理系にゅーす

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縄文人

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1: 2025/10/30(木) 23:40:56.66 ID:Ya/cLPDv9
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世界各国の現代人でUCP1遺伝子にGGTA型変異を持つ人の割合を調べた結果、各地の年平均気温と負の相関があることがわかっている。このことから、非ふるえ熱産生が活発化する体質が寒い地域で有利に働くことが見て取れる。縄文人集団はその割合が66%(赤い点線)と高く、そこから想定される当時の年平均気温は5℃だ。(Cold adaptation in Upper Paleolithic hunter-gatherers of eastern Eurasia. Yusuke Watanabe et al., in bioRxivなどをもとに作成)
https://i.imgur.com/qvwwcxt.png

近年、日本列島の先史時代を生きた縄文人のDNA解析が大きく進展している。東京大学などの研究チームが、全国11地点から得られた42人分の縄文人のゲノムを解析して「縄文人の集団とはどのような人々だったのか」という問いに挑んだ。そこから、縄文人が寒冷地に適応した体質の持ち主であった可能性が見えてきた。その理由は、縄文人そのものではなく、彼らの祖先にあったようだ。

今回解析したのは、時期的には6000年前~2500年前にかけての、主に日本列島の東半分で暮らした42人の古人骨から採取したDNAの情報だ。1人のゲノム情報の解読からわかるのはその個人についてだが、数十人以上の規模のゲノムがわかると、遺伝情報のばらつきや偏りから、縄文人が集団としていつ、どのような出来事に遭遇したかが見えてくる。研究チームの一員で、縄文人集団のゲノム解析を担当した東京大学の渡部裕介特任助教は「縄文人が集団としてどのような歴史を持つ人々なのか。そこに迫りたいと思って取り組んだのが今回の研究だ」と話す。

縄文人はほぼ全員が縮れやすい髪やお酒に強いといった特徴を持つことが知られている。一方で、現代の東アジアの集団には直毛の人やお酒に弱い人も多く、様々な特徴の人が混ざっている。長い縄文時代の間、縄文人は大陸側の人々との交流がほとんどなかった。

そこで研究チームが着目したのは、ユーラシア大陸側に残った他の東アジアの集団には広まらなかったのに、日本列島に渡った人々の子孫である縄文人集団でのみ急速に広まった遺伝子変異だ。「APOA5」という遺伝子で中性脂肪の血中濃度が高まる変異が見つかったほか、「FTO」という遺伝子でも肥満度を高める方向の変異が見つかった。これらは当初、「飢餓に備えるための適応」と考えられた。狩猟採集民の生活は常に十分な栄養がとれるとは限らないからだ。

しかし、この理由づけには疑問点が残る。食料が安定して手に入らないという状況は、縄文人集団がほかの大陸側の集団から独立する以前も同じだったはずだ。それなのに、どうして縄文人集団が独立した後になってからAPOA5やFTOといった遺伝子の変異が急速に広まったのだろうか。

研究が進むにつれて新たな解釈が浮かび上がった。カギとなったのは、体を震えさせずに脂肪を代謝して熱を生み出す「非ふるえ熱産生」を担うUCP1という遺伝子だ。寒冷地では、熱を生み出す反応が活発になる「GGTA型」という変異を持つ人が多いことがこれまでの研究で知られているが、縄文人ではその割合が66%にも達していた。これは現代のフィンランド人と同程度で、縄文人集団が寒冷な環境に適応していた可能性を示唆する。さらに、先ほどのAPOA5やFTOの遺伝子変異もこの熱産生を助ける方向に働くこともわかった。これらの変異は、単なる飢餓対策ではなく寒冷適応の結果だった可能性が高い。

この仮説を裏付けるように、グリーンランドの先住民イヌイットと共通する遺伝子変異も発見された。イヌイットの人々では、海獣の脂肪を多く摂取する食生活に適応する形で不飽和脂肪酸の代謝を抑える変異が広まっており、縄文人集団にも同様の変異が見られた。食事によって脂肪を多く摂取し、熱に変える必要性があったことがうかがえる。

では、縄文人の集団はいつこの寒冷適応を獲得したのだろうか。シミュレーションによる推定では、APOA5の遺伝子変異は約2万年前の時点で人口の約75%にまで広まっていた。これは地球規模の寒冷期「最終氷期最盛期」(約2万6500~1万9000年前)に一致する。つまり縄文時代が始まる前に、祖先の人々は寒さへの耐性を獲得していたことになる。(以下ソース)

2025年10月24日 11:00
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG235CG0T21C25A0000000/

【人類学】縄文人は寒さに強かった…集団ゲノム解析が明かす先史時代の人々の続きを読む

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1: 2025/06/28(土) 15:45:41.02 ID:jUGGl5KQ0
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ヤムナ人の頭蓋骨に酷似してる模様

https://i.imgur.com/1TR1wtw.png

縄文人、東欧から来た模様wwwwの続きを読む

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1: 2019/06/18(火) 00:59:53.02 ID:CAP_USER
縄文時代の終盤に人口急減 寒冷化か、DNA解析で
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019061701002244.html
2019年6月17日 18時55分
東京新聞,TOKYO Web,(共同)

 縄文時代の終わりに人口が急激に減少していたことが現代の日本人男性のDNA解析で分かったと、東京大の大橋順准教授(集団ゲノム学)らのチームが17日、英科学誌に発表した。
 狩猟採集生活の中、寒冷化し食べ物が減ったことが原因で、弥生時代になって稲作が朝鮮半島を経由して伝わり・・・

続きはソースで

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引用元: 【歴史】縄文時代の終盤に人口急減 寒冷化か、DNA解析で[06/17]

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1: 2019/01/21(月) 18:14:35.65 ID:CAP_USER
北海道遠軽町向遠軽むかいえんがるのタチカルシュナイ遺跡が、全国で最も北にある縄文時代草創期の遺跡であることが、東京大学常呂実習施設(北見市)の夏木大吾助教(考古学)らの調査で分かった。これまで最北とされてきた帯広市の大正3遺跡より約150キロ北に位置する。

 縄文人は、気候が比較的温暖になった晩氷期(約1万5000~1万1500年前)前半に、本州から北海道に北上したとみられているが、その拡散範囲が寒冷なオホーツク海沿岸地域まで達していたことを示す発見として注目されている。

 同遺跡はJR遠軽駅の北東約2・5キロに位置し、オホーツク海に注ぐ湧別川の河岸段丘上にある。
夏木助教らが2016~18年、約57平方メートルを発掘したところ・・・

続きはソースで

■遠軽町のタチカルシュナイ遺跡で出土した縄文時代草創期の石器(夏木助教提供)
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20190118/20190118-OYT1I50017-N.jpg
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20190118/20190118-OYT1I50016-N.jpg

読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20190118-OYT1T50086.html
images


引用元: 【考古学】「地続きのサハリンまで」縄文人が北上の可能性 北海道遠軽町タチカルシュナイ遺跡[01/18]

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1: 2018/12/02(日) 19:52:19.45 ID:CAP_USER
 弥生人はどのようにして誕生したのか――。国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で発掘された弥生時代後期(2世紀)とみられる人骨のDNA分析が今年から始まった。32人分のDNAを解析したところ、1人の縄文人系をのぞいて31人が渡来人系だったことが分かった。縄文人にだんだん渡来人が混じって弥生人になるというこれまでの定説とは少し違う様相となっている。

 人骨のDNA分析を進める研究班代表の国立科学博物館(茨城県つくば市)の篠田謙一副館長(人類学)によると、2000年に同遺跡の溝から見つかった人骨の上あごと下あご計37個からDNAの採取を試みたところ、34個から抽出できた。

続きはソースで

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181129002963_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181129002982_commL.jpg

朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLCJ55GZLCJPUUB00N.html
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引用元: 【人類学】鳥取)弥生時代の人骨のDNA分析 大半が渡来人[11/30]

鳥取 弥生時代の人骨のDNA分析 大半が渡来人の続きを読む

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1: 2018/08/16(木) 16:27:05.94 ID:CAP_USER
鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市)や国立科学博物館(東京都)などが連携し、鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生時代後期(2世紀後半~3世紀)の人骨のDNAを分析する研究を始めた。

 弥生後期は、大陸や朝鮮半島からの渡来人と在来の縄文人の混血が進んだ時期と考えられるが、人骨の出土例は全国的にも少なく、DNAが本格的に分析されるのは今回が初めて。日本人の成り立ちの解明につながる成果が期待される。

 研究には国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)も連携する。同センターが保管する頭蓋骨など人骨約40点からサンプルを採取。
ミトコンドリアDNAを分析して塩基配列の特徴を調べ、世界のヒト集団の特徴と比較し、同遺跡の弥生人のルーツをたどる。

 また、血縁関係・親族構造など集落内での人と人のつながりや、髪や瞳の色、直毛か、毛深いかといった身体的特徴の解明も試みる。

続きはソースで

https://www.sankei.com/images/news/180815/wst1808150024-p1.jpg

産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/180815/wst1808150024-n2.html
ダウンロード (5)


引用元: 【考古学】弥生時代に謎の大量殺戮? 大量の人骨をDNA分析、弥生人のルーツたどる 鳥取・青谷上寺地遺跡[08/15]

弥生時代に謎の大量殺戮? 大量の人骨をDNA分析、弥生人のルーツたどる 鳥取・青谷上寺地遺跡の続きを読む

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