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鋳造

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1: 2018/04/22(日) 02:33:16.33 ID:CAP_USER
 福岡市東区の志賀島で発見されたと伝わる国宝の金印「漢委奴国王」の製作を再現する実験が始まった。
取り組むのは「九州鋳金研究会」に所属する鋳造技術や考古学などの専門家たち。
古代の金印がどのように作られたのか、いまだ詳しいことが分かっていない謎の解明への挑戦だ。

 3月末、福岡県宗像市にある福岡教育大の鋳造室。九州鋳金研究会会長で、鋳金が専門の宮田洋平教授(58)が溶解炉を熱していた。地金を溶かす「るつぼ」が炉内にある。
木炭を炉に入れると、火の粉が高く舞い上がり、真っ赤な炎は勢いを増した。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」への金印の登録を目指すNPO法人
「志賀島歴史研究会」(福岡市東区)の要請を受け、九州鋳金研究会は金印の製作技術の研究を始めた。

 昔の官印に関する文献を踏まえて工法を検討し、古代中国でも行われた蝋(ろう)型鋳造法を採用。
金属を溶かす熱源は、現代ではコークスを用いるのが一般的だが、当時の工法に近づくため、木炭を使うことにした。

 鋳型は、宗像市の鋳物師、遠藤喜代志さん(68)が製作。
福岡市博物館にある金印のレプリカを参考に、蜜蝋と樹脂を混ぜて原型を作った。
実物よりわずかに大きくしたのは、後で加工するためだ。


 歴史研究会のメンバーや福岡市博物館の学芸員など合わせて約30人が見守る中、実験が進む。

続きはソースで

関連ソース画像一覧
金印の製作を再現する九州鋳金研究会のメンバーたち=3月30日、福岡県宗像市
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_000_m.jpg
溶かした金を鋳型に流し込むと、あっという間に固まった
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_001_m.jpg
九州鋳金研究会が作った金印。湯口に近い部分が欠けている
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_002_m.jpg

西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/409269/
images


引用元: 【考古学】国宝「金印」再現なるか? 鋳金・考古学者らが実験…失敗 古代技術の「謎」解明へ再挑戦[04/17]

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1: 2017/04/20(木) 22:34:54.67 ID:CAP_USER
 中国の唐で作られたとされていた奈良・正倉院の宝物「銀壺(ぎんこ)」は、奈良時代に権勢をふるった藤原仲麻呂が発行に関わった銀銭「大平元宝」の素材を鋳造し直した国産品だったとする新説を20日、奈良国立博物館(奈良市)の吉沢悟・列品室長が発表した。

 宮内庁正倉院事務所(同市)が年1回、宝物などの研究内容を発表する「正倉院紀要」の第39号に盛り込まれた。

 銀壺は2点あり、ほぼ同型で、高さ41~43センチ、最大直径61センチ。
シルクロードとのつながりを想起させる騎馬人物が表面に彫られ、唐で作られたとする説がこれまで有力だった。

 だが、吉沢室長は彫金技法の拙さなどから、
大陸伝来の原図を基にした国産品の可能性が高いと判断。
壺の底にある「天平神護三年(767年)二月四日」の銘を手がかりに、制作背景の考察を進めた。

Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170420-00050130-yom-ent
ダウンロード (1)


引用元: 【歴史】正倉院宝物「銀壺」は銀銭転用の国産品か…新説 [無断転載禁止]©2ch.net

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1: 2016/02/10(水) 21:46:36.71 ID:CAP_USER.net
【動画】弥生時代の銅剣にサメの絵が彫られていた! 全国初、山陰限定の祭祀に使用か(1/2ページ) - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/160210/wst1602100084-n1.html


 鳥取県立博物館が所蔵する弥生時代の銅剣に彫られたサメの絵があることが分かり、県立公文書館などが10日、発表した。鋳造後に絵を施した青銅器が確認されたのは国内初。
銅剣は祭祀に使われたとされ、公文書館は「銅剣を使った祭祀に迫る重要な発見」としている。

 山陰地方では、青谷上寺地遺跡(鳥取市)などでサメを表現した弥生時代の土器や木製品が集中的に出土しており、公文書館は「極めて地域色の強い祭祀があったと考えられる」と指摘する。

 公文書館によると、銅剣は平成2年度に個人から博物館に寄贈された。全長42センチで県内の神社の伝来品とされるが、出土地は不明。
形や金属の成分分析から、弥生時代中期中ごろ(紀元前2世紀)の製作とみられる。

 奈良文化財研究所(奈良市)の分析で、根元近くに鋭利な道具を引いてつけた長さ2・3センチの魚の絵が見つかった。
流線形で、サメに特徴的な二つの背びれや、胸びれ、腹びれを表していた。

続きはソースで

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引用元: 【考古学】弥生時代の銅剣にサメの絵が彫られていた! 全国初、山陰限定の祭祀に使用か

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