理系にゅーす

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1: 2018/10/26(金) 13:45:51.15 ID:CAP_USER
京都府長岡京市の病院建設予定地で、長岡京期(784~94年)に建てたとみられる大型掘立柱建物跡が見つかったと25日、市埋蔵文化財センターが発表した。南北約21メートル、東西約6メートルの区画で、西側に庇がある構造だった。専門家は皇族が使用した離宮の可能性が大きいとしている。

「右京六条三坊三町」に当たる位置で、建物跡は南北に細長く、柱穴の大きさは一辺1~0.9メートル、間隔は10尺(約3メートル)だった。

 周辺からの出土品の大半は瓦で長岡京期の後半の製作。既に長岡京の離宮跡の東院や猪熊院の推定地でも確認された「※」の文字を刻印した瓦が多い▽生活に使用する土器の出土が少ない▽建物のある区域は築地状の溝で隔てられている--などから、建物は公的な重要施設とみている。

続きはソースで

https://amd.c.yimg.jp/im_sigg7twe_S1STJlmNTSvYQY4SQ---x400-y266-q90-exp3h-pril/amd/20181026-00000010-mai-000-1-view.jpg
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/10/26/20181026k0000m040266000p/7.jpg

毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20181026/k00/00m/040/259000c
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引用元: 【考古学】京都 大型掘立柱建物跡が出土、皇族の離宮か 長岡京市[10/26]

京都 大型掘立柱建物跡が出土、皇族の離宮か 長岡京市の続きを読む

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1: 2016/04/23(土) 10:00:25.44 ID:CAP_USER.net
<東大寺東塔跡>「七」文字入り瓦…「七重を補足する資料」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160423-00000010-mai-soci
【動画】東大寺の東塔跡で「七重塔示す」瓦が大量出土 - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/160422/wst1604220091-n1.html


 東大寺(奈良市)の東塔跡を発掘している同寺などの調査団は22日、中央に「七」の文字がある鎌倉時代の軒丸瓦が20枚以上出土したと発表した。文献では、東塔は高さ70~100メートルの巨大な七重塔とされ、調査団は「七重を示すデザインだろう。文献を補足する貴重な資料」としている。

 東塔跡では、境内整備に伴う昨年7~12月の発掘で創建時の奈良時代の基壇、再建された鎌倉時代の基壇の跡を確認。屋根に載せられていた軒丸瓦はその際に出土し、直径約15センチで蓮華(れんげ)文の中央に「七」とあった。いずれも同じ鋳型で、再建時の13世紀初頭の製作とみられる。

 東塔は平安時代末の平氏による焼き打ちで焼失。大勧進職の僧、重源(ちょうげん)が再建に着手し、臨済宗開祖である栄西の手を経てその弟子、行勇が1238(嘉禎4)年ごろ完成させた。

 八角九重塔があったとされる京都市の法勝寺跡で2010年に「九」を記した瓦片が出土し、この塔も栄西が再建に携わっている。

 調査団は東大寺の「七」の瓦は栄西が作らせたとみており、団長の鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(建築史)は「重源は梵字(ぼんじ)入りの瓦を作らせており、数字瓦は栄西の個性だろう。東塔再建に栄西が深く関わっていたことも示す興味深い発見だ」としている。

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引用元: 【考古学】東大寺の東塔跡で「七重塔示す」瓦が大量出土

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1: 2015/06/15(月) 20:00:01.40 ID:???.net
飛鳥寺瓦:「白髪部」の文字、労働集団か 寺院造営体制知る資料に 奈文研調査 /奈良 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/feature/news/20150613ddlk29040573000c.html
最古の「飛」鳥、記した瓦? 飛鳥寺跡の出土品で確認:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH6B4Q1KH6BPOMB00J.html
飛鳥寺造営体制知る資料 - 白髪部が瓦生産か | 考古学 | 奈良新聞WEB
http://www.nara-np.co.jp/20150611091040.html

画像
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20150610004294_comm.jpg
「飛」の文字が記された瓦=10日午前、奈良県橿原市、豊間根功智撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20150610004288_comm.jpg
「飛」の文字が記された瓦=10日午前、奈良県橿原市、豊間根功智撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20150610004299_comm.jpg
「女瓦」の文字が記された瓦=10日午前、奈良県橿原市、豊間根功智撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20150610004306_comm.jpg
「多」や「名」の文字が記された瓦=10日午前、奈良県橿原市、豊間根功智撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20150610004261_comm.jpg
飛鳥寺の位置

http://www.nara-np.co.jp/photo/b930b60826572e6365f0306d7b0ea075.jpg
http://www.nara-np.co.jp/photo/1f55bcaaa06e79e334ddb89d6f4a373b.jpg
「白髪部」と刻書された飛鳥寺出土の平瓦(奈良文化財研究所提供)


 588年に造営された日本初の本格的寺院・飛鳥寺跡(明日香村、国史跡)で出土した7世紀後半とみられる瓦に、工人集団や氏族を指すらしい「白髪部(しらかべ)」という文字が刻まれていたことが奈良文化財研究所(奈文研)の調査で分かった。古代寺院の建造やその後の維持に関わる体制を考える上で、興味深い資料だ。

 奈文研によると、「白髪部」という字があったのは1950年代に発見された平瓦(縦27センチ、横23センチ)で、今年1月からの詳細な調査で判明した。焼く前にへらのような道具で刻んだらしく、瓦の製造技法から7世紀後半の作とみられる。

 7世紀後半の律令制度の完成までは、人々をグループ化して大王や豪族に従属させ、生産活動に従事させる「部民(べみん)制」が敷かれていた。白髪部は22代清寧天皇に仕えた人々が起源とされている。白髪部は瓦を作る労働集団だった可能性がある。

 飛鳥京跡(同村)で見つかった、瓦と同時期の7世紀後半の荷札木簡には「白髪部五十戸」と記されており、地名と考えられている。大化の改新(645年)後に部民制は廃止されているが、土地や人の名として名前が残ったとみられる。

 調査に携わった東野治之・奈良大教授(日本古代史)は「飛鳥寺の造営には部民が使役されたと考えられる。

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【矢追健介】

引用元: 【考古学】飛鳥寺瓦:「白髪部」の文字、労働集団か 寺院造営体制知る資料に 奈文研調査

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1: 2015/07/10(金) 12:27:14.78 ID:???.net
九州出土の瓦、寧波で生産 文様、成分一致 [福岡県] - 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/181078
福岡出土の瓦、中国で生産 日宋貿易、千キロ越え - サッと見ニュース - 産経フォト
http://www.sankei.com/photo/daily/news/150709/dly1507090041-n1.html

画像
http://www.sankei.com/photo/images/news/150709/dly1507090041-p1.jpg
中国南部・寧波の瓦と同じ型で作られたことが分かった瓦のレプリカ3種=9日午後、鹿児島県庁


 福岡市の博多遺跡群や鹿児島県南さつま市の渡畑遺跡など九州の6カ所で出土した12世紀の平安末期から鎌倉初期の瓦が、中国・寧波で製造されたことを、鹿児島国際大(鹿児島市)の中園聡教授(考古学)の研究チームが突き止め、9日に発表した。素材の成分をX線で分析し、寧波の土が使われたことを証明した。

 また、博多遺跡群と箱崎遺跡(福岡市)で出土した瓦に、寧波の瓦と完全に同一の文様のものがあることも3Dスキャナーによる形状計測で判明した。同じ木型で寧波で製造されたとみられる。
福岡市と寧波の距離は約千キロで、同一文様の瓦がこれほど離れて見つかるのは珍しいという。

 土が一致した6カ所の遺跡は、他に大宰府(福岡県太宰府市など)▽芝原(鹿児島県南さつま市)▽黒島大里(同県三島村)▽硫黄島(同)。

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引用元: 【考古学】九州出土の12世紀の瓦、中国・寧波で生産 文様、成分一致

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