半に発掘したもの。当時、考古学者ヤルマー・ストロペ(Hjalmar Stolpe)は王立アカデミーに提出した報告書のなかで、「最も注目に値する墓だ」と記述したほど、ユニークな構造の墓だった。

地下に埋められた木造の部屋の中には、モンゴルの騎馬民族のようなデザインの服装を身に着けた遺骨が残されており、その周囲には斧や剣、槍などの武器類が多数置かれていた。

さらに、サイコロやゲーム用のコマ、鉄製のゲームボードが置かれ、部屋のすみには乗馬用の馬2頭が一緒に埋葬されていたことから、スウェーデンの考古学者は長年、社会的地位が高い将軍クラスの墓だと考えられてきた。

 最初の発見から約100年後の1970年代、Bj581と名づけられた遺骨を調べた研究者が、遺骨のなかに大腿骨が3本あることを発見。二人分の遺体が埋葬されていることがわかったが、その後の調査で、もう一体はBj581より約1世紀古い人物であることが突き止められた。さらにあごと腕の骨から、死亡年齢の推定を試みたが、当時の技術ではうまくいかなかったという。

続きはソースで

https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary-alt_20190218145703-45526-mediumThumb-S0003598X18002582_fig8g.jpg

上:発掘当時、考古学者が残したスケッチ(Hjalmar Stolpe)、下:スケッチをもとに埋葬当時を想像して描かれた図(Þórhallur Þráinsson/Antiquity Publications Ltd.)
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/ohaka.png
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary-alt_20190218145703-18118-optimisedImage-S0003598X18002582_fig5g.jpg
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary_20190215143901058-0973_S0003598X18002582_S0003598X18002582_fig6g.jpg


ビルカ遺跡の位置(Antiquity Publications Ltd.)
https://www.hazardlab.jp/contents/post_info/2/8/3/28323/urn_cambridge.org_id_binary_20190215143901058-0973_S0003598X18002582_S0003598X18002582_figU1g.jpg

ハザードラボ
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28323.html
images


引用元: 【考古学】古代バイキング戦士「女」だった!最初の性同一性障害か?[02/24]

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1: 2015/07/31(金) 18:21:27.13 ID:???.net
マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/

画像
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/ph_thumb.jpg
マヤ文明のエル・アチオタル遺跡で発見された石碑の断片には、地方を統治する王アハウの顔が描かれている。(Photograph by Luke-Auld Thomas)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072800022/02.jpg
石碑の断片は神殿の内部に安置され、数世代にわたって崇められていた。(Photograph by Luke-Auld Thomas)


 中米グアテマラにあるマヤ文明の遺跡で、時代区分の違う石碑が発見された。これにより1500年前、マヤ文明の絶頂期に一帯で覇権を争っていた二大勢力の新事実が明らかになり、研究者たちを驚かせている。

 グアテマラのペテン地方西部にあるエル・アチオタル遺跡で発見されたこの石碑の断片には「アハウ」と呼ばれる王(地方を治めた)が描かれている。アハウを任命したのは、遠く離れた古代都市テオティワカン(現在のメキシコ市辺り)からやってきた戦士、シヤフ・カック(「火の誕生」の意)だ。シヤフ・カック率いる軍勢は378年にマヤ低地に現れると、都市国家ティカルを支配下に置き、マヤ全土に新たな政治体制を敷いた。(参考記事:「新説 マヤ文明」シヤフ・カックがやって来た時代)

 米テュレーン大学中米研究所のマルセロ・カヌート氏らは先日、グアテマラ市で記者会見を開き、この石碑の発見について報告した。


予想外の大発見

 石碑の断片を発見したのは、ナショナル ジオグラフィック協会が支援する「ヤング・エクスプローラー」のひとりで、テュレーン大学院生のルーク・オールド=トーマス氏。彼はエル・アチオタル遺跡で、ペテン地方にマヤの都市国家が現れ始めたころの古い建造物を調べていた。

先古典期中期から後期(紀元前800〜紀元250年)のものだ。


「私たちは階段を探すために、いくつか穴を掘っていました。そのとき作業員のひとりが、石碑のようなものを見つけたと言ってきたのです」とオールド=トーマス氏は言う。それはマヤが最も繁栄した古典期(250〜900年)に特有の、彫刻の施された石碑であった。

「穴の中を覗いてみると、こちらをまっすぐに見つめる王の顔がありました。古代マヤ人は、王の顔が入り口に向くよう慎重に配置したのです」

 もともと先古典期後期(紀元前400〜紀元250年)の遺跡だとされていたエル・アチオタルで「石碑が見つかるとは思ってもみませんでした」とカヌート氏は言う。(参考記事:【連載】マヤ文明と終末論の真実)

続きはソースで

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引用元: 【考古学】マヤ王の石碑を発見、1500年前の「冷戦」語る マヤ文明の二大勢力に翻弄された都市

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