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考古学者

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1: 2018/03/15(木) 12:47:33.37 ID:CAP_USER
「考古学者が遺跡からの出土品を偽造した」と聞くと、日本で起きた旧石器捏造事件を連想する人は多いはずですが、「トルコにある9000年前の遺跡から発見された出土品の一部が、有名考古学者によって偽造されたものである可能性が高い」と判明し、話題になっています。

Famed Archaeologist 'Discovered' His Own Fakes at 9,000-Year-Old Settlement
https://www.livescience.com/61989-famed-archaeologist-created-fakes.html
https://i.gzn.jp/img/2018/03/14/famed-archaeologist-fakes-discovered/00_m.jpg
https://i.gzn.jp/img/2018/03/14/famed-archaeologist-fakes-discovered/01_m.jpg

イギリスの著名な考古学者であるジェームス・メラート氏は、トルコのアナトリア半島南部にある「チャタル・ヒュユク」という遺跡の発掘調査に携わった人物です。
チャタル・ヒュユクは新石器時代から銅器時代にかけての遺跡であり、古い時代から新しい時代の遺跡が層状に積み重なっています。
最下層が形成された時期は紀元前7500年前にさかのぼり、遺跡の規模や複雑な構造から「世界最古の都市遺跡」と呼ばれることもあるとのこと。

1925年にロンドンで生まれたメラート氏は、イスタンブール大学で講義を行い、イギリスのアンカラ研究所(BIAA)で助教授を務めました。
1954年にはアナトリア半島西部のベイジェスルタン遺跡の発掘調査を指揮し、後期青銅時代に作られた陶器製の「シャンパングラス」を発見する功績を挙げたとのこと。
チャタル・ヒュユクが発見された1958年から3年後の1961年、メラート氏はチャタル・ヒュユクの発掘調査を指揮し、150以上の部屋と建物、壁画や彫像など多くの出土品を発見しました。

メラート氏は1964年、出土した品を販売する密輸業者を手助けしているとして、トルコで遺跡を発掘することを禁止されてしまいます。
トルコで遺跡が発掘できなくなった後も遺跡から持ち帰った出土品の研究を続け、新たな壁画を研究結果と共に公表するなどしており、初期アナトリア研究をリードする著名な考古学者として知られていました。
しかし、2012年にメラート氏が死去してから、メラート氏の遺品整理を続けてきたルウィ研究所のエバーハルト・ツァンガー氏は、「メラート氏の遺品からチャタル・ヒュユクの壁画を偽造した証拠が見つかった」と述べています。

「メラート氏は50年以上にわたってチャタル・ヒュユク遺跡に関する調査を続けてきた。
アナトリアに関する非常に幅広い知識を身につけ、知識を総動員して過去のパノラマを想像していた」とツァンガー氏は語っていますが、このプロセス自体はおかしなものではありません。

ある考古学者が過去の時代についての仮説を表明し、他の考古学者がそれを支持するか、あるいは遺跡の発掘調査から支持する証拠が見つかるというのが一般的。

続きはソースで

https://i.gzn.jp/img/2018/03/14/famed-archaeologist-fakes-discovered/02_m.jpg

GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180314-famed-archaeologist-fakes-discovered/
images


引用元: 【考古学】有名考古学者が遺跡からの出土品を偽造した証拠が死後に発見される 英国考古学者ジェームス・メラート氏[03/14]

有名考古学者が遺跡からの出土品を偽造した証拠が死後に発見される 英国考古学者ジェームス・メラート氏の続きを読む

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1: 2015/03/07(土) 20:26:35.86 ID:???*.net
読売新聞 3月6日(金)23時36分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150306-00050201-yom-ent
2015/03/06(金) 23:56:04.65
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1425653764/

ダウンロード


 日本のエジプト考古学の第一人者、東日本国際大学の吉村作治副学長は6日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、約50年間続けてきた発掘調査を踏まえ、王の墓とされてきたピラミッドについて自説を披露した。

 吉村さんは「ピラミッドで発掘調査が行われた時、石棺とされる石の箱にミイラも副葬品もなかった」と指摘し、「墓説」を否定。「神が降りてきて、人々がお祝いする宗教施設、日本でいえば神社」と推測した。
ピラミッドの近くの地下で見つかった「第2の太陽の船」の発掘や復元の様子も紹介した。

引用元: 【考古学】「ピラミッドは宗教施設」 王墓説を否定…吉村作治氏★2

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1: ストレッチプラム(京都府) 2013/08/10(土) 09:55:55.66 ID:uFUSK3HMP BE:1043910667-PLT(24130) ポイント特典

京都新聞
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森浩一氏死去 同志社大名誉教授、独自古代像示す

 日本を代表する考古学者で、幅広い視野で日本文化の基層の解明にあたり、考古学や古代史の社会的関心を高めた同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)氏が6日午後8時54分、急性心不全のため、京都市内の病院で死去した。85歳。大阪府出身。
自宅は京都市東山区本町15丁目778の18。葬儀・告別式は近親者ですませた。喪主は妻淑子(としこ)さん。後日、お別れ会を開く予定。

 17歳で大阪・和泉黄金塚古墳を発掘調査。以後、同志社大在学中を含め数多くの調査に参加した。豊富な経験と深い学識に基づき、考古学や古代史の通説を再検討。考古学と文献史学を総合した「古代学」、出土遺物だけでなく遺跡全体のありようを重視する「遺跡学」を唱え、独自の日本古代像を提示した。

 弥生時代、コメの蓄積が社会階層の分化と権力者の発生を促したとする従来のコメ中心史観に対し、海沿いの多くの古墳や銅鐸(どうたく)鋳造など高度な技術の存在を根拠に交易や水上交通、生産技術を掌握した豪族の存在を主張。古代の権力や社会へ新しい見方を示した。

 また、三角縁神獣鏡が中国・魏から倭の女王卑弥呼へ贈られたとみる説を批判し、国産説を打ち出した。遺跡保護に早くから取り組み、「いたすけ古墳」保存運動(55年)は以後のモデルとなった。

 80年代以降、地域の歴史や文化を広い視野で捉え直す「地域学」を提唱したほか、被葬者が確定できない天皇陵の名称を所在地で呼ぶことを提起。陵墓への調査について積極的に発言した。

 65~99年に同志社大で教員を務め、研究成果は広く市民にも伝えた。著書に「考古学と古代日本」「記紀の考古学」など。京都新聞では「現代のことば」「京都学事始め」などを連載した。

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http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130809000171



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